- 第17回プンチャック・シラット世界大会 + α -

 2016年12月3日から8日までインドネシアのバリで開催された第17回プンチャック・シラット世界大会に参加してきました。毎回のごとく、公式発表では過去最大規模の参加国(=40)とアナウンスしていますが、実際はどうなんでしょうか。
 恒例の(?)大会記録をメインに旅行記をば。

第17回プンチャック・シラット世界大会概要
 (1)大会について
 (2)大会参加国
 (3)大会日程
 (4)競技種目
 (5)競技結果

大会こぼれ話・裏話
 12月2日(金):一路バリへ
 12月3日(土):審判復習講習会、開会式
 12月4日(日):試合開始、審判初め
 12月5日(月):長い一日
 12月6日(火):フェス、試合、歓迎夕食会
 12月7日(水):準決勝と演武部門決勝
 12月8日(木):閉会式に大統領
 12月9日(金)&10日(土):ロンボック1泊2日
 12月11日(日):帰国

第17回プンチャック・シラット世界大会(3~8th Dec. 2016)概要

第17回大会について

 2015年の前回大会閉会式では「次回大会はオーストラリア」と発表されていましたが、結局インドネシアでの開催となりました。参加国・選手のビザ、運営にかかる財政などをオーストラリアがクリアできなかったようです。

 参加国数は開会式のスピーチによれば40(一部報道では42)、開会式で入場行進した旗は38、実際の選手団数は36。参加国数はcizmaが記録をつけはじめてから最大です。がしかし、相変わらず公式と実数に差がある…

会場

開会式

第17回大会参加国 (全37ヶ国**)

 ヨーロッパ諸国(13) : アゼルバイジャン(M3)、ベルギー(F3)、エストニア(M2)、フランス(M1F1,MT,FT)、ドイツ(M6,MT)、オランダ(M7F2,MT,FT)、ロシア(M3F1)、スロベキア(M2)、スペイン(M3,MT)、スイス(M1)、トルコ(M3,MG)、ウクライナ(M2)、イギリス(M5)
 東南アジア諸国(9) : インドネシア、ブルネイ(M4,MT,FT)、ラオス(M2)、マレーシア(M10F6,M;TGR,F:TGR)、フィリピン(M9F3, M:TG, F:TGR)、シンガポール(M9F5, M:TGR, F:TGR)、タイ(M11F7,M:TGR, F:TGR)、東ティモール(M6F1)、ベトナム(M11F7, M:TGR, F:TGR)
 アジア諸国(8) :インド(M7F1,MT)、イラン(M7F6,MT)、キルギスタン(M2)、ネパール(M3)、パキスタン(M5)、韓国(M7, M:TGR)、ウズベキスタン(M3F1)、日本(M2,FT)
  アフリカ大陸(4) :アルジェリア(M9)、エジプト(M1)、セネガル(M1)、南アフリカ(M1)
 その他(3) : オーストラリア(M3F1)、スリナム(M3,MT)、アメリカ(M2,FT)

 *トーナメント表・結果一覧が届いた各国の登録人数を計算した。最終的に試合部門男子選手167名、女子選手52名、演武部門男子選手46名、女子選手39名の総計304名参加があった大会となった。フェスティバル参加者(男子35名女子10名)を足しても延べ人数349名、と選手の数だけでは公式発表の500人には遠く及ばないが、各チーム2名以上のオフィシャル(チームマネージャー、コーチなど)がいると仮定すれば、スタッフを含め発行したIDカードの数は500に近いかもしれない。
 **公式では参加国数40ヶ国。これは事前に大会参加案内を送付した国=シラット協会がある国を指す。本表では選手を派遣した国を参加国とした。なお、開会式に旗があって選手・審判ともに不在だったのはカザフスタンとミャンマーの2ヶ国。事前の新聞記事に名前があり、閉会式に旗がなかったのはイスラエル、パレスティナ、ブラジル。

第17回大会日程

  初日からスケジュールの繰越が発生したこと(原因は本文にて)、参加人数が多かったことなどから一日が長く、過去にない缶詰状態。基本的な行動パターンは・・・

6:30-7:00   朝食
7:30       ミーティングルーム集合、ブリーフィングの後、会場へ
9:00-12:00   午前の部開始(予定)
12:00-14:00   昼食
14:00-18:00  午後の部開始(予定)
18:00-19:00   夕食
19:00-22:00  夜の部開始(予定)
23:00過ぎ    帰ホテル

 審判団は宿泊先がチームの宿泊先と相当離れていた。どうやら当初はチーム宿泊先から徒歩圏内の同グループのホテルが予定されていたようだが、なにか手違いがあり、車で5分ほどの距離にある別ホテルが宿泊先となっていた。チーム宿泊先・審判宿泊先共に会場から車で30分程度の距離であったため、昼食・夕食は会場に設置された食堂にて提供された。

日付 イベント
2(水) 選手団到着
3(木) 選手登録、テクニカルミーティング・組合抽選、開会式
4(金) 試合部門1回戦
5(土) 試合部門2回戦
6(日) 試合部門準々決勝、演武部門予選 + フェスティバル ペア部門
7(月) 試合部門準決勝、演武部門決勝 + フェスティバル チーム部門
8(火) 試合部門決勝、閉会式

競技種目

 プンチャック・シラットの試合には大きく分けて、体重別の階級で打ち合う試合部門と規定の型を競う演武部門とがある。今大会では以下のクラス/型でそれぞれの技が競われた。黄色は日本選手が参加したクラス。

 
 1.男子試合部門(Tanding)
  Aクラス - 45kg以上50kg未満
  Bクラス - 50kg以上55kg未満
  Cクラス - 55kg以上60kg未満
  Dクラス - 60kg以上65kg未満
  Eクラス - 65kg以上70kg未満
  Fクラス - 70kg以上75kg未満
  Gクラス - 75kg以上80kg未満
  Hクラス - 80kg以上85kg未満
  Iクラス - 85kg以上90kg未満
  Jクラス - 90kg以上95kg未満
  Open - 85kg以上
 
 2.女子試合部門(Tanding)
  Aクラス - 45kg以上50kg未満
  Bクラス - 50kg以上55kg未満
  Cクラス - 55kg以上60kg未満
  Dクラス - 60kg以上65kg未満
  Eクラス - 65kg以上70kg未満
  Fクラス - 70kg以上75kg未満
  Open - 65kg以上
 
 3.男子演武部門(Seni)
  Tunggal (ソロ)
  Ganda (ダブルス)
  Regu (3人チーム)
 
 4.女子演武部門(Seni)
  Tunggal (ソロ)
  Ganda (ダブルス)
  Regu (3人チーム)

 今大会では上記の競技プンチャックシラットの各種目とは別に、演武を競う「フェスティバル」が併催された。ペアは3分、チームは5分を演武時間と規定されている。また、ペア・チームともに競技プンチャック・シラットで競われる演武部門規定型を動きに盛り込むことは禁じられている。その他に大きく競技の演武部門と異なる点は、1)音楽をつける 2)チーム構成人数は3〜5人と幅があり、男女混合も可 の2点。表には参加国名を記載した。なお、採点は1位2位といった順位づけではなく、「最優秀賞」「優秀賞」といった形で行われる。日本チームは「最優秀衣装賞」を受賞した。

 
 1.男子ペア
   スリナム
   トルコ
   ドイツ
   インドネシア
   スペイン
   フィリピン
   イラン
   シンガポール
   韓国
 
 2.女子ペア
   インドネシア
   フィリピン
   シンガポール
 
 3.チーム
   日本 (女子2男子1)
   インドネシア(男子5)
   スペイン(男子5)
   シンガポール(女子2男子3)
   韓国(男子3)

競技結果

 試合部門ファイナリスト36名の内訳はインドネシア10、ベトナム9、タイ6、マレーシア4、シンガポール2、ラオス・オランダ・ベルギー・アゼルバイジャン・フィリピンが各1名。最終的にメダルラリーは金12を獲得したインドネシアが総合1位となりました。試合部門6+演武部門6の結果なので、過去の成績から言えばまずまずの鈍伸といったところ。試合部門の金メダルだけを見ても、インドネシア6、ベトナム5、マレーシア3、シンガポール2、タイ1、ベルギー1であり、演武部門の結果を抜きにしても金メダル数でベトナムに逆転されているわけではないので、まあ、順当な総合1位と言っていいでしょう。なんと言っても開催国ですしね。
 ベトナムが試合部門での勝率を下げている印象を受けました。タイは決勝進出者の数を増やしてますが、最後の最後でちょっと勝てないですね。演武部門の結果は審判の好みが少々出ますが、マレーシアが以前よりずっと高得点を取るようになってます。シラットをしてるか、と言われると「?」ではありますが、新規参入にも関わらず、アルジェリア・イランは試合部門で点を取る動きのできる選手を派遣していました。インド亜大陸は…本文にて。

 演武部門も含め、参加選手が増えると「組合せ抽選の運」というものが大分作用します。1回戦のデータがないので、最低何回勝てばメダルだったのかがわからないのが残念です。確かOPENクラス男子は1回勝てば銅メダル、OPENクラス女子は勝たなくても銅メダル。エントリー数の多いDクラス男子で銅メダルを獲得したアメリカ選手は2勝1敗で銅メダルだったように記憶しています。

部門 種目 結果
男子試合 Aクラス 1.タイ 2.インドネシア 3.ベトナム、シンガポール
Bクラス 1.インドネシア 2.ラオス 3.ベトナム、スリナム
Cクラス 1.インドネシア 2.アゼルバイジャン 3.ベトナム、スリナム
Dクラス 1.マレーシア 2.インドネシア 3.タイ、アメリカ
Eクラス 1.マレーシア 2.タイ 3.オランダ、インドネシア
Fクラス 1.ベトナム 2.タイ 3.シンガポール、インドネシア
Gクラス 1.ベトナム 2.インドネシア 3.タイ、韓国
Hクラス 1.ベトナム 2.フィリピン 3.アルジェリア、シンガポール
Iクラス 1.シンガポール 2.インドネシア 3.ベトナム、ロシア
Jクラス 1.シンガポール 2.ベトナム 3.マレーシア、インドネシア
Open 1.ベトナム 2.オランダ 3.イギリス、タイ
女子試合 Aクラス 1.ベトナム 2.タイ 3.フィリピン、イラン
Bクラス 1.インドネシア 2.タイ 3.イラン、ベトナム
Cクラス 1.インドネシア 2.ベトナム 3.シンガポール、タイ
Dクラス 1.インドネシア 2.ベトナム 3.シンガポール、マレーシア
Eクラス 1.マレーシア 2.ベトナム 3.インドネシア、オランダ
Fクラス 1.ベルギー 2.マレーシア 3.ロシア、タイ
Open 1.インドネシア 2.タイ 3.ベトナム
男子演武 Tunggal 1.インドネシア 2. シンガポール 3.マレーシア
Ganda 1.インドネシア 2. マレーシア 3. シンガポール
Regu 1.インドネシア 2. ベトナム 3. シンガポール
女子演武 Tunggal 1.インドネシア 2. ベトナム 3. タイ
Ganda 1.インドネシア 2. マレーシア 3. ベトナム
Regu 1.インドネシア 2. ベトナム 3. シンガポール

大会こぼれ話・裏話

12月2日(金):一路バリへ

 2015年1月に行われた前回世界大会から2年経っていませんが、第17回世界大会が開催されます。第16回大会は本来であれば2014年末開催でしたから、「2年に1回」の原則から外れてはいない、という解釈なのでしょう。ちょっと強引な気もしますが…
 さて、普段は大会初日に先立って審判講座が行われるので、cizmaはチームより先に現地入りします。しかし、今大会で実施されるのは審判講座ではなく「復習講習会」のため、大会事務局が指定してきた審判の現地入り日はチーム到着日と同日でした。久しぶりにチームとして空港を出発します。 

 利用航空会社はガルーダ。最大のムスリムマジョリティの国のナショナルフラッグらしく、機内食は「イスラム教の調理過程を経て提供して」いると案内にあります。それでも特別機内食の選択肢に「ムスリム」というのがあったので、選んでみました。こうなってくると、もうただの趣味。
 機内食の後、到着の少し前におやつが配られました。MOML指定のcizmaがもらったのはバナナ。他の方々は明治エッセルスーパーカップバニラ味ミニ(スーパーカップがミニとはこれいかに)を配られていたようです。小腹が空いた身にはアイスよりバナナでいいんですけどね…バナナか…

行きのムスリムミール。カレーじゃない!
ムスリムミール

 大型手荷物=トヤを無事に受けとり、両替を済ませ、現地SIMカードも手に入れ、外に出ます。大会に参加するたびに送迎係とうまく会えないことが多く、今回も少々不安ではありました。が、同時間帯にアゼルバイジャンや韓国が到着するなど、参加者の”集団”ができあがっていると送迎係も見つけやすいものです。問題なく合流することができました。バスでチームの宿舎に向かいます。
 チームの宿舎に到着したはいいものの、審判の宿舎はここじゃない。ホテルは到着したチームの受付、部屋割りでてんやわんや、誰に審判ホテルに連れて行ってもらえばいいものやら。とりあえず受付に声をかけてみます。曰く「え、審判?そういえばここじゃないですね。少し待っててもらえますか」。待つけど。待つけども。
 そうして待ってる間、到着チームを捌く担当者の中に顔見知りを発見。声をかけたところ、彼女は裏方とりまとめ役として、大会期間中の足(車&運転手)をあてがわれてました。ありがたいことに、その車にcizmaを審判用のホテルへ送り届けるように指示してくれます。

 審判用ホテルに着いて見れば、どうやらちょうど夕飯が終わったところ。荷物をレセプションに預け、一人夕飯を取るつもりが、まずはミーティングだ、と会議室へ拉致られます。会議室で自己紹介、大会を通しての注意事項が言い渡された後、解散となりました。審判団は久しぶりの顔、ベトナムで会ったばかりの顔、初めましての顔、いろいろです。彼らとともに大会の1週間を過ごすことになります。

12月3日(土):審判復習講習会、開会式

 昨日のアナウンスでは7時半にホテルを出て、大会会場で復習講習会を行う、ということでした。結論から言えば、若干のゴム時間。復習講習会が始まったのは8時半でした。
 昨夜の会議室に居なかったメンバーもおり、再度自己紹介が行われます。審判団はお馴染みの東南アジア諸国(インドネシア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、フィリピン、タイ、ベトナム、ラオス)に加え、オランダ・フランス・イギリス・アメリカの欧米諸国と日韓の東アジア2か国から構成されました。世界連盟はオーストラリア、パキスタン、イエメンの審判にも召集をかけたそうですが、それぞれ家庭の事情、国情により渡航を断念したようです。

復習講習会、ケーススタディ中
リフレッシュメント

 採点に必要な一通りの復習を終え、解散となったのは13時。予定より早く終わりました。事前の話ではホテルに戻れなかった場合はそのまま開会式に参加する、ということでしたが、これで汗を流してから開会式に臨むことができます。

 予定より30分ほど遅れて会場に到着し、特設テントにて夕食を取ります。その後、開会式の席探し。夕食前に案内されたのは、フロアの準VIP席。夕食後に会場に向かうと観客席のチーム席に案内されます。よくよく確認すると、会長はチームと一緒に入場行進をしても、席に座って開会式を楽しんでもいいとのこと。せっかくですから、準VIP席に座って間近にいろいろ見たいものです。てんやわんやの舞台裏を駆け回るLOを捕まえ、なんとかフロアに通してもらいました。

 19時に始まるという開会式が始まったのは19時半頃。ずーっとスタンバイさせられいた鼓笛隊が気の毒でした。裏で待たされていたチームも大変だったのではないかなぁ。  ビッグゲストのPERSILAT会長プラボウォ氏を迎え、開会式は軍隊式マーチングバンドの演奏で始まります。そういえば、開始前に「携帯の電源はお切りください」との指示がありました。おとなしく従いコンデジで記録を取りましたが、あれはなんでだったのかな。観客席の人は割とガン無視で携帯で撮影していたように見えましたしね。

会長到着
会長

着ぐるみ?
バンド

その後、メジャーな伝統流派によるパフォーマンスが行われました。技を披露したのは 1. PERSINAS ASAD 2. PSHT 3. PERISAI DIRI 4. SATRIA MUDA INDONESIA(SMI) の4つ。特に最後のSMIは会長がプラボウォ氏ということもあり、相当気合の入ったパフォーマンスでした。他の3つが型や組手披露のところ、SMIはバリエーション豊かに呼吸法からブロック割までやってましたからね。でもブロック割はブルーシート敷いてほしかったなあ・・・

ブルーシートを敷かないから…
ブルーシート

 パフォーマンスがひと段落した時点で20時過ぎ。ここから40か国(実際には38か国)と審判の入場行進です。最小チームはエジプトの1人。旗だけが入場してきたのはカザフスタン、キルギスタン、ミャンマーの3ヶ国。(キルギスタンは試合に選手が居たので、到着が間に合わなかっただけでしょう)
 全員が入場すると、バリらしく歓迎の舞踊が行われました。その後、クルアーン読誦、ドゥアーと続き、大会実行委員長の挨拶へ。挨拶によれば40か国500人以上の参加者を迎えた、過去最大規模とのこと。開会式の度に「過去最大」を更新していて、威勢のいいことです。委員長挨拶の後は(多分)バリ知事挨拶、さらにPERSILAT会長の挨拶、そしてスポーツ文化大臣の挨拶。挨拶4連荘、終わったの21時。ここから審判と選手による宣誓が行われ、その後、選手退場となりました。選手は18時半くらいからスタンバイし、1時間以上待ちのまま、入場して1時間挨拶を聞き、やっとの退場。明日午前の試合を引き当ててる選手は参加してないんじゃないかしら。

会長挨拶
会長挨拶

審判・選手代表による宣誓
宣誓

 しかも退場して開会式終了ではなかった・・・インドネシア代表選手を含むシラット演武とロンボックのプリサイアン(Prisaian)、バリを本拠地とする伝統流派 BAKTI NEGARAによるケチャやランダ、バロンを組み入れた劇仕立ての演武が行われ、全て終わったのは22時。

ロンボックのPrisaianはコミカルだった
ロンボック

劇仕立てなパフォーマンス
バクティヌガラ

最後のパフォーマンスの数々は確かに見応えのある、クオリティの高いものでしたが、いやー疲れた。

12月4日(日):試合開始、審判初め

 遅くまで行われた開会式のため、若干寝不足な朝。7時半にロビーに集合、ブリーフィングです。ここで審判の班分けが発表されました。いつもながら、出身国や経験値、性別などを考慮しバランスよく配分されています。本日から初日を迎えるということで、審判たちに採点やレフェリーを務める上での注意点が改めて申し渡されました。さらに、昨晩各チームに配布されたスケジュールが変更になる、ということもアナウンスされます。
 インド亜大陸の某国、まあ、パキスタンなんですが、そこが後出しジャンケン状態で組合せ抽選やり直し、と。詳しいところはわかりませんが、聞いたところをつなぎ合わせると・・・ 1)パキスタンはチームとして参加登録を行った後、〆切までに登録選手氏名を送ってこなかった。2)組合せ抽選会にチームマネージャーあるいは代理人の出席がなかった 3)選手氏名=参加クラスがわからないので不在で組合せ抽選に参加させることもできない 4)開会式には間に合った=試合する気満々 と。 つまり、既に出来上がった組合せ表のうち、パキスタンが参加するクラスのみ「再抽選」になり、そのためスケジュールも変更になる、とのことでした。ただし、これは他の全チームの同意を前提としています。まあ、拒否るチームはいないでしょうが。
 そんなわけで、試合開始前に全チームマネージャーを招集しての経緯説明、同意取り付け、その後、パキスタンを交えての再抽選が行われる予定であることが知らされました。これで確実に開始時間が遅れます。

会場までの道、会場は幟だらけ
道中

会場

 会場到着後、全チームマネージャーが集められ、事情説明がされました。予想どおり同意が得られ、今度はパキスタンのチームマネージャーが呼び出しを受けます。…居ないんですけど。来ないんですけど。何回呼び出しされてるんだ、オヒ。なんだかなあ。再抽選が終わり、新しいスケジュールが出来上がり、第一試合の開始されたのが10時半。当初予定では9時開始でしたから、1時間半押しました。これが後あとまで大きな爪痕を残すことになるのです。午前中に10試合やる予定が半分の5試合しか終わりませんでしたからね。

 初日から日本選手の試合が行われました。午前は男子Dクラス、対トルコ戦、押され気味に始まったものの、後半に盛り返し逆転。点差はあまりないけれど、このまま勝てるかな・・どうかな・・・と期待したのですが、残念ながら直前までの減量が響き、スタミナ切れ。技術や経験にあまり差がない場合、スタミナ勝負になりますね。
 もう1名の選手は午後、隣のアリーナで試合となりました。こちらは男子Cクラス。パキスタン乱入再抽選の結果、対戦相手が東ティモールからブルネイに変更になっています。どちらも格上ですが、正直、まだ東ティモールの方がよかった。案の定あまり点を入れられないまま終わり、結果として日本選手は2名とも初戦敗退となりました。

 この日の個人的ハイライトは自分の世界大会レフェリーでびぅ、でしょうか。前回大会ではでびぅし損ねた(不戦勝試合になってしまった)ので、初レフェリー@世界大会、対戦カードはインドネシアvsマレーシア。シラットに”慣れてる”同士の対戦カードの方が事故や不測の事態発生の確率が低い、という配慮が働いています。レフェリーとしてやりやすい試合を当ててくれたなあ、と思いました。ド緊張はしましたが、実際、やりやすかったです。
 これ以外は、ほぼ2試合に1回は採点に入るという状態が続きました。対戦カードの問題がない審判(*当該試合の選手と同国出身審判は使えない)というのは、大体いつもこんな感じで、大忙しになります。

昼休みに訪れたモスク。バリの葬列が前を通る。
ビネカ・トゥンガル・イカ
葬列道中

 午後のネタとしては、ネパールとパキスタンでしょうか。インド亜大陸が毎回ネタを提供してくれるのは、なんでなんでしょう。なにがあったかといえば、どちらも体重が規定枠に収まっていなかった…
 パキスタン曰く、「このクラスの選手はBではなくAだ。名前を間違えている。」 聞いた話をまとめると、パキスタン選手は続き(連番?)で選手登録をしていました。選手Aが体重50-55、選手Bが体重55-60、選手Cが体重60-65、選手Dが体重65-70にエントリー、ということです。(具体的なクラスは忘れたので体重は仮)ここにきて、一番の有望株、勝利を期待された選手Aが体重オーバー。そこで繰り出したのが、体重55-60は選手Bになっているが、これは選手Aの間違いだ。全員、1階級ずれて書いてしまった。選手Aは体重オーバーではない、と。体重がどうして問題になるかと言えば、規定体重に達しなければ即失格となるからです。氏名の入れ替えが認められれば、とりあえず選手Aは後日、体重55-60のクラスで試合をすることができます。連盟脱退をちらつかせながら氏名入れ替えを認めろ、と迫ったとかなんとか。結論はいったん持ち越され、既に試合を始めるばかりとなっていた対戦相手(インドネシア)と配置についていた審判・レフェリーは撤収しました。
 次にネパール。対戦相手(韓国)、審判・レフェリーすべて試合開始を待つばかりになっても、現れません。通常であればこのまま韓国の不戦勝なんですが、その手続きが取られる気配がなく、こちらも全員撤収となりました。ネパールは体重オーバーだったそうで、パキスタン同様に人の入れ替えを主張しているとか。
 こうしてみると、おとなしく体重オーバーによる失格を受け入れることでネタを提供してくれていたインドは大人だったんだな、と思います。東の島国からみると、なんていうか、ゴネ得上等なメンタリティには圧倒されます・・・対応するのが面倒く(以下自粛) あ、でも、主張が通らなかったからといってネチネチしないのは、素晴らしいと思います。

 こうして2試合は実施しなかったにもかかわらず、待ちの態勢で時間だけは消費し、午後は13試合しか消化できませんでした。午前からの持越しを引くと、午後の分は8試合しかできていません。3試合分(実質は5試合)持ち越したまま夜の部、どうなるんだろう。

 さて、夜の部は19時に開始です。夕飯前に夜の部のスケジュールが各チームにアナウンスされたようで、食事の後、試合がないと判断しホテルに戻った選手も多かった様子。そして、これが裏目に出たチームがいくつか。この話は後に回すとして、夜の部で審判の話題をさらったのはイラン。
 隣のアリーナで試合の予定だった、まだあどけなさの残る男子選手。どうやら体重がほんの少しオーバーしていたようです。会場を走り回り、サウナスーツ代わりにゴミ袋(黒いあれ)を着込んで縄跳び、さらには薄手の道着をインドネシアから借り受け(計量時は道着着用が義務)、再計量。どうやら規定枠に収まったようです。がしかし・・・悲しいかな、この時点ではもう、彼の試合は終わっていました。そう、体重オーバーを理由に彼は既に失格、対戦相手の不戦勝がアナウンスされていたのです。少年が大騒ぎして、体重をほんの少し落としている時間の出来事。もちろん、ルールに則った結果ではあります。計量は試合15分前に行われ、再計量・体重調整の時間は与えられず即時失格、がルールなのです。少年、それを知らされた時に天を仰いでました。まあもう少し早くに自主計量していれば、計量時間までに体重を落とすことは可能だったのでしょうが、体重オーバーに気づくのが遅すぎました。ゴミ袋まで被ったのに…。ていうか、誰も即時失格を伝えなかったのか。あるいは少しの時間を稼ぐ交渉をチームはしなかったのか。

 この夜はどうも夕食休憩の前にアナウンスされたスケジュールと、その後の調整が入って実際に行われたスケジュールが違ったようです。「夜の部はない、午後の部の持越しが終わったら本日は終了」と聞かされていた様子。そのため、夜の部のスケジュールに入った第1試合、フランス対アルジェリア、フランスチームが会場にいません。フランス審判が「フランスチームはホテルに戻っている。こちらに向かわせているので試合の順番を変えてほしい」とネゴ。これが認められ、会場に選手が揃っている対戦から実施されることになりました。
 日本選手の試合は既に終わっていますが、気になってスケジュールを見てみると懇意にしている南アフリカの試合が組まれています。念のため連絡してみると「え、今夜試合があるなんて聞いてない」。嫌な予感があたり、彼らもまたホテルに戻っていました。チームが小さいほど、ホテルに戻っていたようです。会場に残って応援する選手もいませんし、まだ1回戦なので見所のある試合も少ないですからね。
 試合の進行を管理する担当者に南アの不在とこちらに向かっている旨を伝えました。呼び出しに応じない選手は失格になりますが、スケジュール伝達の不備は全員が承知しているところです。幸い、不在に気付いたのが直前ではなかったため、タクシーを飛ばした南アチームはなんとか間に合いました。
 そして、本日最後の試合は後回しにされたフランス対アルジェリア。進行上はアゼルバイジャン対フィリピンが最後の試合でしたが、これはフィリピンの不戦勝に終わったので、審判としてはフランス対アルジェリアがラスト。この時点で本日の終了予定時刻22時。6試合分を明日に持ち越して、解散となりました。

 cizmaの配属されたアリーナ2だけで、今日は4件のノーゲームが発生しました。まだ1回戦なので怪我によるものではなく、全て体重が原因です。ゴネてる2件も含めれば、30試合のうち6件で体重が規定外。5試合に1試合か・・・多いなあ。やらかしたのは未遂(?)も含め、パキスタン、ネパール、アルジェリア、韓国(2名)、アゼルバイジャン。日本もギリギリだったしな。まあ、インドネシア料理おいしいから食べ過ぎちゃうよね。

12月5日(月):長い一日

 朝、ホテルのロビーにてミーティングが行われました。昨日の結果・経過を踏まえて、審判に対して注意事項の徹底が図られます。 1)場外に出た場合の指導・減点を徹底すること 2)首・頭部に手をかけてジャトゥアン(倒し技)を行わせないこと 3)倒し技をかけた方が体勢を保てなかったジャトゥアンは有効としないこと 4)採点機のボタンを長押しすると二重に点が入るので注意すること の4点が強調されました。また、昨日はパキスタン、イラン、ネパールが規定による失格を受け入れなかったため、進行に時間がかかり、ひどくスケジュールが押していることも共有されました。今日はこの遅れを取り戻すべく、ちゃっちゃとやりますよ!とのことですが・・・大丈夫かしら。

 午前に実施したのは7試合、うち6試合は昨日からの持越し分。今日の午前中に試合をする、とスケジュールを渡されていた選手たちは調整が大変だ。
 午前の試合で一番印象に残っているのはパキスタンvsアゼルバイジャン。競技シラットの試合部門では男女ともにファールカップの着用が義務付けられています。が、この試合のパキスタン選手はファールカップを着用していません。「大丈夫」と意思表示していますが、大丈夫とかそういう問題ではなく、着用が”義務”なのです。着用しないのであれば、服装規定不備の失格になります。失格は選択できないので、チームメンバーから借りたようですが、借りたのはカップの部分のみ・・・ええ、試合中に何度も外れて落ちました。そのたびに試合が中断され、会場になんとも言えない空気が流れます。本人も相当イラついていたようですけれども、繰り返しますが着用は”義務”なので、外してしまっては試合続行はできません。落ちるたびに拾い、着用し、また落とし。最終的には見かねたフィリピン審判が自国チームに声をかけ、落ちないタイプのファールカップを貸してあげていました。フィリピンチームが用意していたのは、下着一体型ではなくズボン(あるいは下着)の上から着用するタイプだったので、貸してあげる気になったのでしょう。ファールカップが容易に手に入らない国もあるとは思います。それでも、ルールはルールですし、なによりも選手の安全のための規定ですから、守ってもらわないと。

 そういえば隣のアリーナで行われる予定だったブルネイvsパキスタンの試合、パキスタン選手が体重過多(不足?)により失格になってました。昨日の大騒ぎの末、選手名の入れ替えというか、彼らの主張するところのエントリークラス記載ミスが認められ、4人のうち3人は試合ができることになったというのに、結局体重規定による失格って。もう一人はファールカップで会場を微妙な空気にし、残る一人は対戦相手にインドネシアを引き当て、1回戦突破はできませんでした。初めて大会に参加する国(チーム)ではないし、国際審判も居る国なのに、初歩的ミスが多いのはなんでなんだろう。

 2時間の休憩を挟み、14時から午後の部が再開されます。午後の部には大会初参加のエジプトが登場しました。試合開始前の型を見る限りでは、伝統流派タパ・スチを学んでいるようです。恐らく、インドネシア在住なのではないかと思います。初参加のアルジェリアもタパ・スチでした。タパ・スチは海外展開に積極的ですね。エジプト選手の試合結果は、レフェリーストップによる負け。対戦相手がベトナムでは、まあやむなし。
 今大会は参加国数が過去最大なだけあり、初参加な国が多くありました。初参加だとシラットというよりは「格闘競技」のコンバート丸出しで、構えや足運びで審判の指導・減点を受けることが多くなります。それでもアルジェリアはいくつか勝利を挙げていました。また、前回大会が初参加、今大会で本腰を入れてチーム派遣、といったケースも見られました。その代表格はイラン。前回大会では男子選手数人だったのが、今大会では女子選手も数人います。残念ながらcizmaのいたアリーナではイラン女子選手の試合が行われなかったので、どんな戦い方をしたのかはわかりません。でも、イラン選手の試合が実施されている間、観客席ではチームが一丸となって応援し、国旗を振り、選手がいい動きをすると「マーシャアッラー」を連呼していたのが印象に残っています。東南アジアムスリムは「マーシャアッラーってこういう風に使うの?」と、目を点にしてましたが。

 さて、午後で忘れてはいけないのは、自分の大ボケ。審判5として採点していた試合、終わった時には審判4でした。合議のためにレフェリーによって中央に集められた後、戻る席を間違えたのです。合議の後に席へ戻る際、審判5の席に向かったのですが、なぜかもう一人の審判と動線が被り、彼が先に席につきました。自信満々に先に座られた上、暑い会場で午後の部11試合目、採点以外への集中力が落ちている自分の記憶に確信が持てず、自分は審判5だったはずと思いつつも審判4の席に戻りました。座って視線をあげれば、どうにも先ほどまでと視界が違う。採点機を見れば、明らかに自分の採点じゃない。あーもうこれは完全に席が間違っている。試合再開前であれば、席の移動もできるでしょう。そう思って審判5席の彼や競技委員長、審判委員にアピールするも気づいてもらえず、試合が始まってしまいました。
 え、これどうすんの。他人の採点の後に自分の採点を上乗せなんかできないじゃん。アピールを続け、やっと気づいてもらえましたが、時すでに遅し。試合が再開されていることから席移動は認められず、そのまま任命された(=公式記録)のとは違う席で採点を続行することになりました。一瞬、移動が認められたのかと思い、席を立ったため、満場に着席ミスをアピールするというおまけつきで。穴があったら入りたいとはまさにこのこと。ないわー・・・ないわー・・・ありえないわー・・・こうして凹んだままさらに2試合実施され、午後の部終了。

 夕食休憩の後、19時半から夜の部が始まります。遅れを取り戻すべく、今日は予定を全てこなすまで終わらない、と事前にアナウンスされました。終了予定時刻は22時ですが、全て消化すると宣言された以上、恐らく23時くらいまでかかるでしょう。

 夜の部のハイライトはベルギー対ベトナム戦です。彼女、組合せ抽選で初戦にベトナムを引き当て、チームは相当がっくりきてました。彼女のクラスは登録選手の人数が多くはなく、1回勝てば準決勝=負けてもメダル獲得、2回勝てばファイナリストです。年齢的に今大会で引退のつもりで臨んでいるのに、まさか最初からベトナムではメダルが一気に遠のいた気持ちになったのでしょう。ベルギー選手はベテランですが、やはり大会数(経験値)・競技人口の多い東南アジア勢に比べると実力差は否めません。実際、第1ラウンドはボロ負けの予感、下馬評通りの実力差が点数に現れていました。それが第2ラウンドで逆転したのです。ベトナム選手がスタミナ切れを起こしていたようにも見えましたが、ベルギー選手が気持ちを奮い立たせたのでしょう。諦めないって大事です。結果、第2ラウンドの得点で総合の点差が縮まり、シーソーゲームとなりました。一発蹴りが入るごとに勝者が入れ替わるような動きのある試合は、見ている方も興奮してきます。それがジャイアント・キリングとあればなおさら、しかも喰われる側は開催国インドネシアじゃない。これは結構重要なところで、喰われる側がインドネシアだったら大歓声がインドネシアに、大罵声がベルギーに向けられていたことでしょう。しかし、この試合で金星を献上しそうなのはベトナムです。ベトナムに恨みはなくとも、会場はベルギー応援一色になりました。応援のあまりベトナムに対する罵声が飛んだのはいただけませんが、これはまあTIIです。会場の大声援を受け、試合はベルギー選手の勝利。ヨーロッパ勢がただの東南アジアではなく、”強豪”のベトナムに勝つ瞬間を目撃できたのは、間違いなく忘れられない瞬間の一つとなりました。

 そして、この日の夜は女子の試合が多かったため(注:女性審判は男子の試合を担当しないのが原則)、cizmaは再びレフェリーをする機会を与えられました。担当したのはフィリピン対タイ。失敗したとは思いませんが、あれでよかったのかな、と繰り返し思い出す試合になりました。リアルタイム(試合終了直後)の自分の書き込みには「場内で今大会初の失格負けを発生させた。(いままでのところは体重失格だった) 場外に出るというのは指導、注意1、注意2、警告1、警告2、警告3=失格の順で減点対象となる行為です。直前のミーティングで目こぼしするな、というお達しがあったので、遠慮なくいったらあっという間に一ラウンド目で累積失格してしまった... 前回大会の決勝で見たことのある結果だし、ルール運用を間違えたつもりもないけど、いい気持ちではない。もっとなにかできたかな、と思う部分もある。」とあります。場外に出たことによる失格負けでは、選手は不完全燃焼もいいところ。選手が場外に出ないようにレフェリーとしての位置取りや、場外に出る前に別の理由で流れを止める、など工夫できるところはあったように思えます。   
 ただ、この試合以降、(意図的・無意識問わず)場外に出る選手は格段に減りました。なんだ、皆、気をつければ場内だけで試合できるんじゃないの・・・

 本日の試合、全部終了したのは23時。それからバスに乗り込み、小腹の空いた審判たちのためにコンビニに立ち寄って買い物をし、ホテルに着いたのは0時前後。小腹を満たしてから汗を流し、就寝したのは1時を過ぎていたような。明日も早い&長い。

12月6日(火):フェス、試合、歓迎夕食会

 世界大会の第一報がもたらされた時には、フェスティバルは競技と全日程併催となっていました。しかし、参加国(チーム)が競技より圧倒的に少なく、また、開催種目も3つしかないため(ダブルス男女別、男女混合可チーム)、大会4日目の本日がフェスの初日です。当初は競技の合間(昼休みなど?)にフェスを行うのかと思っていましたが、全くの同時開催。これでは残念ながら、競技シラット関係者は観戦に行かれません。
 初の試みであるフェスについて、宿舎が同じだったフェスの審判に聞いたところ、競技との違いはLombaとTandingだ、と。この場合のTandingは競技種目”試合”としてではなく「競技」=competitionの意味です。つまり、フェスは競い合いの場ではなく”披露”の場である、とのこと。perlombaanはスピーチコンテストや詩の朗読会など「文」の競技会で使われる印象を持っています。対してpertandinganはスポーツなど「武」の競技会で使われてるような感じがしています。そういうわけでフェスはtandingではないのでjuaraを決めるのではなく、皆がなにかしらの「賞」をもらえるのだ、と言っていました。参加者が増えたら賞が足りなくなりそうですけどね・・・

フェスティバル会場
フェス

 競技シラットの会場に到着して、昨日までとの違いに気づきました。会場にエアコンが増えてます!やっほぅ!まあ、沢山の人が集まるので会場全体を冷やす、冷やさなくても快適な温度を保つのは難しいでしょうが、審判待機席周辺がいくらかでも過ごしやすくなれば満足です。

 淡々と進行しましたが、午前の部でやる予定の3試合が午後に持ち越しとなりました。さて、この日の審判の話題となったのは、昨夜のインドネシア対マレーシアの男子Iクラス。最初から見ていたわけではないのですが、大枠としてはインドネシアの攻撃がマレーシアに入り、マレーシアが倒れ、医師が続行可能と判断したものの、フラつきがあり、攻撃を受けることなくまた倒れ、そのままマレーシアがTKO負け、という試合。なぜこの試合が話題となったか。それはマレーシアのメディアが今日になって批判的に取り上げていたからです(夜の試合だったので、新聞記事としては今日の記事になる)。記事本文は読んでいませんが、要は「試合続行可能という大会医療班の判断はインドネシアに肩入れをした不適切なもの。実際は試合続行可能ではなかった。」という主張です。

 素人が遠目には「試合続行はないでしょ」と感じる開催国の対戦相手に対し、医療班が「続行可能」と判断を下す場面は、インドネシアに限らず何回か見ています。今回、なにが事を大きくしたか、それはレフェリーが医師による判断の出る前に減点をコールしてしまったからです。試合続行の可否に関わらず、攻撃が正当であれば、当然、攻撃をした選手の勝ちが近づきます。しかし、正当な攻撃ではない=攻撃エリア以外に技が入っている(意図的かどうかはともかく)などの場合、倒れた相手が試合続行可能かどうかが大きく勝敗に関わってくるのです。試合続行が可能であれば攻撃した選手は減点を受け、続行不可能であれば攻撃した選手は失格負けとなります。
 この試合で、レフェリーは医師による続行可否の判断の前に、攻撃をしたインドネシア選手に対して攻撃が正当ではなかった、と減点を与えました。そう、医師が「続行不可能」との診断を出せばインドネシアは失格=「負け」、マレーシアは「勝ち」となるのです。そして医師は「続行可能」と回答しました。場が荒れるのは当然です。
 試合再開後、軽く脳震盪を起こしているかのようなマレーシア選手のふらつく動きを見るにつけ、レフェリーストップ、あるいはコーチによるストップがかかるべきだと感じました。が、コーチに動きはないし(医師の診断がおかしいだろう、というアピールはしてる)、選手は続けようとするし、競技委員長は全て黙認です。とうとうマレーシア選手が倒れ、レフェリーによるカウントが入り、インドネシアのTKO勝ちで試合終了となりました。
 ともかく、脳震盪であれば、すぐに試合を止めるべきだと思います。安全第一。とはいえ、後から聞くところによれば医師が目をみて判断しようにも、マレーシアチームのスタッフから「目を開けるな!」との指示が飛んでいたため、選手が目を開けなかったとか。目を見て診断されたらシミュレーションがバレるからだ、と某国審判は語っていました。しかも、大会医療班ではなく、権限のないチーム帯同医師に続行可否を判断させようとしたとも聞きます。もうこうなるとどっちもどっち・・・
 それにしても、医療班が信頼されない競技ってなんなんだろう、と思います。あと、繰り返しますが、真偽はさておき脳震盪を起こしている(よう)なら即座に試合を止めるべきです。医師の判断が不適切で無理やり試合を続行させられた、というのであれば、コーチはタオルを入れることで試合を止められます。レフェリーストップだってできますし、また、競技委員長はそれを指示することもできます。どれも行われないまま、ふらつく足の選手がなにもないところでぶっ倒れ、病院行きとなりました。もうちょっと、怪我や頭を打つ(揺らされる)ことに対する危機感を持った方がいいんじゃないかなぁ、と思います。
 そして本当にシミュレーション行為であったり、医師が不適切な判断を行っていたのであれば、いつかオオカミ少年になってしまうのが怖い。

 さて、今日の夜には世界連盟会長主催の夕食会が開催されます。各国協会会長と1チーム4人までが招待されていますが、問題はこの夕食会開催時間帯には演武の予選が行われるということ。しかし、大会において”私”としては審判ですが、”公”としては日本プンチャック・シラット協会としての役割があります。午後の部の試合で審判スキルを磨き、また、本業である演武部門での採点をしたい気持ちはあります。が、ある意味チームである審判と違い、協会外交(?)には代打がききません。審判統括に相談の上、午後の早退、夕食会への出席を認めてもらいました。
 夕食会会場までは送迎バスが用意されました。それにしても、このバス、出発時間が二転三転したのには疲れました。早まったり遅くなったり。最初から実際の出発時間がわかっていれば、あと1時間以上は会場に居られたはず。まあ、言っても仕方のないことだし、いつものことといえばいつもの事ですが、少しでも長く会場に居たかったなぁ。この日、午後の部を早退し、夜の部を欠席した結果、試合を8つと日本選手の出番も含む演武部門予選を見損ねました。

 夕食会はスミニャックのMade's Warungを貸し切ってのバイキング形式でした。一通り「日本もいるよ」アピールをした2時間。ご飯はおいしかったです。デザートもあったし。ホテルに戻ったのは、夜の部が終わって戻った審判とほぼ同時。彼らの方が少し早かったくらいかな。

夕食会のホストにして最大のVIP
夕食会

 後から聞いた話ですが、演武部門予選は夜の部19時から、と予定されていました。しかし午後の部の試合が夜に持ち越されているため、試合が終了してから予選に入る=19時に始まらない、と聞かされたそう。それが予定通り19時から行われ、その後に持ち越した試合を実施する、と他のチームから聞かされたのが夕食を食べてる最中の19時すぎ。おいおい・・・
 演武部門は7人(チーム)以上が参加すると、その種目は予選となり、1プール上位3名が次のステージ(決勝)に進めるというルールになっています。今大会では15名がエントリーした男子トゥンガル(ソロ規定演武)、11名がエントリーした女子トゥンガル、8組がエントリーした男子ガンダ(二人組自由演武)が予選となりました。日本の女子トゥンガル選手はフィリピン、ベトナム、タイ、フランスと同組で、残念ながら上位3人に入ることはできませんでした。ちなみに、この組から決勝に進んだのはタイ・フィリピン・ベトナムです。

12月7日(水):準決勝と演武部門決勝

 予定どおりであれば、本日の日中にPERSILAT(世界連盟)の総会が開催されるはずでした。それが昨夜の夕食会において、会長の鶴の一声で開催なし、と。「特に議題もないでしょ?でも何かPERSILAT会長に相談したいことがある場合は、いつでも受け付ける。」とのことでした。議題がない、これは確かにそのとおり。毎回、何をしてるって各国の状況報告と顔合わせですからね。顔合わせは夕食会で済んでるわけですし、活動状況によって世界連盟から運営補助費が出るとかではないので、状況報告はしてもしなくてもなにが変わるわけでもないという…PERSILAT会長の任期はまだあったのかな?改選の時期だとしても、これは安保理常任理事国的なマレー4ヶ国の話し合いによる互選なので、全加盟国を集める必要はないのです。
 総会なしのおかげで、再び大会会場を抜け出す羽目には陥らずにすみました。

 さて、本日の予定は昨日から持ち越した4試合を含む準決勝14試合と演武部門決勝です。演武部門決勝の後には表彰式が予定されているので、審判としては少し早く解放されるかもしれません。

 いつまで付けてるんだといった感もありますが、まだまだレフェリーとして初心者マークが外せないと感じています。そのため、準決勝でレフェリーの任が回ってくるとは思ってませんでした。経験値を積ませないことにはどうにもならないので、1回戦、2回戦レベルでは使ってもらえましたが、メダルのかかってくる準決勝以降で任命されるとは完全に想定外、心の準備ができていません。そんな状況のところ、軽量級選手のスピードに置いていかれないように、とアドバイス(注意?)を受けて、送り出されます。いやもう、これは言霊かっていう。今大会=世界大会で3回目のレフェリーにして初めて、「やっちまった!」試合となりました。選手の動線に被ること2回、合議の後にジャトゥアンのポイントを上げる側を間違えること1回。声が小さいのか、いや、小さいのでしょう、選手にティ(ストップ、止め)を無視されること数回。
 ジャトゥアンのポイント間違えは、競技委員長のおかげですぐに訂正できた。声はがんばって大きくしたけれど、こればっかりは一朝一夕にはどうにもならず。選手の動線に被るという行為は審判として赤面もの、でも、やっちまったもんは仕方ない。そうならないように今まで気をつけていたけれど、今回は相手の動きが早くてついていけてなかった。でも、これもちょっとしたコツで回避できるミス。コツを教わったので、二度はやらない…と思う、うん、やりたくない。
 やっちまった感のある試合ではありましたが、何事も経験。勝敗を左右してしまうような致命的なミスではなし、先々への糧とするしかありません。

 午前の部が終わり、午後の部を始めようとしたところ、採点機械にトラブルが発生しているようです。IT班、必死に原因を探り、復旧に努めています。各審判から中央に送られるデータ、そこからスクリーンに反映されるまではなんとか元に戻りました。ここまで30分。
 時間通りに午後の部が始まらず、機械トラブルだということが外野にもわかる、さらにIT班は若者が主体。この状況に観客席からヤジが飛びました。「なんだよーしっかりしろよーこんなトラブル、開催国の名折れだ、恥さらしだぞー」「もうやめちまえ、そんなシステム。総とっかえだ!どっか壊れてるんだろ?」 聞いていて気持ちのいいものではありません。
 そして当然、IT班が切れました。「壊れてるのはお前の口だ。こっちは必死で直してるんだぞ、それを応援するどころかそんなヤジ飛ばしやがって、インドネシア語がわかる人間だって多いんだからな!」
 すっと空気が変わります。調子にのりすぎた子供が怒られたような、ふと冷静になって恥ずかしいけれど、今更引っ込みもつかないような、そんな声で「まー早く直せよ。試合が始まるの、待ってるんだからよ」と捨て台詞が聞こえました。

 結局、床に置いてあった誰かの飲み物が机の下の機械にかかり、部品交換をしたものの、一部にはスペアがなく、「時計機能」が死んだまま採点システムを運用するということになりました。正確には時計機能が死亡というよりは、ちょっと頭の悪い子みたいになった状態でしたが。14時開始予定の午後の部は、こうして15時少し前に始まりました。

 それにしてもヤジに反撃したIT班は凹んでましたね・・・IT班はいつも叩かれ役で大変です。そこへ彼らにとっては基本中の基本、「機械の近くに水分NG」を徹底できずにトラブルを発生させたことがショックだったようです。さらに言えば、ヤジに大人げなく強い調子で反論してしまったことも、あとからジワジワきているようでした。「ムスリムとしてあれはなかった」と。
 ギャーと言われたからギャーと返す。cizmaもよくやります。でもそれが火に油を注ぐのだから火には水で、柔らかく対応するのがスマートだし、それがシラットのやり方だ、と諭されること数知れず。これを理解はしていても、実行が難しい。IT班の「他に言い方・やり方があった」という気持ち、よくわかります。

 そんなトラブルはありましたが、試合部門は16時半前に終了。19時から演武部門決勝の予定でしたが、前倒しで17時から始めることになりました。
 cizmaは演武部門の全種目において採点を行いました。休みなしの出ずっぱり。出場選手と同国出身の審判は採点できませんから、任命する側に選択肢があまりないのです。それにしても、予選を見ないで決勝の採点、というのは少々やりづらいものです。選手の出来上がりや動きのクセがわからないですからね。真っ新で採点できるといえば、それはそうなのですけれども。

 演武部門の花形ガンダ(二人組自由演武)では、韓国組が印象に残っています。いやそれはテコンドーでしょ的動作がちりばめられ、今まで見たこともない武器の使い方(持ち方)をする、という独自性に溢れていました。今まで見たことのない武器の使い方、というのは、右手と左手に違う武器を同時に持つ、というもの。両手にペアで武器を持っていい、とルールブックに規定されています。1本の剣と1本の鎌、あるいは2本の剣と2本の鎌を使うことはOK。選手Aが2本の剣、選手Bが2本の鎌を持ってる状態はOK。選手Aが2本の剣を持ち、素手の選手Bがそれを1本(あるいは2本とも)奪う、これもOK。しかし、韓国組が見せたのは、選手Aが剣、選手Bが鎌で武器対武器で応戦の後、選手Aが鎌を奪い1本の剣と1本の鎌を構える図。
 2本持つ場合は「同種」の武器が”暗黙の了解”なのですが、「自由」演武ですから、こういう解釈・振付も成り立つのでしょう。いやでもなあ、剣と鎌では動き(かせ)方が同じじゃないから、2本持って動くのって普通にやりづらいと思うんだけど…

左手に鎌、右手に剣
韓国組

 予選でも同じ構成だったそうで、朝のミーティング時に「ルールブックに明確な規定がない以上、初めて見るものだが、これを原因として失格にはならない」とお達しがあったのはこれかあ、と思いました。

 演武部門決勝終了後、そのまま表彰式となりました。審判団は表彰式に関係がありませんから、一足先に…と言ってもなんだかんだでホテルに戻ったのは23時過ぎてましたね。それでも昨日よりは少し早かったのでは?

12月8日(木):閉会式に大統領

 長く思えた大会も本日が最終日。開会式に来るらしいと噂になっていた大統領は本日、登場すると判明しました。おかげで昨日からなんとなく落ち着きません。まず、公認印が押されたIDを持っていないと会場に入れない、ということでIDが回収されました。今日になって返されましたが、なにがどうなってるのか、最終的にcizmaは公認印入りを2枚、公認印なしを1枚、計3枚のIDを手に入れましたよ。また、朝から会場にはバティックを着た大統領警護班が大量発生しています。眼光鋭く、周囲に目を配る一団・・・プロですね。

 決勝ですが、進行(運営)の都合上、試合は2面で同時進行です。事前にアナウンスされた予定では、3試合実施したら表彰式(6階級)、その後再び3試合やって表彰式、というものでした。実際、最初の3試合(2面で6試合)の後、表彰式が行われました。

副賞のトロフィー
副賞

 しかし、事前アナウンスどおりに3試合>表彰式となったのはここまで。次の5試合は休憩も表彰式もなく、ぶっ通しで実施されました。どうやら大統領の到着時間との関係でこうなったようです。5試合目が終わった時点で、大統領待ちとなりました。

最終日、大統領降臨
大統領

 大統領が到着し、御前試合が始まりました。最初の試合はアリーナ2の最終試合、タイ対ベトナム。いやはや、決勝ですがインドネシアが絡まないので会場の盛り上がりに欠けること、この上なし。この一つ前の試合はラオス対インドネシアで大盛り上がりだったのと比べると、雲泥の差があります。御前試合なのはわかっていたのですから、順番を入れ替えればよかったのに、と思わないでもない。そして、大会の最後を飾る大トリはアリーナ1の最終試合、ベルギー対マレーシアです。

 本大会のキャッチコピーは「世界に広がるプンチャック・シラット(Pencak Silat for the World)」。これを体現・アピールするべく選択された御前試合が、このベルギー対マレーシアでした。採点する審判にも上層部の要請を受け、要は「見た目ガイジン」なイギリスとアメリカの審判を任命しています。”世界”を標榜するならレフェリー、あるいは審判に半島(インドシナ)関係者を入れれば完璧だったと思います。が、自国大統領の前でレフェリー・審判にインドネシア人を採用しない、などという事態を甘受するわけはなかった(苦笑) 名誉なことですしね、まあ、仕方ないです。レフェリーはインドネシア、採点審判は米英に加えてインドネシア・シンガポール・タイという布陣でした。
 ただ、実はこの試合、アリーナ1でやる予定だったものが急遽、アリーナ2に場所を移されています。大統領が到着してから、VIP席に近いところにあるアリーナ1は立ち入り禁止区域になってましたから、恐らく大統領警護の都合で移動させられたのでしょう。しかし、これで頭を抱えたのがIT班。もともと昨日からシステムの調子がよくありません。そこへきて、この試合のために急遽アリーナ1で使用していたPCに配線を繋ぎ換え、スクリーンには試合の様子を中継し、とてんやわんや。準備もテストもなしではうまくいくはずもなく、結局、採点スコアのリアルタイムスクリーン公開は断念する羽目に陥りました。シラットを大統領にアピールする折角のチャンス、お膳立てできるところ=事前準備できる部分が時間不足で100%のものを見せられなかったのは、ひどく残念です。

 初戦でベトナムに逆転勝ちし大金星を挙げたベルギー選手は、準決勝でタイに勝利を挙げていました。決勝戦の相手はマレーシア、新人ではありませんがベテランというほどの代表歴はありません。体格はベルギー選手の方がいいため、どちらが優勝してもいい試合だと思われました。心情的には、今大会を最後と決めているベルギー選手を応援してしまいますが。どちらかがひどく優勢というわけでもなく、また、スコアがリアルタイムで表示されないため勝敗の行方がはっきりしないまま試合が進みます。終わってみれば、5人の採点審判のうち3人がベルギー、2人がマレーシアに旗を揚げる=ベルギー選手の優勝となりました。旗があがり、勝者のアナウンスを受けたベルギー選手の驚きの顔、コーナーの興奮、観客席(特にヨーロッパ勢)の大歓声は今大会のハイライトです。

欧州シラットの親子鷹
親子鷹

 こちらの親子は30年以上、3代に渡ってベルギーで地道に活動してきてる一家です。 さらに、ベルギーオープン大会を20年以上開催しています。ともかく継続すること、諦めないことの強さを見せてくれました。

 全試合が終了したのは14時。ここから大統領を迎えての閉会式が始まります。閉会式ではPERSILAT会長より「Pendekar Utama(最高達人)」の称号が大統領に贈られました。お返しとばかり、大統領の演説はリップサービス満載でしたねえ。
 "Tahun 2020, pencak silat hanya boleh ada di Olimpiade sebagai ekshibisi. Tahun 2024 harus benar-benar dipertandingkan," tuturnya. (Jokowi Berharap Pencak Silat Masuk Olimpiade 2024、Tempo.comより)
 いやいや、2020年の東京ではエキシビションなんてまだなにも決まってませんよ。やるとしても日本に関係のあるものでしょ。剣道とか合気道とかソフトテニスとかさ。

 そういえば閉会式の途中で停電したのでした。停電、というか電力消費に耐えられず、施設の電源が落ちました(多分)。おかげで最後の方は会場が暗かった。

暗がりを退場する大統領
暗い

 大統領が退席した後、ホテルに戻りました。明るいうちにホテルに戻るの、初めて。一休みして、夜はお別れパーティです。パーティでは大会中は話す時間の取れなかった人と話したり、まあいろいろ。大会後は友人たちとロンボックへ移動するので、その待ち合わせ時間の相談とか。バイキングで満腹になったところで、ホテルに戻り、荷造りです。
 明日は一週間に渡って滞在したバリにお別れし、ロンボックに移動します。

12月9日(金)&10日(土):ロンボック1泊2日

 世界大会の参加者と観客の中には同じ師匠から学んだ兄弟弟子や同門がいます。この機会に集まろう、と在インドネシアの同門がロンボック旅行を企画しました。月曜には仕事に出ないといけませんからcizmaは1泊2日という超短期滞在ですが、この企画自体は週末とインドネシアの祝日(預言者誕生日)を組み合わせた4泊5日という長いものでした。全部参加できなかったのが残念です。

おいでませロンボック
ロンボック

 何をしたかと言えば、シラットあるあるな感じの浜辺で練習とか、滝に打たれるとか、まあ、そんなとこ。それにしても水に入るなんてムスリムになって以来、ムスリムになる前だって別に海水浴・プール・サーフィンなど水関係に縁があったわけではないので、もう何年ぶりか考えるのも嫌になるくらい久しぶり。大体、黒くて冷たくて荒いのが海だと思ってるような人間には、浜辺のリゾートとか全く憧れがないのだ!ブルキニ着てリゾートとか興味ないし。そんなわけで自分が泳げたかどうかも忘れてるくらいだったので、着衣でしかもヒジャーブして水に入るってちょっとした恐怖・・・

ササック文化村
ササック

残念ながら曇天
曇天

あとで滝に打たれた
滝

12月11日(日):帰国

 日付が変わって11日の飛行機、気持ちとしては10日の深夜便で帰国しました。今大会ではレフェリーを務めたこと、目に見えるミスをしたこともあり、反省点はいつも以上に多くあります。そして、審判資格取得年数と気持ちと経験値がズレているのも相変わらずです。とはいえ、経験値が低くとも審判年数だけは重ねてきており、現場では先輩であることにも慣れないといけません。大きな大会でも初心者マークを外す時期なのでしょう。
 「審判は”生まれる”のではなく”育てる”ものだ」とインドネシア審判が口にしました。場を与えなければいつまで経っても成長できない、最初から全てを安心して任せられる完璧な審判(レフェリー)などいないのだから、育てる気持ちと忍耐が必要なのだ、と。事実、今回は多くのチャンスを与えてもらいました。この期待全てに”技量”で100%応えることはできなくとも(実際できなかった)、審判の白い制服が示す正直で公正な”心”は守ろうと改めて思います。技量の方はもう場数を踏むしかないので・・・うん、がんばろう。