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- 第1回アジアビーチゲームズ@バリ-
2008年10月18日から26日までバリ島で開催された第1回アジアビーチゲームズ(ABG)にビーチプンチャックシラットの審判として参加しました。
JOCが本大会に派遣した日本選手団は全19種目(うち2種目は公開競技)のうち、9種目へ約120名。プンチャック・シラットはJOC公認を得られず、選手派遣は断念しました。cizmaは審判なので、JOCを通さない形での参加となります。それにしてもビーチでやるプンチャック・シラットって・・・・
第1回アジアビーチゲームズ(ABG)概要
(1)大会について
(2)大会参加国
(3)大会日程
(4)プンチャック・シラット競技種目
(5)プンチャック・シラット競技結果
大会こぼれ話・裏話
10月15日(水):飛行機3本
10月16日(木):事前打ち合わせ
10月17日(金):リハーサルと周辺探索
10月18日(土):公式戦審判でびぅ&オープニングセレモニー
10月19日(日):予選とスニ決勝2つ&カバディ
10月20日(月):準決勝8試合
10月21日(火):バリ観光
10月22日(水):競技最終日とお知らせ2つ
10月23日(木):のんびりバリ観光!?
10月24日(金):DPS観光&ビーチバレー観戦
10月25日(土):JKTに移動
10月26日(日):師匠と一日
10月27日(月):午前中練習、午後帰国
10月28日(火):帰国
第1回アジアビーチゲームズ(18~26th Oct. 2008)概要
恐らくは肥大化する一方のオリンピック採用希望競技をなんとかアジアレベルで公認したい、ということで始まった「ビーチ競技のオリンピック@アジア」。・・・シラットはビーチ競技じゃないんですが。という心の声はさておき、正式種目17+公開競技2の計19種目で、10月18〜26日の1週間、メダルが争われました。大会の詳細については公式HPを、各種目(ビーチ・プンチャック・シラット含む)の結果はこちらをご参照のほど。なお、小タイトルに使用しているピクトグラムはABGにおけるビーチプンチャックシラットのピクトグラムです。
大会全体の感想としては、「インドネシア、やればできるんじゃん!」という面と、「やっぱりインドネシアだよな〜〜」という面が入り混じり、成功裏に終わった大会なんだかどうなんだか正直よくわかりません。参加して来た国も派遣選手のレベルに相当バラつきがあったようですし。インドネシアとしては、金メダル総数で1位を獲得し、大きな事件もなく各国選手を受け入れ、19種目を運営した、「俺達やったぜ!」という大会なのかな、と思います。
ちなみに第2回ABGは2010年にオマーンで開催されます。ビーチプンチャックシラットは再び採用されるのでせうか・・・
事前の触れ込みではアジア45ヶ国から3000人の選手、ということでしたが、最終的には40ヶ国からの参加だったようです。そして、ビーチ・プンチャック・シラットに参加したのは東南アジアの7ヶ国。 インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム、ブルネイ、とSEAゲーム(東南アジア地域のオリンピック)と顔ぶれ大して変わらず。
ABGそのものは10月18〜26日までですが、ビーチ・プンチャック・シラットはこのうちの18,19,20,22日の4日間に行われました。競技部門数が少ないため、9時に試合を開始し、昼頃には終わる、という日程。午後は体力回復に努めた4日間。
日付 | イベント |
18(土) | 開会式、男子A、男子H、女子A予選 |
19(日) | 女子D予選、演武男子ソロ決勝、演武女子ダブルス決勝 |
20(月) | 試合部門準決勝 |
21(火) | 試合なし |
22(水) | 演武女子ソロ決勝、演武男子ダブルス決勝、試合部門決勝 閉会式 |
プンチャック・シラットの試合には大きく分けて、体重別の階級で打ち合う試合部門と規定の型を競う演武部門とがある。今 大会では以下のクラス/型でそれぞれの技が競われた。カッコ内は参加選手数。
1.男子試合部門(Tanding) Aクラス - 45kg以上50kg未満 (7) Hクラス - 80kg以上85kg未満 (7) |
2.女子試合部門(Tanding) Aクラス - 45kg以上50kg未満 (6) Dクラス - 60kg以上65kg未満 (7) |
3.男子演武部門(Seni) Tunggal (ソロ) (7) Ganda (ダブルス) (7) |
4.女子演武部門(Seni) Tunggal (ソロ) (6) Ganda (ダブルス) (4) |
試合部門4種目のうち、強豪といわれるベトナムとインドネシアからファイナリストは1名ずつのみ。新しいコーチが赴任したブルネイの躍進が目立ちました。それでも演武部門の金メダルが功を奏し、金メダル総数1位はホスト国のインドネシアが獲得。
部門 | 種目 | 結果 |
男子試合 | Aクラス | 1. タイ 2. ブルネイ 3. インドネシア/マレーシア |
Hクラス | 1. マレーシア 2. タイ 3. シンガポール/ベトナム |
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女子試合 | Aクラス | 1. ベトナム 2. マレーシア 3. フィリピン/インドネシア |
Dクラス | 1. インドネシア 2. ブルネイ 3. タイ/シンガポール |
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男子演武 | Tunggal | 1. インドネシア 2. ベトナム 3. ブルネイ |
Ganda | 1. インドネシア 2. ベトナム 3. マレーシア | |
女子演武 | Tunggal | 1. マレーシア 2. ベトナム 3. ブルネイ |
Ganda | 1. インドネシア 2. ベトナム 3. マレーシア |
大会こぼれ話・裏話
大会こぼれ話・裏話とバリ観光とか。
休暇日数とか16日から始まる審判事前打ち合わせとかの絡みで、1日のうちに3本も飛行機に乗る羽目になりました。なぜか。東京>デンパサールが満席。経由のシンガポール>デンパサールも満席。必定、東京>シンガポール>ジャカルタ>デンパサールを1日で移動することに・・・。東京からジャカルタまではシンガポール航空利用で不安はないのですが、問題はジャカルタからデンパサールまで。ジャカルタに着く19時過ぎ以降、デンパサール行きはガルーダとライオンの2便のみ。さらに事前にネット購入できるのはライオンだけ、しかも乗り継ぎまでの時間は1時間ちょい。大丈夫なのかcizma。少しでも乗り継ぎ時間のロスを減らすべく、荷物は全て機内持ち込みにしました。
当然ながら荷物を機内持ち込みにしたのが正解で、お金の無駄と思いつつも国際線到着のT2から国内線のT1までタクシーを飛ばし(T1とT2を結ぶ無料シャトルバス乗り場を探す時間ロスが怖かった)、閉まりかけていたチェックインカウンターに飛び込むこと、飛行機出発予定の40分前。あーよかった間に合った。カウンターでは国内線の空港利用税が必要だったのに、ルピアを手に入れている暇がなく、3万ルピアをUS5ドルで支払いました。ちょっと損。
ライオンは意外と予定時刻通りに出発し、デンパサールに到着したのは夜11時半。迎えが来ているはずなんですが・・・居ないじゃん!緊急連絡先として聞き出していたシンガポールの先生(今大会のために渡バリ中)に電話すると「迎えは白いシャツを着ているはずだ」とのこと。白いシャツの人に片っ端から声をかけましたが、皆違う。もう面倒なので、再度電話して滞在先を確認し(この時点まで滞在先ホテルを知らなかったcizma)、タクシー乗り場に向かいました。
生憎、タクシーは全部出払っており、次のが来るまで座って待つこと15分。なんか揃いのTシャツ着た集団が歩いてきます。もしかしたら、と思って声をかけてみると、予想通りcizmaのお迎えでした。・・・国際線出口で待ってたそうです。cizmaの旅程表は提出済みのはずですが。ジャカルタからって国際線だっけ??まー会えたからいいんだけど。
ホテルに着くと、シンガポールの先生(今大会の審判団トップ)とPERSILATの事務局長が待っていてくれました。cizmaを待っていたというよりは、今日チェックインする予定のメンバーがきちんとチェックインするのを見届けるために、ロビーで打ち合わせをしていたようです。そして、ホテルの部屋に荷物を置いたのは日付の変わった午前1時。東京の家を出たのが朝7時過ぎ、飛行機3本乗り継いで、思えば遠くへ来たもんだ〜〜
チェックイン時に指定された今日の予定は7時ロビー集合。朝食ビュッフェは6時半からなので、6時半ジャストにレストランに行きました。8月の審判講習会で見た顔を発見してなんか安心します。旧交を温めつつ朝食を取り、ロビーに全員が集合したのは7時半。全員でビーチプンチャックシラットの会場に徒歩で向かいます。そう、徒歩。なんと会場はホテルの真向かいだったのです。なんて楽ちんw
ちなみに審判団の国籍内訳は・・・
技術委員(DEWAN W/J) 2名:インドネシア1、シンガポール1
競技委員(Kepala Pertandingan) 2名:マレーシア1、ブルネイ1
審判(Wasit/Juri) 15名:インドネシア3、シンガポール2、マレーシア2、ブルネイ2、ベトナム2、フィリピン1、タイ1、ミャンマー1、日本1
競技会場にて、日程全体のブリーフィングやいくつかの質疑応答。そして、14時に再集合しデンパサールの大会本部まで行くことが通達され、10時過ぎに解散となりました。これで14時までフリータイム。
フリーの間、ATMでルピアを獲得。最近は両替所行くよりATMでちまちま下ろすことが多いのです。がしかし、ルピアに慣れる前にATMに行ったのは正直失敗。2000円程度のルピアを下ろすつもりが、桁間違えた・・・ものすごい厚さの札束を封筒に入れる羽目になりましたさ。でもなにはともあれ、ルピアが手に入ったので、このお金で洗濯洗剤とか携帯電話SIMカードとかを購入。
今回は携帯にSIMゲタを履かせて、いつもの携帯でTelekomSEL(KartuAs)を使いました。日本語環境は便利だなー。日本と日本語でSMSできるのは便利です。携帯が変わらないので、アドレス帳もそのまま使えるしね。NM705はSMS送受信、電話通信ともに問題なく。あ、国際SMS送信は最初うまくいかなかった。送信記録はNGではなかったのですが、どうやら届いてなかった様子。先方から1回SMSを送ってもらい、それに返信してからは問題なく送信できるようになりました。
午後は予定通り、14時にロビーに集合し、バスでデンパサールの大会本部に向かいます。何をするかと言えば、IDカードを作るんだそうです。ビーチプンチャックシラットの競技会場があるブノア地区からデンパサールまでは1時間ほどの道のり。若干の渋滞もあり、本部に着いたのは15時半頃でした。道中、これでもか!というくらいにABGの旗がいろんなところに立ってましたね〜島全部で盛り上げようとしているのが感じられました。
本部で無事、IDと大量の参加賞を手に入れました。あー無事でもないか。まず、ID作成カウンターは6つあり、シラット関係者はそのうちの2箇所で作成しました。ここでIDの写真を撮るのですが、カウンターによって顔のサイズが違うというアバウトさ。さらに!発行されたIDカードを確認したら、cizmaの性別がM!!! MってMaleの略だよね!? なんだかなー・・・
参加賞(というか支給物?)は ポロシャツ3枚、ハーフパンツ2枚、ビーチサンダル1足、野球帽1つ、ウェストポーチ1つ をこれまたオリジナルの手提げに入れてくれました。このお金の使い方はどうなんでしょうか。国際競技大会ってこういうもの???
全員がIDと参加賞を受け取り、バスに戻ったのは17時過ぎ。ここからまた1時間の道のりを経て、ホテルに戻ったのが18時半。後は夕飯を食べて寝るだけです。考えてみたら、cizmaは今日の朝チェックインしたようなものです。疲れて当然。
今日の午前中は、審判団が揃ったということで、競技運営のリハーサルです。試合部門、演武部門ともに男女1組ずつ、模擬試合を行います。8月に行われた審判講習における模擬と比べると、砂がまるで違いました。しかも、なんと、事前に言われていた「審判席には日よけの傘を置く」というのが実行されていません!!・・・死ぬ。マヂで。焦げる。
実際に審判を務めてみて全員の感想は「砂が熱い」。もう、ただこの一言。これに対する解決策は「忍」の一字ってところがもう、シラットをビーチでやることの無謀さを物語ります。考え付いた奴出てこーいっ!! そして、試合前に試合部門の選手は再計量があります。・・・体重計の水平さを保つのが一苦労。今日の模擬ではこんな感じでした。こんなプラスチックの板じゃ、すぐ体重計が砂に埋まるよぅ。
模擬試合を全てこなしたところで、本日の予定は終了。今日の結果が明日からの本番になにか改良をもたらすでしょうか・・・? そして、午後はチームマネージャーを集めての組み合わせ抽選です。これには出席する義務がないので、一休みしたら周辺探索に出かけることにしました。
ABGの各競技はバリ島の各所で行われていますが、ビーチプンチャックシラットをやるブノア地区周辺では他に カバディ 水球 ビーチレスリング が開催されます。ビーチレスリングはシラットと同じ会場を使い、シラットが終了する24日以降に競技が始まるので、今日見学できるのは、カバディと水球です(ただしどちらも準備中のはず)。ちなみにカバディの審判団は同じホテルに泊まってました。
公開競技の水球(Water Polo)は4カ国しか参加チームが居ないそうです。ホスト国インドネシアは当然参加ですが、残りの3カ国は ウズベキスタン、オマーン、クゥエート とのこと。湾岸国が水球やるとは意外でした。しかも、ちょうどクゥエートチーム(男性)の練習時間にかち合い、選手を見ることができました。ここでさらに意外だったのは、恐らくムスリムであろうこのクゥエートチームの選手全員がビキニタイプの水着を着用していたこと。最近の競泳選手はスパッツタイプを着用していることが多いので、なんか久しぶりにビキニを見た感じです。ムスリムであろう彼らがあのタイプを着用するとは、イメージになかったなぁ。コーチはスロバキアの方のようで、水着のオシリのところに「スロバキア」って書いてありました。そして、彼はちょーメタボだった・・・
10月18日(土):公式戦審判でびぅ&オープニングセレモニー
いよいよ今日から試合が始まります。3月のフランスオープン大会での審判と違い、オリンピック委員会傘下の大会、つまりは公式戦での審判でびぅです!
ある程度予定通り(20分押し)、9時過ぎにはシラットの開始セレモニーが始まりました。競技責任者の挨拶に始まり、いつもどおり競技場をシラットの演武とクリスで清めます(土俵入りのようなもの)。このクリスを演者が競技責任者に渡し、競技責任者から審判団長に手渡され、いよいよ競技開始です。あ、試合開始前に地元バリのシラットチームによる演武デモンストレーションもありました。バリの衣装でやるシラットっていうのも面白いですね。
cizmaのでびぅはなんと第一試合。マレーシア対フィリピンの男子Aクラス予選の審判(採点者)を務めました。セレモニーが終わった時点で10時近かったので、すでに砂はアチアチ。審判席までの移動で足の裏を火傷するかと思いました。1試合に必要な人員は5人の採点審判と1人の主審の計6人。これを15人の審判で回します。試合をする選手と同じ国籍の審判は使えませんから、当該選手のいないcizmaはほとんどフル回転。そんななか初日だわ暑さは半端ないわで、脳みそが溶けたんでしょうね。後半、審判委員から呼び出しくらいました。結局、大会期間中に呼び出されたのはcizmaだけ・・・トホホ。原因?スコア表の計算ミスです。1+2+2=7って書いてました。計算ミスを訂正しても勝敗に変化はなかったのが唯一の救い。
審判には一応、休憩所もありました。そこにはお茶やコーヒー、果物や茶菓子が用意されており・・・がしかし、前述のとおりほぼ皆フル回転なのであまり活用されませんでした。大体、初日(今日)はエアコン壊れていて、休憩所に居ることはある意味罰ゲーム。
開始セレモニーというイベントがあったため、9試合終わったのは13時過ぎ。熱かった。暑いんじゃなくて、熱い。空気も砂ももうなにもかもが熱い。そして裸足で審判席と控え席を行ったりきたりした足の裏は痛い。そうそう、昨日の反省から、計量コーナーの板はプラスチックではなく木の板になってました。是非、審判席にもなんらかの改良が明日以降見られることを希望。
とりあえず午前の予定はこれで終わり、夕方にはGaruda Wisnu Kencana Cultural Park(GWK)で行われるABGの開会式に出発です。
GWKは絶景というより、奇観。あんなところがあるとは知りませんでしたが、バリに行くチャンスがあったら一度行ってみることをオススメします。開会式に関してはGWKの公式HPにいろいろリンクがありますので、そちらもご参照ください。cizmaは公式ページにある写真1枚目のVIPエリアではなく、2枚目の関係者専用パブリックビューイングエリアで開会式を体験しました。
式自体はある意味、人海戦術。ダンスをメインとした、趣向を凝らしたものでした。開会の合図はジャカルタ時間19時に合わせたため、現地バリでは20時、と少々遅め。それでもバリ時間19時から20時まで、関係者エリアでは温暖化への警鐘をならす劇が上映されたり、と飽きさせない工夫がされました。大統領も到着し、20時ちょうどに開会式が始まります。式の公式な記録はKOMPASなどの写真がきれいなのでそちらをご覧いただくとして、関係者エリアの目線から面白かったことなど。
参加国入場行進の前に、踊りによる劇がありました。マジャパイトに始まり、シュリビジャヤのガジャ・マダが築いた平和の中、海を通って多種多様な文化・人がインドネシア(ヌサンタラ)に繁栄をもたらした、というもの。そして現代、同じようにまた”ビーチ”でアジア各国各地域から人が集まるABGが開催されます!という流れ。・・・海は侵略者のオランダとか日本軍とかも連れてきたぞ、という突っ込みはなしでヨロシク。
簡易トイレで私の前に並んでた人、随分豪勢な格好をしている上に、そして恐らくはもちろんそのせいでなっかなかトイレから出てこなかったのですが・・・寸劇でマジャパイトの王様を演じてました。
劇に続いた入場行進は、アジアを西アジア(中近東エリア)・中央アジア(カザフスタンとか旧ソ連エリア)・南アジア(インド亜大陸周辺)・東アジア(日本はココ)・東南アジア(ASEAN地域)に分け、それぞれに砂・風・水・火・花のイメージでダンスが振付けられていました。全体的に人海戦術的な構成だったけど、おかげで賑やかな印象でした。
行進はVIPエリアだけかと思ったら、なんとスクリーンが2つに割れてそこから選手が出てきました。凝ったことするなあ、インドネシアやるじゃん、と思ったのも束の間。スクリーンがね・・・ご覧の通り。テレビ中継用画像と現場用画像となんらかのスライドショーと切り替えながら流していたのがうまくいかなくなったんでしょうね。最終的には再起動。
選手の行進が終わると、SBY大統領の開会挨拶、アジアオリンピック委員会旗入場・掲揚、聖火リレーへと続きます。聖火はブロモで取られたとか。最後のリレーは バレーボール選手、タウフィーク・ヒダヤット(バドミントン)、レスリング選手、が務めました。ヒダヤット選手以外は良く知らないのですが、オリンピックで活躍した方たちなんでしょうね。最後のレスリング選手は火を貰ったらケチャダンスの中心に据えられ、ぎこちない(でも練習したんだろなあ)動作で一緒に踊ってました。関係者エリアの地元ボランティアはなんか失笑してましたけど。レスリング選手に踊れっていう方が無茶だって。
聖火が聖火台に点されるとどーーーーーーーんと花火が上がりました。結構な球数でしたね。晴れやかに華やかにつつがなく進行した開会式も22時に終了。ホテルに戻って、明日もまたお仕事です。
今日は昨日できなかった予選3試合と演武男子ソロ・演武女子ダブルスの決勝です。セレモニーとかはないので、昨日より少し早めに終わるはず。会場に着いてみると、昨日の状態から改善された点がちらほらと。
1)休憩所のエアコン復活
2)審判席、コーナーの椅子足元にプラスチック板(直接砂に足をつけるより熱くない?)
3)審判(採点者)はサンダル着用を許可
実際に始まってみると、審判席足元のプラスチック板は砂と同じくらい熱くなってました。今日からはサンダル着用が許可されたので、結局活用しませんでしたね、この板。サンダル焼けもしたくないから、採点中はサンダル脱いで椅子の影とか砂の中に足を避難させていたし。
予選3試合は順調に終わり、競技場を演武仕様に変更します。ここで出てきたのが審判用の傘!! 昨日の試合後のミーティングで、審判から「演武の採点は試合と違って長時間座っていなければならない。傘がなかったらやってられっかーーーーっ」と意見が噴出した結果でしょう。そのため、急遽用意されたのが写真の5つ。急ごしらえなのがバレバレです。見た目もなんかおかしな感じだけど、暑さは傘があるのとないのではまるで違います。
炎天下の採点も終わり、この日のうちに演武男子ソロと演武女子ダブルスのメダル授与式が行われます。かーなーりバタついてましたけどね。審判団は授与式を見ることなく、休憩所で反省会を行います。休憩所のエアコンが復活していてよかった〜
再び午後はフリー。近所のカバディが今日から試合のようなので、一休みしたら観戦に行くことにします。スケジュール表には午後の試合は15時からとありましたが、疲れが抜けず会場に着いたのは16時近く。チケットブースに「大人Rp.20,000
子供Rp.10,000」とありましたが・・・シラットの審判IDをチラ見せし、しれっとスルー。さらに観客席ではなく、IDをちらつかせ(職権乱用?)セキュリティを通ってVIP用観戦席に潜り込みました。だってVIP用エリアは屋根があるんだもん。堂々としてれば平気なもんなのね。
後で聞いたところによると、同じシラット審判でもお金を払って入場した人も居たそうです。でもこの審判はジモティのため、会場ボランティアに友人を見つけ「カバディなんてこれから普及させてナンボなんだから、俺達大会関係者だし返金してよ」と入場料を取り返したらしい・・・さすがだ。
初観戦するカバディはまるでルールがわかりません。たまたま隣にイラン出身のカバディ審判の方が座ってらしたので、軽くレクチャーしてもらいました。どうやら、敵陣に1人が乗り込み、敵にタッチしたら1ポイント、さらに自陣に無事戻ったら1ポイント、乗り込んできた敵にタッチされなかったら1ポイント、自陣に戻るのを阻止したら1ポイント、というもの。他にも2ポイント、3ポイント稼げる技があるようでしたが、まずは、敵陣に入ってタッチして自陣に戻るのが基本なんですね。観戦したのは タイ対韓国 戦。(詳しいルールは日本カバディ協会でどうぞ)
結果はタイの勝利でした。観戦した印象としては、レスリング付の鬼ごっこといったところ?インド発祥というだけあって、運営関係者にはインド亜大陸出身者(と思しき)が多かったです。面白かったのはマレーシアチーム。服装の問題もあるのでしょうが、バドミントンは中華系メイン、シラットはマレー系メイン、カバディはインド系メイン・・といった感じで、出身母体による住み分けがされてる印象を受けます。シンガポールも似たような傾向があるような?
競技も三日目、今日は試合部門の準決勝です。今日が終われば明日はお休み!それにしても、昨日と一昨日で皆さん、大分黒くなってます。元が東アジア的白さのcizmaやベトナム人が黒く・赤くなるのは仕方ないとして、ご覧の通り、ジモティも相当焼けてます。写真のおじさんはインドネシアの民族ムスリム帽・ペチ*を被っていたために、額にくっきりと境界線がっ この方、こんなに焼けてますが、傘のある委員席に居たんですよ・・・傘のない審判席にいたcizmaの日焼け度合いは推して知るべし。
*ペチ:元々はジャワの民族の帽子?スカルノらが着用したことでインドネシアの民族衣装的扱いを受けてます。衣服史詳しくないので間違ってたらすみません。
試合はさくさくと運営されましたが、ホスト国インドネシアが準決勝で負けまくり、ファイナルに1人しか進めないという有様。強豪のベトナムも1人しか残りませんでした。特筆すべきはブルネイ。ベトナム・フィリピン・タイを育てたコーチが今年の春から着任したのですが、いやー躍進目覚しいこと。彼の練習は厳しいという評判ですが、それだけの結果を出してるんですよね。
試合後は、さすがに3日目ともなるとヘロヘロです。どこにも行く気が起きず、そのままバタンQ(古っ)そして、気付いたら夕方。
今日は試合のない中日です。審判団で観光に出かけます。個人で観光してもいいんですけどね、まあここはひとつ団体行動をするのもおもしろいかと(<この行に驚く人の顔が目に浮かぶ)
他の競技の審判・選手にはL.O.(世話係)がいるのに、なぜか放置されているシラット審判団。観光場所のピックアップから車の手配まで、バリが地元の審判が一手に引き受けてくれています。審判なのに、大会期間中完全にL.O.と化してました。審判が購入希望のTシャツの手配までしてたもの・・・
彼の設定した観光コースは
お土産購入@Krisna > モンキーフォレスト@(多分)Tabanan > タナ・ロット寺院 > クタ
というもの。
Krishnaのお土産購入では皆さんすごかったです。特にJKTで待ってるスタッフにいろいろとバラ撒かなければいけないインドネシア組は、本気の箱買い。どんだけTシャツ買ってるんだ。勿論、他の国の審判も相当買ってましたけどね。cizmaはなんも買わなかったので、不思議そうな反応をされました。だって、安いと言ってもタダじゃないし(当たり前)、日本はこれから涼しくなるのにTシャツいらないし、まず大体が日本人ってそんなにお土産臭のするTシャツを街中で着ないし。Tシャツって結構貰って困るものの上位に入りませんか?
買い物を済ませたところで、次は心置きなく観光です。最初、モンキーフォレストに行くと聞いたときはウブドまで遠出するのかと思いましたが、他にもあるんですね。群がられるのが怖いので、餌は買わずに入場します。こちらが何もしなければお猿さんものんびりと自分のペースで過ごしているようです。かわいい親子の写真が撮れました^0^
夕日の時間帯が一番美しいそうですが、昼間のうちにタナ・ロット寺院に到着。浜辺じゃないけど、海辺は暑い・・・それでも周辺は公園になっていて散策にはいいですね。そして目につくのは韓国人と中国人。10年近く前に訪れたバリは日本人だらけだった印象がありますが、今回の渡バリで感じたのは日本人の意外なまでの少なさと(まるで日本語を耳にしなかった)、中国人・韓国人観光客の多さです。観光ガイドさんも、中国語・韓国語で案内してました。あと、ロシア語表記も目につくようになってました。エネルギー関係でお金持ちになったロシア人がバカンスに来ているのかな?
ところで、中途半端にインドネシア語と英語がわかると切り替えが難しい瞬間があります。例えば、air。この単語、インドネシア語だと「水」ですが、英語だと「空気」。インドネシア語環境でいきなり英単語でairと言われると、頭の中では「水」と認識してしまいます。そんな混乱する瞬間を引き起こしたのがこの写真。
最初、「バリのマデさん」だと思いましたよ! 解説するとですね、バリでは「made マデ」さんという名前がポピュラーに存在します。そして、「di」 は インドネシア語で「〜に/で(英語のin)」という意味。マデさんという名前の人が社長のお店か、もしくはこのマスコットみたいなのの名前がマデさんなのかと・・・でもそこでふっと閃きました。これ、「メイド・イン・バリ」なんじゃ??? そして多分それが正解。紛らわし〜〜〜(え、そんな勘違いするのはcizmaだけ?)
タナ・ロットの後はクタビーチ散策の時間です。クタビーチですが、レギャン側から入ったので、少し喧騒から離れていたような。それにしても、バリの人は日本人を見慣れているからか、cizmaが日本人だって簡単にバレますね。ヒジャーブした日本人がクタビーチを歩いているもんだから、悪目立ちもいいところ。
当初、ビーチプンチャック・シラットはブノア地区ではなく、クタエリアで行われる予定でした。ただ、大会事務局に指定されたエリアを下見したところ、浜辺の傾斜がきついこと、潮の干満が結構大きいことなどから、競技場設置が困難と判断しブノア地区に変わったそうです。確かに、ここだとちょっと斜めすぎですし、砂を盛ったところですぐにまた斜めになりそうです。人の入りはコチラの方が賑やかでしょうけど、周辺環境はブノアの方がよかったかな。一日観光して気分もリフレッシュ。明日はいよいよ最終日です。
ビーチプンチャック・シラットも本日が最後。今日は女子演武ソロ・男子演武ダブルス・各試合部門決勝が行われます。最終日だからでしょうか、スタンドは大入り、フェンスの外も人でいっぱいです。
写真にあるように、最終日の本日のみ、試合部門の審判にも日よけの傘が用意されました。ありがたやー。そして、シラットの大会では大概、最終試合はホスト国の選手がいる試合を行います。今回も例に洩れず、トリは唯一決勝に進出したインドネシア人選手がいる女子Dクラス決勝でした。当然のことながら、大盛り上がり! あんな試合の主審はやりたくないなぁ・・・(苦笑)
試合が全部終わり、シラットの閉会セレモニーに移ります。これは開始セレモニーの逆順に行うもので、審判団長がクリスを競技責任者に返還し、これを競技責任者が演者に渡し、その演者がアリーナで演武を行い、クリスを鞘に納めて終了です。演武後、演者は小走りで競技場から退場してきて言うことには「砂、あちいいいいいいいいいいいいっ」。結果、多数の審判から「俺達の大変さがわかったか!」と総ツッコミ。
セレモニーの後はメダル授与式が始まりましたが、暑いし反省会もあるし、で審判団は休憩所に引き上げます。そしてここで驚愕のお知らせが・・・
1) 突然ですが、今年の12月にバリでシラットの世界大会をやります。
2) ABG事務局が責任を持つのは競技最終日の翌日までなので、明日チェックアウトしなければいけません。
はいいいいいいいい!? えっとですね、世界大会に関してはまあ、よいでしょう。あまりに急ですが、シラットですし、インドネシアですし、なんとか脳みそが対応しました。問題はもう一点のほうです。PERSILATからの招聘状(審判任命状)には 「ABGの審判として10月16日〜23日までバリにおいて審判業務を行うこと。競技の決勝は23日のため、帰国は24日以降とする」 とあります。審判はこれに合わせて航空券を手配しています。どうやら、競技への参加人数が少ないため、ABG事務局により競技開催日数が短縮され、決勝が22日に変更されたようです。そして、その決定が遅すぎたようです。審判や選手(そう、選手も!)が決勝が22日だと知ったのは現地入りした後。自分達のミスではありませんので、ABG側が当初予定通り、24日までホテルに滞在させてくれるだろうとの見込みだったのですが・・・ ちなみにcizmaの大会後の予定は、25日にJKT移動で、その前、24日の夜はデンパサールの親戚宅に居候、というもの。宿泊先のあてはありますが、それにしてもねえ。
インドネシア開催だから唐突なのか、アジアオリンピック委員会主催の大会だから厳密なのか(恐らくは前者)、とにかく23日にチェックアウトしなければいけないとのこと。勿論、批難轟々。23日までいるように任務を受け、事前連絡なしに競技最終日を22日に変更され、それに合わせてホテルを出て行けとはあまりに無責任、と。審判責任者もこの通達には頭にきたらしく、「本部に交渉に行ってくる」と、デンパサールまで車を飛ばして行ってしまいました。さてどうなりますやら。
昼食の後、とりあえずは荷造りです。明日移動することになるかどうかはわかりませんが、荷造りしておくに越したことはありません。今日の夜は競技が終わった記念に、知事主催のディナーにシラット競技参加者全員が招待されていますから、昼間荷造りしないと時間もないですしね。
夕方、ディナーに行くために集合したロビーに、本部から戻った審判責任者が待ってました。相当がんばったようで、本部から文書で「24日までの宿泊を認める」という承認を引き出して戻ってきました。この文書をホテルに提示し、ホテル側も了承したため、審判のチェックアウトは当初予定どおり、24日になりました。一安心。
ディナー会場ではバリ舞踊が披露されていましたが、お久しぶりのインドネシア人先生としゃべりこんでしまい、まるで鑑賞しませんでした。踊り手さん、ごめんなさい。だって久しぶりだったんだもー。大会で会う以外に会う機会もほとんどないし・・・(先生はベトナムに派遣されてます)最後に踊り手さんとグループごとに記念撮影をして解散。
チェックアウトは明日ですし、今日は1日のんびりと過ごしたい。折角だもの、他の競技も見てみたい。一番近い競技場のレスリングは、今日は試合なし。次に近いカバディは昨日終了。んー何見よう。まずはスケジュールを確認しないと移動もできないので、ホテルに設置されているABGの臨時カウンターに問い合わせます。このカウンターは、ホテルに宿泊しているシラットとカバディの審判団のサポートカウンターのようなものです。がしかし、聞いてみると本当にそのため「のみ」の存在だったらしく、他の競技のスケジュールは知らないとのこと。パソコンも置いてあるけれど、オンラインじゃないから、情報収集もできないし、だって。さすがだ、インドネシア・・・
どうしようかなぁ、と思っていたら、マレーシアからの審判の3人組が「車をチャーターしてDPSとかクタとか回るつもりなんだけど、一緒にどうだい?4人で予約したのに、1人欠員になったんだよ。」と誘ってきました。マレーシアのおじちゃんたちはなかなか気のいい人たちなので、特に断る理由もなく、一緒に出かけることにしました。
最初に向かったのは骨董市。おじちゃんその1、が石集めを趣味としているようで、マレーシアより物価の安いバリでなにかいいものないかなぁ、と物色です。骨董市は見事に何でも市で、いかにも骨董らしいクリスや石から、家電のコンセント、古着までなんでもあり。
次に向かったのはDPS市内。モールでお土産購入です。ここではちょっと気の利いたものもあったので、cizmaもお買い物〜 気付けばあっという間にお昼過ぎ。戦利品を車に積んで、さあお昼と思ったらおじさんの電話がなりました。電話口での会話がなんかおかしいです。も、もしかして今日チェックアウト!?
予感は的中で、早く戻ってチェックアウトするようにとのブルネイ審判団からの電話でした。おいおひ、昨夜チェックアウトは明日って言ったじゃーん・・・4人とも憮然とした面持ちのまま車に乗り込み、30分ほどの道のりを車は飛ばします。
ホテルに着いてみると、大会事務局が延泊を許可したものの、ホテル側としては当初予定に基づいて予約を受け入れているため、延泊できる部屋がない、というオチ。どうしてそれが昨夜のうちにわからないんだ、とくってかかるも、「その旨を大会事務局にファックスで返事してある」の一点張り。ホテルや審判側の落ち度というよりも、ホテルの延泊不許可を審判側に伝えてこなかった大会事務局のチョンボです。なんにしても、無い袖は振れない、というか次のお客さん来るのでは部屋にはいられませんから、チェックアウトするしかないです・・・
結局、cizmaは親戚宅に1日早くお邪魔することになりました。他のメンバーはブルネイはクタ地域へ、マレーシアは選手と合流、インドネシア+ミャンマー+フィリピン+シンガポールはデンパサールにあるシラット関係者運営のホテルに移動していきます。なんだかなぁ、もう。最後の最後でこんなドタバタ(苦笑)
気分を変えて。泊めてもらった親戚はプリサイ・ディリという流派の関係者でもあったため、夜は練習を見学しに行きました。見学だけのつもりでしたけど、準備運動は一緒にやってしまいました。練習してたのは主に学生だったから、皆さん動きが若い!そして、大人数で練習できるってのは楽しいです。男女合わせて40人ちょっとは居たんじゃないかな。
当初は今日の予定を親戚に丸投げするつもりだったのですが・・・親戚が外出する予定となってしまい、cizmaどうしよう。と思いましたが、そこはインドネシア、しかもシラット関係ということで、昨日見学に行ったプリサイ・ディリのメンバーが一緒に遊んでくれることになりました。しかも聞けば彼女も海路郎さんと血縁はないけど、立派に親戚でした。
デンパサールからあまり遠くないエリアを、というコースで1日過ごします。折角だからABGの競技も観戦もルートに入れて。まずはクタにある2002年爆弾テロ追悼モニュメントを見に行きました。なんかもう、言葉がないですね。広島・長崎の爆心地に行ったときと似たような感じ。周囲は賑わいを取り戻していますが、爆発地点は今でも更地のままです。犠牲者の冥福をお祈りします。
次に向かったのはデンパサールの言わばモナス。広い公園の中にドーンとそびえ立ち、中ではジャカルタのモナス同様にバリの歴史を振り返るジオラマが展開されています。そしてここにも当然、日本軍の記述が。これ、最近沢山来てる(と思われる)中国人観光客とか韓国人観光客も見るのよねー・・・なんか凹むわ〜
上まで登るといい眺めです。若干けぶっていたので海は見えませんでしたけど、普段は見えるそうですよ。ちなみに上まで行くには螺旋階段をグルグルグルグル・・・エスカレータ・エレベータはないので元気なときにどうぞ。
そろそろ夕方ですが、サヌール地区にビーチバレーを観戦に行きます。ビーチでスポーツするなら早朝か夕方ですよ。先日の経験を活かし、IDカードを見せてしれっとVIPエリアに潜り込みました。同行してくれていた彼女もシラットのスタッフを務めていたので、IDを持ってたのです。ちょうどタイ対バーレーンの第2セットが始まったばかりでした。
男子ってわりと普通の格好でビーチバレーするんですね。女子だけなんであんなに布が少ないんだろう?? 試合は第1セットを取られたバーレーンが第2セットを取り返し、最終第3セットもシーソーゲームでなかなか白熱して見応えがありました。観客は同じASEANということで親近感があるのか、基本的にタイを応援していました。ある意味、バーレーンはアウェーな感じ。
試合終了後、ご飯を食べてお別れです。明日は割りと朝早くにジャカルタ行きの便に乗ります。またもやライオンエアー。
暑いバリとも今日でお別れ、蚊の居るJKTに向かいます。今回初めて知りましたけど、DPSの空港にはスタバがあるんですねぇ。そして、到着が大会開催日より前だったから仕方ないのですが、バリを離れる日にこんな看板を発見。そういえば、競技場近くにマスコットの張りぼてが立ったのも、競技最終日でした。大会の公式グッズもほとんど売ってるの見なかった・・・
JKT行きの便では久しぶりに窓側に座りました。最近は利便性優先で通路側を指定するのですが、ついうっかり指定し忘れたところ、渡されたチケットは窓側。どっちがいいですか、とも聞かれなったなぁ、そういえば。空から見るとバリ島とジャワ島って近いです。遠くにはスラウェシも望めるし、インドネシアって広いけど、それぞれの島は思うよりも近いのかも。
JKTではらふぃず夫妻が迎えに来てくれました。持つべきものは友ですね。8月に国際線出発階のトイレがきれいで驚きましたが、なんと国内線到着階のトイレもきれいになってました!こちらには荷物をかけるフックもゴミ箱もあるし、個室サイズは国際線出発階のトイレより広かった。いろいろなところで、少しずつなにか変わってるんですね。
ジャカルタでの宿は師匠の家です。師匠にはパデポカンに来るように指定されたので、らふぃず夫妻と途中で昼食を食べてから向かいます。パデポカンではウタ子さん夫婦と合流。久しぶりに会えて、楽しい時間はあっという間!
この日は1日、師匠とまったりモード。シラット談義したり、昼寝をしたり、でのーんびり。こういう一日は貴重。
今日はとうとう帰国の日。飛行機便は夕方なので、午前中はパデポカンへ行き、師匠が個人レッスンをしている場に混ぜてもらいます。個人レッスンの相手はアメリカ人の若者。お母さんがインドネシア人で、彼自身はインドネシア語を話せないけど親戚のところに遊びに来てるんだそうです。元からシラットも興味あったんでしょうね。どういうルートでたどり着いたのか聞きませんでしたが、滞在中は1日おきに師匠に個人レッスンしてもらうんだとか。ウラヤマ。cizmaが日本から来た、と聞いた途端に彼の目が輝いちゃってもう・・・「ぼ、僕、小さい頃からバットマンとかスパイダーマンよりゴジラがヒーローだったんだよ!日本グレート!!」ですって。まあ、こういうマニアックな面がないと、シラットにはめぐりあわないよねぇ。
練習でかいた汗を流して、次はマレーシアから強化合宿に来ていたチームを見学。こちらも師匠が面倒を見る予定で、今日が合宿初日です。12月に開催される東南アジア学生スポーツ大会のシラット選手達でした。つまりは全員学生ってことで動きが若いわー
師匠は午後もマレーシア学生チームの指導があるので、久しぶりに一人で空港へ向かいます。JKTの空港はもの寂しい場所ですけど、昼間だとまだいくらかマシ。搭乗時間までなんとか時間を潰して、経由地のシンガポールへ出発しました。
シンガポールではトランジットに3時間。シンガポール空港は時間を潰すのに事欠くことはないので、空港設備を満喫します。出発前に夕飯を食べたいなぁ、と思ってレストラン街(?)でディスプレイを覗いていたら、中華系らしき店員のオバさんに「ハラール!」って声かけられちゃいました。カレーが食べたかったわけじゃないんだけど、そう声をかけられて無視するのも心苦しく、結局そこでご飯食べちゃいました。チャイ付で一食10Sドル(700円程度)ってのはお得だったのかな。後で見たら隣のバーガーキングのセットメニューが7Sドル(500円程度?)だったから。ジャンクな500円よりベジな700円でしょ。
お腹もいっぱいであとは寝るだけ。寝て起きたら成田だ!
二週間ぶりの日本はいきなり寒い・・・行く前は気持ち夏の名残があったのに、それもすっかり消えて、秋どころか冬に片足突っ込んでる感じ。体調崩さないように気をつけなきゃ。
cizmaはなんだかんだで年1回ペースで渡航してる。それでも今年は年末年始・8月・10月と当たり年。行きのジャカルタでは入管職員さんが、8月に当たった人と同じ人で「毎月来てるの?」と言われる始末。今年中にもう一度インドネシアに行ったりするのかな?