- 巡礼顛末記-

 11月(12月だったかな?)にアラブ・イスラーム学院が公示した1424H(2004AD)ハッジ(巡礼) 招聘プログラム。ムスリマとしては気ママにやってる私には、正直なところこれに応募する気はさっぱり起きませんでした。だって、広尾に集まってるムスリム・ムスリマの方々って皆すごいんだもの。ああいう方たちに混じって巡礼だなんて・・・無理でしょう(苦笑)
 とはいえ、「機会があるときに行っておいたほうがいい」というのも本当。そんな行きたいかも、という思いと広尾に応募するのは恥ずかしい、という気持ちとで揺れていたところ、日本ムスリム協会からもハッジプログラムへの募集がアナウンスされました。日本ムスリム協会のほうがいろいろと気構えずに行けるからか、ふっと「応募しよう」という気分に。こういうのを呼ばれたっていうのかなあ?アルハムドゥリラー。
 バタバタと書類を用意して、バタバタと出発が決まり、アルハムドゥリラー、1月28日(水)に出発。そんな私の巡礼を日記風に書いてみようと思います。モロモロ知識不足・勉強不足なので表現等おかしな点がありましたら、遠慮なくご指摘下さい。なお、文中の1SRは大体30円程度です。

以下、西暦は2004年、イスラム暦1424年の巡礼顛末記です。

1月7日 (Dhul. Qaada 15)  ハッジプログラム申込み

 日本ムスリム協会に招聘プログラムへの応募書類を提出。締切は1月9日だけど、近くに寄ったので持参した。5日に申込書を書き、6日にパスポートをコピーし証明写真(当然、街角のスピード写真)を用意し、7日に提出、というバタバタぶり。
 大元のアラブ・イスラーム学院での締切が1月16日だから、行けるかどうかわかるのは早くても19日以降、ということになる。

提出したもの:
1.申込み書 (アラブ・イスラーム学院の示した見本に則して作成) *申込者cizma、マハラムがダンナ(海路郎、仮名)。
2.パスポートのコピー
3.証明写真4枚 *cizmaは普段ヒジャーブ してませんが、ヒジャーブ姿の写真を用意。
4.婚姻届受理証明書のコピー *必要書類には入ってなかったけど、マハラムの証明として一応提出。

1月20日 (Dhul. Qaada 28)

 所用があって、海路郎さんと日本ムスリム協会訪問。日本ムスリム協会から参加予定なのはcizma、海路郎、A理事の3名とのこと。少なくてビックリ。A理事、B理事、Cさんと5人でお茶タイムになる。その時に聞かされたB理事の巡礼体験談は抱腹絶倒もの。20年前の巡礼ってまだまだ命がけの生涯の一大イベント、って感じ。おかげで肩の力が抜けたかな。去年同じプログラムに参加したCさんには、何を用意すればいいのか、など細かい質問をしてしまった。
 日本ムスリム協会経由での申込みは3人だけなので、80%参加できるだろう、とのことだけど、この時点でまだ連絡はなし。しかもB理事が「イスラム暦12月(Dhul.Hijjah)5日(=1月26日)が現地入りのデッドラインだ(それ以降はジェッダ空港が閉鎖される)。23日あたり出発じゃないか?」と仰るもんだから、勝手に28日前後の出発を思い描いていた私たちは大慌て。去年の例から言っても、全否定できない日程だし・・・(去年は出発決定→説明会→出発、と3日間で怒涛のように過ぎたらしい)
 この日、二人のパスポートを日本ムスリム協会に預ける。

1月21日 (Dhul. Qaada 29)

 昨日の23日出発説を否定する根拠もないので、急に決定してもいいように必要なことを済ます。家賃の支払いとか、郵便物配達一時停止申込みとか。あ、新聞も止めないとね。
 持って行くといいよ、と言われたものも買いに行く。

購入したもの:
1. ノドがやられるらしい。アルハムドゥリラー、成城石井でハラールな飴(インドネシア産)を発見。
2.ビタミンC 風邪をひかないためにはビタミンを取らなくては。チュアブルタイプを購入。
3.固形石鹸 昨年は現地でもらえたそうだけど、念のため。香料入りは×、なので敏感肌用の無香料・アルコールフリーのものを購入。
4.保湿クリーム 相当乾燥するらしい。これも香料入りは×、なのでシアバター100%のクリームを購入。
5.目薬 これも乾燥対策に使える・・・らしい。
6.ノド薬 スプレータイプのものを購入。うがい薬より手軽に使えそうだったので。
7.ウェットティッシュ 海外旅行のお供。ノンアルコール・無香料のものを購入。
8.マスク 花粉症用の立体タイプを購入。空気が悪いらしいので。

1月22日 (Dhul. Qaada 30) 出発確定&出発日決定

 アルハムドゥリラー、参加者リストに入っていることが判明。さらに、出発日が26日以降、との連絡を受ける。これで23日出発はない、と一安心。数時間おいて、出発が28日に決定した、との連絡が入る。アルハムドゥリラー、これで予定が立てられる〜休暇申請もできるぞ〜
 でも、説明会が開催されるのか、帰国日はいつなのか、は不明なまま。トホホ。

1月23日 (Dhul. Hijjah 1)

 女性は巡礼に対し服装規定がない。ムスリマとしてきちんとした格好をしてれば○。がしかし、普段不抜けてる私は、そのムスリマとして体の線がでない洋服を持っていない!!ぴーんち。

1月24日 (Dhul. Hijjah 2) 

 友人から、利用会社はマレーシア航空でクアラルンプールトランジット&今年は50%の確率で出発前の説明会がないかも、と知らされる。洋服よりなにより、説明会がないほうが大ぴーんち!!
 ムスリマ服として代用できそうなワンピースをアジアンショップで1着購入。誕生日プレゼントとして海路郎さんに払ってもらおう。さらにアルハムドゥリラー、アバーヤをムスリマ友達Dさんがくださることに。うーん、ありがたい!
 ムスリマ友達Eさんが貸してくれたムスリマ服は、海路郎さん曰く「借金を清算しなければ巡礼に行ってはいけないのに、服を借りるなんて・・・」と難色を示したので、折角お借りしたけれど、持っていかないことになってしまった。ありがとう、そしてごめんね、Eさん。

1月25日 (Dhul. Hijjah 3) オリエンテーション開催の連絡入る

 珍しく海路郎さんも日曜日にお休み。ここぞ、とばかりに洗濯機をフル回転させて、荷造りを始める。旅行じゃなくて巡礼だから、そんなに気を張って用意する必要もないのだけど、旅行と違うからこそ、何が必要なのかいまいちわからず、家はしっちゃかめっちゃかに・・・まるで泥棒が入ったようだT_T
 20時過ぎにアラブ・イスラーム学院から「27日に出発前説明会を開催するので来てください。」との連絡が携帯に入る。ズフルの礼拝を集団でやり、説明会を開催し、アサルの礼拝を集団でやって解散らしい。ズフルの礼拝を12時半にするので、12時には学院に居るように、とのこと。

1月27日 (Dhul. Hijjah 5) 出発前説明会

 ・・・荷造りの仕上げしてたら、説明会に遅刻した。開始の挨拶にギリギリ間に合ったけど。
 説明会は基本アラビア語で行われた。日本語通訳が入ったけど、それはそれ、アラブ人の一呼吸が異様に長いので、通訳入るまでの間がもたない。日本語の授業だって寝てた人間がわからん言語のレクチャーに起きていられるはずもなく、寝た。説明会で船漕いでたのはワタクシです・・・遅刻して船漕いでちゃどうしようもないわなぁ。

説明会次第
1.アラブ・イスラーム学院長挨拶
2.シェイクによる「ウムロ・ハッジのやり方(流れ)」の説明
 ・・・これが長くて・・・寝た・・・ぐぅ・・・
(男女フロア別れての昼食、アサルの礼拝)
3. シェイクによる「ウムロ・ハッジのやり方(流れ)」の説明続き
4.男性イフラーム服配布(数が不足しているので持っていない人にのみ)、旅券返却及び航空券配布。
4.質疑応答
 1) 男性のイフラーム服の着方→シェイクが見本を見せてくれる。
 2) 現地におけるハディ(犠牲)の相場→1万〜1万5千円程度であろう、とのこと。
 3) 髄膜炎予防注射の事前接種の必要性→現地で接種できるはずなので日本で受ける必要はなし。

 お土産にクルアーンとか小冊子(英語・アラビア語)をいただいて解散。いよいよ明日出発かあ・・・未だ実感湧かず。

1月28日 (Dhul. Hijjah 6) 出国(機内泊)

 京成スカイライナーで成田空港へ。特急ではなくライナーを使うのは超久しぶり(ビンボー)


 私たちのグループは総勢16名(男性10・女性6)で、女性は全員国際結婚カップルだ。が、全員日本人女性ではなく、パートナーが日本人男性のボーンムスリマが2名、パートナーがボーンムスリムの日本人女性が4名、という内訳。カウンターに色とりどりのパスポートが並ぶのはなかなか壮観。チェックイン手続きを男性陣がしていると、同じフライトでハッジに出発するもう一つの日本人グループが登場した。イスラミック・センター・ジャパン経由で王弟殿下のご招待に参加するグループらしい。あちらは国際結婚カップル4組+責任者1名の総勢9名だった。無事チェックインを済ませ、搭乗券が配られる。が、なんと、夫婦で席がバラバラ・・・機内で調整して無事海路郎さんと隣になったし、他のカップルも隣同士になったけど、カウンターのお姉さんももう少し気を利かせてくれればいいのにね。

 マレーシア航空は機内食がハラール ということで、安心して全て食べることができた。原材料をチェックしないでモノを食べられるなんて、なんて楽チン。しかも機内にはサッジャーダ 一枚分の礼拝スペースもあり(サッジャーダも貸し出してくれる)、テレビの現在地情報ではマッカの方向・マッカまでの距離まで表示してくれる。さすがだ、マレーシア!! インドネシア語に慣れた耳には「Tuan-tuan dan Puan-puan」が奇妙に聞こえるけど、ビバ、マレーシア航空。

マレーシア航空ボーイング747

お世話になったマレーシア航空 。
NRT-KUL便の方がKUL-JED便より機体が小さかった。
(NRT発は747型、JED便は777型)

 私たちのフライトはクアラルンプールでジェッダ行きに乗り換えることになっていた。KL空港でトランジット3時間弱。この時間を利用して、海路郎さんはトランジットラウンジでグスルをする。空路でハッジに参加する場合、機内でミーカート を越えてしまうため、飛行機に乗る前にできればグスル したい、と言うので7ドル払った。ただ、グスルをすることは「望ましい」ことであって、義務ではないため、cizmaはパス。家を出る前にニーヤ してシャワーしたから、機内でミーカート通過前にウドゥー すればいいや。

 男性はイフラーム状態に入ると、服装に制約がでる。服に関してはアラブ・イスラーム学院で支給されたからいいものの、問題は足。くるぶしが出ていればいい=靴下脱いで靴、という説と、足の甲を見せなければならない=サンダル着用、という説とある。大概はサンダル説なのだけど、なんと海路郎さん、サンダルを持参していません。現地で買えばいいや、と思っていたけど、よく考えたら、機内でミーカート通過する前に着替えなきゃいけないんだから、機内にサンダル持ち込んでないとダメじゃん・・・仕方ないのでFILAのサンダルを購入。くぅ、100円ショップかなんかで買えばもっと安いのに。これでハッジの途中でなくなったら泣くT_T

イフラーム状態の男性

男性のイフラーム状態。
足元にチラッと見えるのが問題のサンダル。
肩にかかってるのはサジャダだけど、これはたまたま持っていただけ(肩にかけて持ち歩くことが義務ではない)

 

 ちょっと小腹が空いたので、腹ごしらえしてからゲートへ。機内食出るんだけどね・・・なんかこう、豚フリーのペンネとかスパゲッティに惹かれて満腹満足。

1月29日 (Dhul. Hijjah 7) マッカ到着(マッカ泊)

 KULを出たのはマレーシア時間23:20、JED着予定はサウジ時間3:25。日本とマレーシアの時差1時間、マレーシアとサウジの時差5時間、だから時計の上では半日かけて移動していることになる。夕食に相当する機内食が出た後、爆睡。サウジが近づいたことがテレビ画面で確認されたため、海路郎さん、イフラーム服 に着替える。オマーン上空あたりだったかな。ミーカート通過30分前にアナウンスは入るけど、それから準備したんじゃトイレが混んじゃうから、少し早めに着替えたみたい。ちょっと寒そう・・・他のメンバーやもう一つのグループの男性陣も着替え始めたため、機内には白装束の集団が出現。日本からの直行便(ないけど)ではこんな光景見られないだろうなあ・・・アナウンスが入ってから私もウドゥーをし、ニーヤを立てた。到着まであと数時間、慌ててタルビヤ を覚え始める私ら。トホホ、準備不足満開。

 ジェッダ空港に着いたのは3:10。ハッジビザ所有者だけ機内に残され、他の乗客が降りるのを待つように指示された。ハッジ参加者だけの空港内移動バスに乗り込み、ハッジ専用到着ターミナルへ。ハッジ参加者用入管待合室のようなところに入る前に、「ハッジ・ウムロのやり方」という小冊子を渡される(無料)。英語やウルドゥー語、インドネシア語はあったけど、残念ながら日本語版はなかったわ。待合室には公園のベンチのような椅子が沢山置いてあり当然礼拝スペースもあった。そこで待つこと少々。パスポートにのちほど添付する書類を配られ、記入するように言われる。さらに待つこと30分ほど、4:30になってようやく入管のラインに並ぶことができた。入管のラインへはグループごとに待合室から呼び出されていたので、私たち日本班は最後だったのだ。入管での手続きは簡単に済んだ。夫婦の場合は、一人一人ではなく夫婦で手続きだったのがサウジっぽい。そういえば、現地で接種すると言われていた髄膜炎の予防接種、なかったなぁ。早朝の到着だったからか、ハッジ参加にはぎりぎりの到着だったからか、謎。

ハッジ到着専用ターミナル遠景

ハッジ専用到着ターミナル。
広大で巨大。
(撮影は帰国日)

 入管を通過し、荷物のターンテーブル前で荷物を待っていたら、今回のグループリーダさん(サウジ人)が一括管理するために全員から旅券を集めた。サウジ滞在中は旅券なしで行動することになる。全員、荷物を確保し、外へ。16人分の荷物が2台のGMCサバーバン(ランドクルーザーだと思ってましたが、同行のSさんが車種名を教えてくれました。)に満載され、人も男女別に分乗し、5:45にマッカに向けて出発!! まだ暗い中、時差ぼけも手伝って眠かった・・・

 途中、ファジュルの礼拝の為に休憩。寝ぼけ眼でウドゥーをし、礼拝する。サウジでの初礼拝inモスク。車は再び走り出し、日の出を迎えた。マッカに入る時にシンボルである大きなクルアーンゲートを写真に撮れなかったのは残念・・・ホテルに到着し、チェックインした時には時計は8:00を指していた。今回のハッジでは人数が少ないからか、アルハムドゥリラー、男女別の部屋ではなく夫婦同室に。やっぱり家族と一緒の部屋だと安心する。部屋はアパートメントタイプでトイレ・風呂共同だけど、ここには1,2泊程度しかしないのだ。

マッカの路地裏

ホテルの窓からみたマッカの路地裏。

 一休みして、9:30にハラームモスクにウムロをしに出かける。ホテルからモスクまでは徒歩圏内ではあるけれど、今回はシャトルバスを利用した。

 モスクは土足厳禁なので、肩に掛けられる大きめの靴袋を持参したのが正解だった。タワーフ のときは手ぶらにならないと辛い。中は混雑していたけど、グループリーダーさんのリードがうまく、アルハムドゥリラー、無事タワーフを済ませることができた。タワーフしてる間、なんだか涙が止まらなかった・・・おかげで具体的なお祈りはなんもできなかったわ^^;
  タワーフが終わり、サーイ をする前に礼拝をする。がしかし、モスクは大混雑で、ちょっとの場所も見つけるのが大変。少しスペースを持って座っているインドネシア人のグループに話しかけ、場所を分けてもらった。
 礼拝後、 サファーの丘で一休み。岩が樹脂加工されてて、ツルツル。上から見るサーイする人々の群れは恐ろしくも素晴らしく、一息ついてから自分たちもその中に混じってサーイを始めた。1Fで1往復した後、再度休憩。飛行機で到着したばかりなので、無理は効かない。ザムザムの水 を飲んで英気を養い、サーイ再開。でも今度は、2Fに移動。ハラームモスクは3F建てで、1F2F3Fどこでもタワーフ・サーイができるようになっている。ただ、2Fでタワーフすると一周3キロ、とものすごいことになってしまうけど(1Fですれば700M程度)。
 2Fで1往復して時計を見るとズフルの時間が近づいていた。礼拝の場所を探しに3Fに移動。3Fからは1Fでタワーフする人々を見ることができ、こちらはサーイする人々以上に恐ろしくも素晴らしく美しい眺めだった。礼拝スペースを見つけてズフルを待ち、礼拝を済ませる。3Fでもサーイはできるのだけど、こちらは屋上で屋根がないため、熱くてとても長時間居られる場所ではないので、2Fに戻る。残り1往復半を無事済ませ、アルハムドゥリラー、ウムロが終了した。時計をみたら14:00になっていたので、約3時間かかった計算になる。ウムロが終了したことにより、イフラーム状態を解除するため、海路郎さんはモスク近くの床屋さんで髪をちょっとだけ切った。丸坊主にするとハッジの後切る髪がなくなってしまうので、ホントにちょっと整えた程度。因みにお値段7SR。

 ホテルに戻り、シャワーを浴びて汗を流す。海路郎さんは折角来たのだからハラームモスクに居るぞ!!とまたモスクにお出かけ。・・・私の髪は誰が切ってくれるの・・・?髪を切らないとイフラームを解除できないじゃんよおおおおおおおおおおおおお。と、彼が出かけた後に気づいた。仕方ないので女性メンバーに切ってもらった。アサルの礼拝を部屋でし、明日から出かけるミナに持っていく荷物を整理して、マグリブの礼拝を済ませ、昼寝した。起きたら20:30で外、真っ暗。

 海路郎さんは夕食を食べに一回ホテルに戻ってきたけど、一晩モスクで礼拝するんだ、とまたモスクに出かけていった。んーむ、さすがだ。

1月30日 (Dhul. Hijjah 8) ミナへ(ミナ泊)

 アザーン の大音量で目が覚める。ファジュルの礼拝を済ませ、昨日の予定では8:00出発なので、シャワーを浴びたり爪を切ったり、とイフラームに入る。6:45に海路郎さんが戻ってきたので、二人で朝食を食べに食堂に行く。食堂で8:00出発予定は昼過ぎの出発に変更になった、との情報を得、ちょっとホテル前の商店街(?)でお買い物。海路郎さんのイフラーム服は一着しかないので、替えが欲しい、ついでにアラブ服が欲しい、と。結局イフラーム服は2つで35SR、アラブ服は2つで60SRだった。

 10:00前にホテルに戻ると、ロビーで空港で別れたきりのICJ組と再会。9時出発予定が昼過ぎになり、さらにそれが10時出発に変更になったのだ、とのこと。全員揃ったらしく、慌ただしく出発していった。私たちのグループの出発時間はどうなったのかな、とグループリーダーさんに確認したところ、なんと16:00出発に決定した、と言われた。16:00って・・・最初の予定から8時間も経ってますよ・・・?ま、いいけどさ。出発まで時間ができたことが確認されたので、海路郎さんはハラームモスクの集団礼拝に参加しに行ってしまった(この日は金曜日)。私はホテルの礼拝所で他の宿泊客と礼拝した。集団礼拝から戻った海路郎さんと昼食を食べ、部屋に戻ると所属グループと名前が書かれたネームプレートと今日から2月5日までのスケジュール表を渡された。・・・このスケジュール表どおりにモノが動いたことはほとんどなかったけどね。

 16:00出発予定に合わせてロビーに下り、バスに乗ったのは16:40。バスに乗るのは日本人グループだけではなかったので、全員揃うのにちょっと時間がかかったのだ。因みに席は男女別に別れて座ることになっていた。この状態がハッジが終わるまで続くことになる。17:00過ぎにバスはミナに向けて出発したが、途中はものすごい渋滞。まー200万人が一斉に同じ行動してるんだから仕方ないけどねー。ミナのテント村に着いたのは日も暮れた18:00過ぎ。王様ご招待グループなので、待遇はすこぶるよく、テントは高台に位置して風が気持ちよかった。

ミナのテント村

ミナのテント村。かなり広大。
200万人収容してるんだから、当然か^-^

 

 ミナでは完全に男女別で、女性エリアと男性エリアは壁で区切られ、警備員まで居る始末。しかも出入りに使うドアの鍵は男性エリアにある。これがまたすごい音でガチャコン、と閉められるものだから、慣れない私らはかなり気が滅入った。どうやらこれがサウジスタイルらしい。因みにダンナさんに用がある時は、警備員さんにダンナさんの名前とテント番号を伝え、呼び出してもらうのだけど(逆も同じ)・・・これが・・・また・・・大変。まず、警備員さんがアラビア語オンリー。さらに私たちの名前は覚えづらいらしく、呼び出す方、呼び出される方、ともにドアから本人に伝わる前に名前が変わってしまう。1字でも合ってればまだいいほうで、「そんな奴いねえよ」な名前になってることもしばしば(苦笑)サウジの女性は携帯でダンナさんたちと連絡取ってたので、来年からはアラブ・イスラーム学院がトランシーバーを支給してくれることを切望。

 それはさておき、テントの中はかなり快適。冷房完備、フリーのドリンクバーとお菓子ラックがあり、トイレ・シャワーもある。石鹸と使い捨ての歯ブラシ及び歯間ブラシも洗面所で取り放題。食事もバイキング形式で時間になると出てくるし、「テント」とはいえ、中は12〜15人用に区切られていて、一人一人にベッドも枕も毛布もある。しかもこの毛布、驚くことにお持ち帰りOKなことが最終日に判明!! イヤー太っ腹なテントだこと、と思ったら、どうも私たちが居るエリアは「金」のテントだったようで・・・

金のテントこちら、のサイン

金のテントこちら、のサイン。

 礼拝所兼集会所兼食堂の一角でマグリブの礼拝をし、おやつとお茶でお話し。レクチャーが始まったけど、残念ながらアラビア語(通訳なし)だったため、部屋に引き揚げ、イシャーの時間になるまで休む。イシャーの礼拝後、夕食が出され、この日は23:00に就寝。

1月31日 (Dhul. Hijjah 9) アラファにて(ムズダリファ泊)

 アザーンが聞こえ、4:30に起床。ファジュルの礼拝の準備とアラファに出かける用意をする。ファジュルの礼拝を済ませた後、荷物をまとめ6:30にはバスに乗ることができた。今日の予定はアラファで一日祈りを捧げた後、ムズダリファで野宿することになっているので、各自支給された自分の毛布と枕付寝袋を持っていて、結構大荷物。そして、200万人が一斉に移動しているので、またもや大渋滞。アラファに着いた時には10:30を回っていた。

 アラファでもバスを降り、テントエリアについたらまた男女別になる。これがまた待遇のいいテントで・・・冷房付、飲み物付、専用トイレ付、ときたもんだ。アラファの山も見えないし、熱くないし、なんだかハッジっぽくないねーと皆口を揃える。アイスのおやつが配られた後、レクチャーが始まった。がしかし、当然これもまたアラビア語。さーっぱりわからん・・・12:00に朝ご飯にあたるものが出された。時間は昼だけど、本日最初のバイキングなので、内容は朝ご飯。つまり、ご飯ものはなく、パンや卵が並んでいた、ということ。食事後、ズフルとアサルの礼拝を皆で行い、2回目のレクチャーが始まる。・・・またアラビア語。レクチャーの後、また食事、今度こそ昼食仕様でご飯モノや肉類がメニューにある。昼食後、14:00から17:00まで、各々静かに祈りを続ける。この日はアッラーが一番近くまで降りてきていると言うけれど、なんかそれを実感・・・またもや涙止まらず。サッジャーダ持って来てれば外で礼拝できたのになぁ・・・残念。

 アラファは日没後一斉に離れることになっているので、日没直前、17:50にバス乗り場に向う。が、当然またもや200万人が同時に同じ行動をしているので、渋滞どころか駐車場からバスが動けない。バス乗り場手前で待たされること2時間以上、バスに乗ったのは20:30、とっぷり日も暮れて夜になっていた。そしてさらに渋滞にはまり、ムズダリファに着いたのは0:00ちょっと前。降りた人から我先に毛布を持っていくものだから(早く休みたいのはわかるけど)、名前が書いてあろうがなんだろうがお構いなし・・・

ムズダリファへの道中、渋滞

途中渋滞の図。

 ムズダリファでも男女別に野宿、と言われ、女性エリアに誘導される。がしかし。女性エリアは大混雑を極めており(狭いから)、男性陣と離れて夜を過ごすほうが不安になってくる。最終的には男性陣が確保した場所が結構広めだ、ということでそちらに移動することになった。寝袋を敷き、皆一緒にマグリブとイシャーの礼拝をする。礼拝後、明日からのジャムラトゥルアカバの石投げ で使う小石を拾う。小石を入れる袋はそれぞれ調達した。もう寝ようか、という時になって本日の夕食分としてお弁当が支給されるが、移動で疲れきってる私たちはほとんど手をつけられなかった。

ムズダリファで野宿

ムズダリファで一泊することもハッジの重要な行事の一つ。
でもこれじゃあ、ムズダリファで一泊というより駐車場に一泊・・・(苦笑)

 

2月1日 (Dhul. Hijjah 10) 犠牲祭(ミナ泊)

 4:30に起床し、皆でファジュルの礼拝を行う。そういえば、ここムズダリファで初めてグループの為のトイレがなく、いろんな人と共同でトイレを使った。いやあ・・・ものすごい混雑でしたわ。6:30頃バスに乗り、ジャムラトゥルアカバの石投げを行うミナに戻る。当然の如く再び大渋滞。多分、一番効率がいいのは徒歩なんじゃないかと・・・車の排気ガスにやられることを考慮に入れなければ。9:30にミナに着いた時には、石投げに向う人々、既に終わった人々、でテント村はごった返していた。

ミナ、イードの日の大混雑

すごい人と車。

 毛布と寝袋を置き、一息入れる。健康に支障がない限りジャムラトゥルアカバの石投げを行わなければならないのだけど、弱者は代理を頼むことも可能。女性陣ではボーンムスリマの二人が元気よくジャムラトゥルアカバの石投げに向かったけど、残りの日本人4名のうち3名は病気でダウン。唯一元気な私でしたが、200万人が殺到しているところに身長154センチで分け入る勇気はなく・・・海路郎さんも危ないから来るな、というので海路郎さんに代理を頼んでしまった。

石投げに向かう人々

石投げに向う人々。
2F建てになってて、映ってる2Fの方が危険度大、らしい。

 

 この日、ジャムラトゥルアカバの石投げで200人以上が亡くなり、ほぼ同数のケガ人がでたことが日本でも報道された。

 11:00頃石投げに出かけた男性陣が無事戻り、晴れてハッジ終了!!アルハムドゥリラー・・・ハディ のお金を支払い(山羊1頭1万2千円×二人分)、ズフルの礼拝を行ってから、ホテルに行くことを希望した人だけ(ほぼ全員)、乗合タクシーで一旦マッカのホテルに戻った。タクシーの相場はミナ→マッカ15SR、マッカ→ミナ10SRとのこと。ハッジが終わると男性は坊主(もしくは短く切る)ため、道中、大量の坊主白集団に遭遇した。髭は残してるので、なんだか奇妙な感じ。

ひげは残して頭は坊主

大量発生したひげ坊主さんたち。

 ここでも渋滞だったけど、約1時間でホテル到着。汗を流し、洗濯をし、食事をし・・・ハッジもとりあえず終わったことだし、なんとなくホッとした気分で過ごす。ホテルで一休みした後、22:00頃、ミナに戻る乗合タクシーに乗る。ハッジを完了させる為にはまだあと2泊、ミナに泊まらなければならないのだ。が、これまた渋滞で・・・・行きと比べて倍以上の時間がかかった上、テント村内に車が進入禁止の時間帯となtってしまい、途中下車。テント村の中を1時間ほど歩いて、やっと自分のテントに到着した。

2月2日 (Dhul. Hijjah 11) タワーフ アル イファーダ(ミナ泊)

 ファジュルのアザーンで起床。ファジュルしてノンビリしてたら、海路郎さんがこれからタワーフをしに行くぞ、と呼びに来た。そう、このタワーフをしないとハッジが完結したことにはならないのだ・・・本来は昨日行うのが望ましいのだけど、そんな元気はなかったので、今日行うことになっていた。昼過ぎに出かけると思ってたのにな。同じくタワーフをしに行く同じグループの人たちと乗合タクシーを拾い、マッカに向ったのは8:30頃。大人数だと全員が乗れるタクシーを捕まえるのもちょっと大変。

 まだ食事をしていないうちにミナを出てきたので、途中昼食を購入し(鳥の丸焼き1匹+ご飯2人分で12SR)、ホテルで食べる。その後ハラムモスクに向ったので、タワーフを始めたのは13:00近かったんじゃないかな。いやあ、それにしても・・・すごい人で。なんだかウムロしたときのような荘厳さはなく、ただただ混乱だけがあったような印象が残った。なんでかなあ・・・ウムロの時より人が多かったのかなあ・・・逆流する人も前より目に着いたし。(近場の出口目掛けると人の流れに逆流することになる)この時はなんだか人に疲れてしまったT_T

 タワーフした後、タワーフ後の礼拝、サーイを行い、途中アサルの礼拝を挟み、全部終わったのは17:00近く。やっぱり以前より時間がかかってる。あまりに気分が疲れて、途中ジュースを買い、ノンビリ歩いてホテルに戻った。人にやられたのか、疲労がピークなのか、調子を崩し始めたのもこの日。出発まで礼拝の時間以外はずーっと寝てた。熱があったみたい。

 21:30にマッカに来たメンバーが揃い、乗合タクシーを捕まえる。今日は昨日以上の大渋滞で、迂回しても迂回しても渋滞。結局、0:00を過ぎてから歩ける距離である、と判断しタクシーを降りる。テントに戻る道は石投げから戻る人たちで大混雑しており、海路郎さんとはぐれないように歩くのが大変だった。1時間ほど歩いてテントに到着。疲労困憊。

2月3日 (Dhul. Hijjah 12) マッカに戻る(マッカ泊)

 よっぽど疲れていたのか、調子が悪かったのか、大音量のアザーンに気づかず、起きたら7:30。今日のイベントは昼過ぎにマッカに戻ることだけなので、ベッドでゆっくり過ごす。昼食を食べ、ズフルとアサルの礼拝を行い、荷物をまとめる。前述したように毛布が持ち帰りOKなため、持ち帰る人は持ち帰らない人のをもらったり、気に入った柄を物色したり・・・

 16:20にバスに乗り、16:50に出発。ハッジが終わったということで、やっと男女別ではなく夫婦ペアで座れる。テント村は日没前に離れなければならないため、またもや大渋滞。マッカに向う本線道路に入るのに30分以上かかり、ホテルに着いたのは19:30だった。かなり調子の悪い私は、夕食を食べたらすぐ寝てしまった。

ヒラー山

途中見えたヒラー山。

 

2月4日 (Dhul. Hijjah 13) 別れのタワーフ・マディーナへ(マディーナ泊)

 マッカを離れる前にカーバに挨拶=別れのタワーフをしなければならない。一番空いてるのはファジュルの礼拝2時間前、と言われていたのだが、起きたのは3:15。ファジュルの礼拝は5:30過ぎだから、結構ギリギリである。が、この日が一番調子が悪く、声がまったく出なかった・・・

 歩いてハラームモスクに向かい、4:15にタワーフを始める。1周するのに15〜20分程度かかった。踏まれるし。押されるし。チビだから男性陣が手に持ってるサンダルがちょうど顔の位置にあるし。混雑でヒジャーブは明後日方向に引っ張られるし。心静かにタワーフする、というよりも本当にはぐれないように、他の人に腹を立てないようにするので精一杯。しかも、最後の方はファジュルの礼拝時間が近づいていたため、カーバの近くで礼拝の場所取りをする人たちのおかげでタワーフする場所が狭められてしまい、なんだかもう、しっちゃかめっちゃか・・・・本当なら心静かに祈りながらタワーフしたいのに、とてもそんな状態にはなれなかった。なんとかファジュル直前にタワーフを終え、大混雑のモスクの中でファジュルの礼拝スペースを確保し、ファジュルの礼拝を行う。調子が悪いのでホテルまでシャトルバスを使おうと思ったのだが、これもまた大混雑で乗れるまで待つより歩いた方が早い、と判断し、ホテルまで歩いた。途中の道は行商する人たちでかなり賑やかだったけど、それを見てるゆっくり歩く体力的余裕がゼロだった。

 朝食を食べて部屋に戻り、9:00出発、との案内を受けて荷造りをする。9:00出発なんざありえん、と思いつつ時間に合わせてロビーに下りるあたりが日本人。結局、マディーナに向けてバスが出発したのは12:20。ここから延々とバスの旅。

マディーナへの道中、砂漠

砂と山と空。

 2回休憩をとりつつマディーナのホテルにチェックインしたのは20:30。いきなりホテルのグレードがUPしてしまい、なんとマリオットホテルに宿泊。ふかふかベッドが気持ちいい〜いろいろと豪勢だったのだけど、海路郎さんもこの日から調子を崩し、二人ともあまりホテルライフを満喫できず・・・モッタイナイ。

マディーナの町並

ホテルの窓から。
マディーナはマッカよりずっと"街"。

 

2月5日 (Dhul. Hijjah 14) クルアーン印刷所見学・預言者モスク訪問(マディーナ泊)

 朝食にハム!!超久しぶり!!サウジで豚はありえない!!!ので久しぶりに堪能〜日本でもターキーとかチキンとかビーフとかのハム、売ればいいのになあ。

  10:00にロビーに集合し、国立クルアーン印刷所を見学する。なかなか面白かった。設備はハイテクかつローテクで、敷地は広大。最後にはテープのクルアーンとクルアーンをそれぞれお土産にいただいた。

クルアーン印刷所

クルアーン印刷所で説明してくれたおじちゃん。

 昼過ぎにホテルに戻り、ズフルの時間が近いので部屋でウドゥーして、今度は預言者モスクに出かける。広くてキレイでマッカのハラームモスクとはまた違った感じ。希望者はズフルの後、預言者モスク拡張工事事務所を訪れ、工事現場を案内されたようだけど、疲れてたので私はホテルに戻った。マディーナはマッカより大分涼しい。つか、寒い。

預言者モスク

預言者モスク。
緑のドーム部分の下は1400年前からある。

 工事見学から戻ってきたら海路郎さんは高熱を出してしまった・・・手まで熱くてT_T
 後で聞いたところ、どうも(ムスリム的表現じゃないけど)三途の川を渡りかける夢を見ていたようだ・・・よかった、引き返してきてくれて。

2月6日 (Dhul. Hijjah 15) ジェッダへ(ジェッダ泊)

 明日、団体行動でジェッダに移動すると、400KMのバス旅の後、8時間+6時間のフライトになる。昨夜高熱を出した海路郎さんにそれは辛い。幸い、明け方には熱が下がっていたので、ジェッダに実家があるグループリーダーさんの行動に便乗し、一足先にジェッダに向うことにした。

 預言者モスクでファジュルの礼拝をし、朝食をホテルで済ませ、7:30にジェッダに向けて出発。途中休憩しながら、12:20にはジェッダに到着した。やはり移動で負担がかかったのか、海路郎さんはまたもや高熱。ホテルでずーっと寝てることに。

ジェッダの町並

ジェッダは都会。

 

2月7日 (Dhul. Hijjah 16) 帰国の途に着く(機内泊)

 昨日一日寝てたことが効いたのか、海路郎さん復活モード突入。14:00にピックアップしてもらい、空港へ。ハッジ専用到着ターミナルで他のメンバーと合流した。出国手続きは通常のターミナルで行われた。久しぶりに見た自分のパスポートに見慣れないシールを発見。どうやら、ハッジに参加することで支払うハッジ税の領収書らしい。なんと、ハッジに参加するために600SRの税金を払うんだとか。私たちの分は王様が支払ってくれたそうだけど、高いなあ・・・でもあれだけのテントとかいろいろ維持費かかってるんだろうと思うと、仕方ないのかなぁ・・・

 ゲートを通る直前にザムザムの水が入ったタンクは、専用のビニール袋でラッピングしないと機内に持ち込むことも預けることもできないことが判明。一つ5SR。いいお商売だわ・・・

5SRしたビニール袋

写真取る前に開けられちゃった・・・。
5SRのビニール袋。

 サウジの空港ではなんと、身体検査も男女別。男性は通常通り門をくぐって金属検査を受けるのだけど、女性は別室に通され、女性検査官に調べられる。まー女性は女性、なのはいいんだけど、どうしてもこちらのほうが時間がかかるので、持ち込み手荷物が外で待ちぼうけくらうのがチョットね・・・チェックインした後、待合室で東京インドネシア大使館のグループと会う。なんと同じフライト!! 異国の地で知ってる顔に会うと凄くびっくりしてしまうわ〜

2月8日 (Dhul. Hijjah 17) 成田着

 JEDを7日の18:15に出発し、KULでトランジット2時間、NRT着が18:35。時計の上では丸一日かけて帰ってきた。関東に住んでるメンバーとはまた会うこともあるだろうけど、関西や札幌から参加していたメンバーと次に会えるのはいつのことかしら・・・インシャアッラー、また会えるといいな。

 アルハムドゥリラー、同じフライトだった大使館組の車に便乗し、成田から2時間ちょいで目黒に到着。電車とタクシーを乗り継いで、やっと家に着いた。んー狭いながらも我が家はやっぱり我が家だわ^-^

2月9日 (Dhul. Hijjah 18)

 荷物を解いて、少しずつ日常気分に戻る。12日には仕事にも行かなくちゃ。

 頭ではハッジは1回で十分(疲れるし、空気悪いし、大変だ!!!)という声がするんだけど、よーくよく耳を澄ますと「もう一度行きたい!!」という心の声が聞こえて、すごく不思議。忘れられない不思議な体験、というか、ハッジの時期はアッラーが近くにいらっしゃる、というか、なんかそういうところにホント、「呼ばれる」っていう表現がぴったりなんだと思う。行きたい、だけじゃ行かれないし、「行くぞ!」てずーっと準備してたわけじゃなくとも行けてしまったり。やっぱり、カーバはアッラーのお家だから、家主(アッラー)が訪問者(人間)を招待することによってハッジが成り立つのかな、と思ってみたり。ご自分のお家はご自分で守れる御方だから、当然、訪れる人間もご自分で選ばれるのでしょう。今年のハッジに参加でき、無事戻ってきたことに感謝。アルハムドゥリラー。

 自分の中で何が変わったかはわからないけど、義務を一つ果たしたことで気持ちがすっきりした感じ。一度行ったのだから、次は(お金にしろチャンスにしろ)まだ行っていない人に譲るべき、と思いつつ、なんとなくまた行きたい気分になっているcizmaです。せめてウムロには空いてる時期に落ち着いて行ってみたい・・

 *その後*
 12日間の滞在中ずーっとヒジャーブしてたら(サウジだからね、否応なしっす)、ヒジャーブしたままでも意外と(?)生活ってできるんだなーと遅まきながら気づきました。帰国後はなんとなく帽子やらバンダナやらを被り、最近はヒジャーブ率が高くなってます。日本人に見えないことに気づいてからは、さらに怖いものなしです^^;