- ハイデラバード&ハンピ見聞録-

 2009年7月11日から17日までインド第5の都市、ハイデラバードに行ってきました。在インドの友人を訪ねて、バンコク経由でえっちらおっちら移動に1日の長旅です。

 7月11日 バンコク経由でインドへ
 7月12日 初インドはお祭りの日
 7月13日 せれぶなインド
 7月14日 いざ、世界遺産
 7月15日 いざ世界遺産その2
 7月16日 旧市街へ
 7月17日 最後の日
 7月18日 帰国

インド 11th Jul. 2009 ~ 18th Jul. 2009

7月11日 バンコク経由でインドへ

 今回の旅は海外3回目の友人(仮名:撫子)を道連れに、共通の友人(仮名:ミドリ)を訪ねてのインド行き。広いインドの中でも、目的地はデカン高原にあるインド第5の都市ハイデラバード(以下、ハイデラ)。13億の国の「第5」ですから、それは大きい。どのくらい大きいかって、国際空港があるくらい大きい。そんなわけで、インド国内線乗り継ぎよりは東南アジア経由で国際線1本でハイデラの街には到着できます。日程とマイルの都合上、選択したのはタイ航空。タイ航空に乗るのも、タイの新空港に行くのも初めて。黄シャツ隊が突入してこないことを切に願っての旅立ちとなりました。

 東南アジアの新しい空港ってのはどこも似たような雰囲気です。これでもか!と冷房を効かせ、大量の免税品店。冷房の温度は上げてほしいし、免税といっても元値が高いブランド品も無縁。正直、暇な空港です。空港で私たちの心を和ませたものといえば、こちら。

エラーメッセージ表示中
エラーメッセージ

 被さっちゃってゲート見えないし。こういうところが「好きです、アジア」。

 5時間の長きに渡って寒さに耐え、3時間半のフライトを経て、やっと目的地ラジブ・カンジー国際空港(ハイデラ新空港)に到着!! 日本を出たのが日本時間で11時。到着が現地時間で22時過ぎ、日本との時差は4時間半。あー長かった・・・ しかも新型インフル対応ってことで、飛行機降りてもすぐに外に出られるわけじゃない。各々体温を計測され、連絡先や座席番号を書かされ、なんやかやで空港の外に出たのは23時。オープンして1年経ってないくらいのハイデラ空港はキレイな空港でしたが、そのことに気づく前に、ものすっごい大量の「出迎え」にびっくりです。もちろん、私たちの出迎えではないのですが、なんかもう深夜だというのに 人・人・人・・・ インド13億は伊達じゃない。

ハイデラの新空港
ハイデラ新空港

 そんな人ごみの中から無事、ミドリを見つけることができ、彼女の自宅にタクシーでGO! 運転マナーはインドネシアの斜め上を行く豪快なものでした。海外3回目の撫子には相当キビしいドライブだったのではないだろうか?? ウィンカーなしの車線変更当たり前、追い越し時の合図はクラクション、逆走上等!な深夜のドライブでしたからね〜 無事に着いてなにより。

7月12日 初インドはお祭りの日

 結局、床に就いたのは日付が変わった12日でした。少しゆっくりめに行動開始のインド初日です。ミドリはある任務を帯びてのインド滞在なので、午前中はその任務をサポートすることになりました。任務遂行中の写真は出していいのかどうかわかりませんので、ここでは割愛。国家機密には属しませんが、国家レベルの任務です。本日の任務終了後は、疲れた体と頭を甘いチャイで癒します。日曜なので残念ながら屋台は出ておらず、売店のインスタントで我慢ということでしたが・・・コーヒーじゃなくてチャイが出る機械があるんですね。日本だったら抹茶が出てくるようなもん?十分おいしかったです。

おじちゃんの奥にある機械からチャイが出る
売店のおじちゃん

チャイとサモサで一息入れて、初日から観光に出かけることにしました。目指すはハイデラ市内随一の観光スポット、ゴルコンダ要塞。移動の足はバジャイ・・・もとい、オートリキシャです。街ごとに色が違うオートリキシャですが、ここハイデラはジャカルタと同じ色(黄色と黒)なので違和感がまるでありません。ここはインドかジャカルタか・・・・? そして、運転手のお兄さんがまだまだ新人さんなのか、道を間違えやがりました。おかげでもうひとつの観光スポット、フサイン湖と仏陀像を見ることができましたので、許してあげましょう。

フサイン湖と仏陀像
フサイン湖と仏陀像

 ゴルコンダ要塞に近づくと、なにやら道を塞ぐ一団がいます。警備の警察なんかも居て、黒山の人だかりもあって、何事!? どうやらお祭りだったようです。お祭りの練り歩く山車と要塞への道が同じでオートはすり抜けるのに大変苦労しておりました。ところで、このインド版バジャイであるオートリキシャ、バジャイにはない(少なくとも私の記憶にはない)ある画期的なものが装備されています。オートから祭りの一団を撮影したこの写真に写りこんでますが、それがなにかわかりますか?(答えは下に)

オートから祭りの一団を望む
オートから祭りの一団

 お待ちかね(?)の正解は・・・そう、メーターです! メーターは交渉次第で使ったり使わなかったりのようですが、それでもバジャイにメーターが付いてるとは・・・驚き。ちなみにこのときの運転手さんとはメーター使わず「200ルピー」という交渉でした。でも実際に目的地に着いたら「時間がかかったので600ルピーくれ」と要求されました(苦笑) ツッコミどころとしては「それはキミが道を間違えたからだ。お祭りで道が通りづらかったのは不可抗力だ」となりますが、気の弱い新人さんらしく、とりあえず言ってみただけ感も漂わせてたので、ここはさくっとミドリが却下し、200ルピー渡してトンズラです。

 要塞についてみると、どうやら祭りの一団が目指すのは要塞頂上のお寺。そのおかげで通常は入場料が必要なのですが、無料でした。外から眺めるだけにしようかと思っていた観光スポットですが、無料なら入らねば。そして無料とお祭りで、いや、お祭りだからこそ、ものすっごい人・人・人・・・さすがインド13億。

入り口付近から奥まで人・人・人
ゴルコンダ要塞

 せっかく入ったので、頂上(天守閣?)目指して登ることにしました。上からはハイデラ市内が一望できるそうですし。人ごみを掻き分け、えっちらおっちら登ります。のぼりが緩いコースを選んだのですが、いかんせん広い敷地なので上までの道のりが長い。

延々と続く階段
ゴルコンダの階段

人が登れば山車も登る
山車も登る

 頂上の天守閣脇にはヒンドゥー寺院があり、それを目指してお祭りの一団は登ります。お祭りの一団に巻き込まれないうちに頂上にたどり着くべく、最後の力を振り絞って足を早めました。やっと着いた頂上の眺めは最高!

まるで万里の長城
頂上からの眺め

 そして、登ったからには降りなければなりません。結構キツい勾配の階段をヨロヨロと下ります。下まで降りるとこの要塞の大きさ、敷地に転がる岩の巨大さを再認識しました。川の上流じゃなくて、街中にあんな大きな岩がごろごろしてるのは変な感じです。要塞を築くのも大変だったんだろなぁ。

岩の上の築城
岩の上の天守閣

高い高い城壁
壁も高い

 まさしくお祭り騒ぎの要塞を離れ、帰路に着きます。街中もお祭りモードなのか、電飾キラキラキラ、そして人・人・人・・・さすがインド13億(しつこい)こうして初インド観光は人の多さにびっくりして幕を閉じたのでした。人が多いということは収拾もつかないけど、活気を生むものですね。

7月13日 せれぶなインド

 本日のキーワードは"せれぶ"です。 せれぶの条件、その1、お財布があったかくないといけません。というわけで、到着から3日目にしてやっとこ両替です。それにしてもインドの両替めんどくさいぞ・・・現金>現金 の両替なのにパスポートコピーが必要とは・・・しかも米ドルの紙幣番号を全部書き出さなくてはならないなんて!! ドル紙幣が残った時のことを考えて、あまり高額紙幣は持っていなかったので、大層手間のかかる作業でございました。予想よりもスムーズに待ち時間なく両替できたのが、せめてものラッキー。両替してから気づきましたが、全部の紙幣で人物はガンジーさんなのね。ちょっと面白みに欠けます。

諭吉さんでやってみたい
札びら

 アッパーエリアなので、モールとかよく知った世界ブランドのお店とか沢山並んでました。滞在地域や昨日のゴルコンダ要塞付近に比べて、女性のインド服率も心なしか下がった印象を受けます。そんな女性たちが着ているのは、インドローカルブランドのインドテイストを取り入れた「洋服」。質のいいインド綿でおしゃれに仕立てられた服は日本でも着られそうです。ミドリお勧めのお店で撫子とともに散財してしまいました。

 お昼はケララ料理をチョイス。食堂というよりはレストランと言った方が似合う店構えですが、気取った高級店ではないようです。おかわり自由なランチプレートを頼みました。インドはベジ対応しているので、私も安心して食べられるのが嬉しい。写真にあるプレートの他にも、「ケララといえば魚!」ということで魚料理も頼みました。出てきた料理はまるで「イカン・ペペス」でしたが、おいしかったです。

ランチプレート
ケララ料理

 食事の後は、撫子リクエストのアーユルヴェーダ体験です。cizmaも撫子もインドに対する認識が、「フジヤマ・ゲイシャ・スシ」レベルと大差ありませんので、インドといえば「カレー・ヨガ・アーユルヴェーダ」なのです。初めてのアーユルヴェーダはなんかこう・・・料理の下ごしらえをされている気分になりました。気持ちいいんですよ。リラックスしますよ。でもね、香辛料(ハーブ)が入ったオイルを刷り込まれ、オイルリムーバーがまたこれ香辛料入りのパック系ときたら、魚の下ごしらえとの違いがよくわかりません(苦笑) 1時間ちょっとのフルコースで850ルピー(1500円くらい)は、まさに"せれぶ"。

 アーユルヴェーダでリラックスして日本からの疲れを癒し、今日の夜は再び移動。世界遺産の村ハンピを目指して、初インド鉄道です。22時に出て、明日の6時過ぎに到着予定。んー、長い。寝台車はリッチにエアコン付2等寝台を予約してあります。この辺がまたもや"せれぶ"。

夜行の始発駅Kachiguda
駅

インド亜大陸13億を結ぶ鉄道は車両編成もホームも長い
ホーム

 2等寝台は高級なだけあり、設備も充実してました。一人に支給されるものは 毛布1枚/シーツ2枚/枕(カバー付)/フェイスタオル という豪華さ。壁にはコンセントがあり、携帯の充電もできます。枕元にはライトもありました。あと、普通車と違って、窓には遮光作用のある窓ガラスも嵌ってます。とはいえ、この窓ガラスは一長一短。窓ガラスのせいで、駅で停車してもチャイとか買えないし(窓が開かないから)、遮光作用のせいで外の景色が薄ぼんやりとしか見えません。「世界の車窓から」気分を楽しみたい方にはお勧めしませんわー

窓がなければお買い物ができます
窓なし車両

7月14日 いざ、世界遺産

 予定より1時間弱遅れて、目的駅Hospetに到着しました。1時間程度の遅れとは優秀です。Hospetから目的地である世界遺産の村Hampiへはバスで移動します。バスステーションまでオートで移動し、待つこと数分、すぐにHampi行きのバスに乗ることができました。このバスが意外(と言っては失礼か?)なほどに最新鋭。ジャカルタのメトロミニのようなバスを想像していたcizmaは結構拍子抜け。バスそのものもキレイだったし、なによりも驚いたのは車掌のお姉さんが切符を切るのに使っていたのが「端末」だったのです。なにやら入力したら感熱紙で切符が吐き出されてきました。設備がいい分だけ、ちょっとお高めのバスだったようですが、運転手のおじちゃんは途中でお花を買ってくれるし、至れり尽くせりで大満足。

 バスに揺られること30分ほど、緑の風景を抜けて到着したHampiのバスステーション。降りた途端にミドリは大量の客引きに取り囲まれてしまいました。10人くらいは居たんじゃないかなー?客引きはみんな、自分の勤めるゲストハウスに連れて行こうとアピールしてきます。でもアピールするのに名刺とゲストハウス名の連呼じゃ、なんだかわからん。外観とか部屋の写真とかをメニューみたいに見せればいいのに。とはいえ、長期滞在のバックパッカーと違い、cizmaたちの滞在は1泊のみ。滞在時間を最大限に活かすべく、川向こうに多いゲストハウスではなく、バス停近辺のゲストハウスを選びました。

 部屋に荷物を置いて、さっそく世界遺産観光へ。世界遺産だと認識して、世界遺産観光するのって初めてです。ボロブドゥールとか行ったことあるけれど、あの頃は世界遺産なんて知らなかったもの。

観光前の腹ごしらえ
腹ごしらえ

 まずは一番の目貫通りに聳え立つ、Virupaksha寺院を見学です。シンガポールやマレーシアで目にするカラフルなヒンドゥー寺院やバリで見ることができるヒンドゥー寺院とは、まるで違う巨大建築です。でもよくよく見ると、「あ、こういうのなんかどこかで見たことあるかも」と思わせるものを、そこここに発見できました。

本殿より巨大な正門
正門

アザーン太鼓のルーツ?
太鼓

 かなり広い敷地を一周し、次は寺院の向かい側にある遺跡に向かいます。ここの見所は、大きなNandi(牛)像。しかし、今も活気ある先ほどまでの寺院と違い、このエリアは人が居ない。Hampiは2006年まで危機遺産登録されていただけあり、物悲しさが漂います。ま、結局は「遺産」だからなぁ。活気に溢れてたら「遺産」じゃなくて「資産」と呼ぶべきだもの。

無人の世界遺産
無人

 ガイドブックによれば、この遺跡の脇から続く階段を登ってMatunga山(Hillだから丘?)を抜けると、その先にAchyutaraya寺院に出られる、とあります。山からの眺めは最高とも記載されていますし、せっかくだから登りましょう。そしてこの山登りだか丘登りだかわからない行程が、Hampi滞在の一大イベントとなったのでした・・・

ちょっと急だけどがんばって登る
上り口

 進むにつれ、この山(英名:丘)は危険度が増しました。階段は整備されたものから、岩を並べたものとなり、最後には岩を掘って作ったものになってしまいました。つっかけサンダルに片手がふさがるカバンで登るレベルじゃない。最後のほうは吹き止まない風に飛ばされそうになりながら、両手をついて岩にへばりつきながらの頂上行きとなってしまいました。世界観の問題かもしれないけど、あれを「Hill」って名づけるのはどうかと思う。ガイドブックも「steps」であの山道を片付けるのは止めてほしいよ・・・

階段というより岩登り
階段か?

 風に飛ばされそうになりながら、なんとか頂上に到着しました。見事な絶景、世界遺産を独り占めです。

頂上からの眺め。下に見えるのはAchyutaraya寺院
頂上から

ほとんど誰も来ないような丘の上にも寺院
頂上寺院

 寺院で風をよけて一休みし、次の目的地Achyutaraya寺院を目指して山・・・もとい、丘を下ります。最初は寺院の正門らしきところから階段を下り始めたのですが、風は強いし、どうも降りた先が目的地とは違う方向になりそうなことから撤退しました。もうひとつ、登る途中に見た別ルートの階段(のようなもの)を下った方が寺院近くに降りられそう&そっちの斜面のほうが風がない、との判断から下した決断でした。結果としてこの決断が大正解。両手を使いながらおっかなびっくりの下り坂でしたが、降り口のちょうど目の前にAchyutaraya寺院が! バンザーイw

 こちらの寺院は見事なレリーフの門と本殿、そして参道広場には浴場らしき遺構が残る、広大な敷地を誇ります。また、ここは観光遺跡として整備が進んでいるようで、そこここで草むしりをしている職員や、遺跡を警備しているガードマンの姿を見ることができました。

Achyutaraya寺院
寺院

あの"丘"を登って降りた
丘全景

広大な参道前広場
参道前広場

 今日はまだまだ歩きます。川沿いの道を通って、次はVitthala寺院を目指します。ここにはHampiの代名詞、石の戦車があるのです。それにしても、どの建物も見事な石造り。材料となる石がそこら中にゴロゴロしてるからなんでしょうけど、どうやって切り出したのかな?と思っていたら、ちょうどよく分割中の石を見ることができました。多分、修復作業に使う途中なんでしょう。

大地も石造り
石の大地

ミシン目を入れて割るようです
ミシン目

 目指すVitthala寺院は、Hampiの代名詞である石の戦車があるせいか有料区画でした。入場には250ルピーもしくは5ドル、と表示されています。現在のレートで行くと約500円の250ルピーよりも500円弱となる5ドルの方がお得な気がします。撫子と二人分、ドルで払おうとしたら受け取り拒否されました。リーマンショックで為替差損が出やすくなってるからなんですかね?ミドリがかなり粘ってくれましたが、受け取り拒否は変わらず、結局ルピーで支払いました。「受け取らないなら表示を消すべきだ」と主張して、中へ。でも確かに有料なだけあって、中は見事なレリーフの数々。

石の戦車、動いたというのは本当だろうか?
石の戦車

入り口を守ってる?
入り口のレリーフ

 ここVitthala寺院の入場チケットは、北エリアにある有料区画と同日内なら共通です。がしかし、この時点で3時、北エリアの閉館(?)は18時。まずはお腹を満たさないと次の行動をどうするかの判断力がありません。

赤丸で囲った西地区と北地区が同日に限り共通チケット
共通チケット

 道なりにある遺跡を見ながら、とりあえず、宿方面に戻ることにします。それにしても、Hampiの遺跡の年代は大分新しいはずなのですが、放置のされっぷりがまるでローマの遺跡のよう=沢山ありすぎて、日常すぎて手入れされてない。

King's Balance
King'sBalance

ヤギが乗ったり人が乗ったりしてますが、立派な世界遺産
川沿いの風景

 遅いお昼をHampiの有名店MangoTreeRestaurantで取りました。ここ、味と雰囲気はいいんだけど、メニューのネーミングセンスがおかしい。ポルタは見た目ミートパイ、サモサは巨大揚げ餃子、モモは意味不明な物体だった・・・おいしいんだけどね、見た目とメニュー(名前)の一致ってのも重要だと思う(苦笑)

 お腹が膨れたところで出た結論は、本日の観光はここで終了! 閉館時間に間に合うように急いで移動する気分になれず、それになんといっても朝の丘登りで本日分の体力・気力を使い果たした。3人とも、ここで無理をする若さは持ち合わせていないのです。レストランから宿まで、お土産屋さんを冷やかしながら戻ることにしました。

 途中で見つけたお店で、ミドリとcizmaは両手にメヘンディーを入れてご満悦。職場がお堅い撫子は残念ながら見物。でも、一人くらい手を自由に使える人が居ないと、部屋の鍵も開けられないので、まあいいか!? (ごめん、撫子) Hampiのお店、村、なんかどこかとイメージが被るなぁ、と思っていましたが、なんとなくウブドっぽいんですね。どこがどう、とうまくは言えませんけど。

7月15日 いざ、世界遺産その2

 早めに休んだおかげで、体力気力ともに回復しました。今日は昨日行かれなかった北地区目指して、貸自転車で遺跡を巡ります。

本日の足、1台40ルピー
自転車

 最初の遺跡は、Hemakuta山(Hill)エリアです。奥に進むにつれ、石の大地にへばりつくように、沢山の寺院が建立されていました。丘の上からは昨日訪ねたVirupaksha寺院も見渡せます。

Hemakuta Temples
Hemakuta Temples

 北に向かうエリアは、昨日観光した地域と違い、UNESCO的整備がかなり進んでいました。遺跡エリアはフェンスで囲まれており、重要な像には手を触れられないようになっています。また、芝や花も植えられて公園のようです。お掃除おばさんも待機していて、ちょっとでもゴミがあるとお掃除しに飛んできます。警備員も常駐、落書きなどに目を光らせている感じです(でも効果なし)。

整備完了、ガネーシャ像には近づけません
整備済み

 有料エリアに向かう途中にあるKrishna寺院もまた、彫刻が見事でした。

バロン?とガルーダ
バロンとガルーダ

 道すがらにある巨石建造物、石像を見物しながら進むので、自転車を使っている割には距離が進みません。次の二つはガイドブックや絵葉書に取り上げられることも多い、破損の少ない遺物です。

Lakshmi Narasimha Temple
ナラシンハ

Badavilinga Temple
リンガ

 年代的特徴なのか、エリア的特徴なのかはわかりませんが、イスラム風味が取り入れられた遺跡を見られるのも、Hampiの特徴かもしれません。

Queen's Bath回廊、実は落書きだらけ(苦笑)
回廊

 Royal Enclosure地区にあった(多分)歌舞殿跡は、大量のレリーフに囲まれた建築物でした。象さんの行進のようなレリーフがかわいかったです。登ったところで2階程度の高さにも関わらず、周囲になにもないので上に上ると非常に見晴らしがいい。そして、この歌舞殿のある宮殿エリアが非常に広大だったのがよくわかります。往時を偲ぶにはもってこいのポイントかも。

見渡す限り遺跡
歌舞殿よりの眺め

 次は、Hazararama寺院です。こちらには、絵葉書などに取り上げられる見事なレリーフが施された柱があります。本殿の柱だけではなく、壁のレリーフも見事でした。ただ、せっかく見事なレリーフなのに、「補強柱」があまりにも無粋。周囲との調和を考えるってことはないんですねぇ?この豪快さはある意味爽快。

レリーフ柱の真ん中に補強用コンクリブロック柱
補強柱

 レリーフを堪能し、次は最後のハイライト、有料区画のゼナナ地区を回ります。昨日のチケットはさすがに使えないので、おとなしく250ルピー払いました。ここの目玉は「象舎」と「ロータス・マハル」。どちらも絵葉書やガイドブックによく取り上げられるHampiの代表格です。

ロータス・マハルはヒンドゥー建築とイスラム建築の合作
ロータス・マハル

 エリアを散策しているうちに、うっかり有料区画外と思われるところに出てしまいました。こちらはまだまだ発掘中、と言った様相です。おそらく、整備される前はほとんどのエリア、遺跡がこんな感じだったのだろうなぁ、と思わせるものでした。

まだまだ発掘・復旧作業中のMadhava寺院
発掘中

この復旧は正しいの?(床にレリーフ材)
床にレリーフ

 有料区画を見終わったら、既に14時。今日は再び夜行の旅なので、観光はここまでにします。宿方面に自転車を走らせ、まずは腹ごしらえ。その後、既にチェックアウトしていた宿ですが、事前交渉どおりに風呂場を借りて、こざっぱりしました。夜行の待つHospet駅までローカルバスに揺られます。今回は行きと違って、日本だったら車検通らないな〜という状態のバスでした。こんな見た目ですが、メーターはあった。メーターのないメトロミニ@ジャカルタよりマシかも!?

まだまだ現役
がんばるバス

 行きと違い、帰りは始発駅ではないので、電車の到着は相当遅れる可能性を覚悟していましたが・・・時刻表の予定よりわずか20分の遅れで到着!席を先着に占拠されている、というようなこともなく、無事に寝台も確保できました。到着は明日の昼前の予定です。することもないのでゆっくり寝て、起きたら目的地、を期待したのに、ここで思わぬ伏兵にやられてしまいました。

 4人で1部屋(?)の2等寝台、帰りはcizma、ミドリが上段で、下段は知らないおじさん2名。このうちの一人が・・・もうものっすごいメタボで。メタボってことは肥満ってことで、肥満ってことは脂肪が沢山あるってことで、就寝中は筋肉が弛緩して喉がその脂肪で塞がれるってことで・・・そう、彼は明らかに睡眠時無呼吸症候群な、もんのすっごい大音量のイビキを一晩中轟かせたのですT_T 音って凶器になりうるのね。そして、無呼吸症候群ではいつなんどきポックリ、ってリスクもそれなり高いはずで、起きたら一人違う目的地に到着されてても怖いという思いもあり、心底安心して眠れませんでした(寝られても眠りが浅い)。イビキの音は聞きたくないけれど、次のイビキまであまり間隔が長いとそれはそれで気になる、という夜を過ごして、気づけば朝。

 Hampiの遺跡写真を別途公開しています。よろしければそちらもご覧ください。石・岩・レリーフばっかりですが(苦笑)

7月16日 旧市街へ

 寝たような寝てないような一夜を過ごし、時刻表からそう遅れることなくハイデラに到着しました。ほとんど観光客の居なかった、オフシーズンのHampiと違い、やっぱりここは都会。人とオートと車が沢山居て、街は音で溢れかえり、通りは活気と喧騒に満ちています。

 オートといえば、ジャカルタでは大気汚染や渋滞の元凶として、年々肩身が狭くなってる感がありますが、ここインドではまだまだ主力です。主力どころか、メーターを装備したり、燃料をLPGに切り替えたり、進化してます。コピー(製品)=ゼロックス(メーカー名)、絆創膏=バンドエイドのように、インドネシアではバジャイ(メーカー)と言えば自動三輪車(オート)のことなのですが、インドでは違うようです。ハイテク装備させるほどの力があるメーカーですから、当然、他の製品も作ってたんですね。

LPGで走るオート
オート

BAJAJ(バジャイ)のディーラーショップ?
bajajディーラー

 ミドリの家に辿り着いたのは、お昼前くらい。午後はミドリの同僚インド人、Mさんの案内で旧市街を回ります。そのためにはまず昼寝。グーzzz....

 Mさんとの待ち合わせ場所は、ハイデラのランドマーク「チャール・ミナール」。旧市街のムスリム地区に聳え立つ、凱旋門とでも言えばいいのでしょうか?入場料が必要ですが、人一人がやっと通れる程度の幅しかない螺旋階段をぐるぐる登って、展望エリアに到着します。ここから市内を一望することができます。もっと上のエリアもあるそうですが、過去にそこから飛び降りた人がいて、見学・立ち入り禁止になってしまったそうです。

チャールミナール全景
チャールミナール

 チャール・ミナールの近くには、世界でも最大級の収容人数を誇るメッカ・マスジドがあります。ガイドブックによれば、異教徒・女性入場OK&カメラ撮影可ということで期待していたのですが・・・こちらは1年半ほど前に起こった爆弾テロの影響で手荷物持込禁止になってました。もちろん、携帯もカメラもNGです。近くにあるMさんの友人が経営するカフェにカバンを預け、財布をポケットに入れての見学となりました。(モスクの敷地には入れますが、建物の中には入れません)

 モスク見学の後、Mさんお勧めの「ハイデラで一番評判のいいチャイ」をいただきました。確かに店内も外も賑わっていて、疲れた体に甘さがいい具合に染み渡るおいしいチャイでございました。チャイで糖分を補給したので、今度はバザールで買い物です。旧市街はムスリムが多い地区でもあり、ここでなら海路郎さんリクエストの香水が手に入るはず!

 バザールでの買い物にはやっぱり地元の人がいると心強いです。地区で一番古い(らしい)老舗に案内してくれ、値段交渉もしてくれました。中ビンが100ルピー、小ビンが50ルピー。お留守番の海路郎さんには奮発して、中ビンを買ってあげることに。ミドリと撫子もそれぞれ小ビンをお買い上げです。

お店の看板は昔の特大香水入れ(らしい)
香水屋さん

 お土産を買って、これで一安心。次はハイデラといえば「バングル」が有名だ、ということで、Mさんの友人経営のバングル屋さんに向かいます。お店は目が痛くなりそうなくらいにキッラキラしてます。このキラキラが人を引き寄せるんでしょう。そしてキラキラを助長するのが、四方八方のガラスと鏡とそこに反射する電球。キラキラさせるために蛍光灯ではなく電球を使用しているので、店の中の温度はちょっと高め。
 バングル屋さんが集まるのはチャールミナール近くの路地です。日も暮れてきたので、キラキラはさらに輝き、チャールミナールのライトアップがそこにまた光を添えます。

街の活気はまだまだこれから
夜のバザール

 ありがたいことに、この日の夕食はMさんの親戚のおうちに招待されました。姪御さんが最近結婚されたので、親戚一同集まっての食事会が開催されるとのこと。今日はハイデラ名物・名所づくしな1日ですが、ハイデラ名物のビリヤ二も食べられることになりました。お店のビリヤニもおいしいところはあるそうですが、家庭のビリヤニにはどうしても適わないんだとか。そんな家庭のビリヤニをいただけるなんて、なんてラッキー。

ハイデラバード・ビリヤニ(マトンの炊き込みカレー?)
ビリヤニ

 名物にうまいものなし、というのは間違ってますね。おいしかったです!! 

7月17日 最後の日

 気づけば5日ちょっとの初インドも本日が最後。日付が変わる直前には飛行機に乗って、バンコク経由で成田に戻る日がやってきました。最後の日ではありますが、飛行機は深夜便です。まだまだ半日程度は遊ぶことができます。

こんな風景も今日で見納め
車窓より

 午前中は徒歩圏内にあるスーパーでお土産を探しつつ、お買い物をすることにしました。どうしても会社関係には、スーパーでこぎれいなものを買っていった方が無難ですから。このスーパーは4階建てで、食料品だけではなく衣料品や日用雑貨、家電なども取り扱っています。そしてcizmaと撫子が吸い寄せられたのはデジ物コーナー。なんとTranscendの8MBUSBメモリが875ルピー。日本円換算で1600円ほど。同じ製品がSoftmapで2000円超えですから、ポイントが付かないこととかカード払いの手数料(1%)だとかを考えても、お得です。インドまで来てなにを買ってるんだ、という考えは押し殺し、ほぼ即決で二人ともお買い上げとなりました。その後、食料品コーナーでお茶とかお菓子とかをお土産用に購入。これでインドでの買い物に思い残すことはありません。

 買い物袋をぶら下げて、小腹を満たしにミドリお勧めのドーサーを食べに行きます。日本的に言えばクレープかお好み焼き・・・? 結構なボリュームなので、3人で1皿で十分満腹。

ドーサー
ドーサー

 まだ時間があります。インドでの疲れを取って、長時間移動に備えるために、もう一度アーユルヴェーダを受けることにします。アーユルヴェーダを堪能した後は、再び買い物(笑)。昼に思い残すことなく買い込んだのは"お土産"。自分用に残ったルピーを使っちゃえ、ってなもんです。ルピーを消費してインド経済に大貢献した後は、最後の晩餐。南インドにありながら、北インドの料理を紹介するちょっとおしゃれなお店に連れて行ってもらいました。ここで今回の滞在で初ナン。インド料理といえば「ナン」なイメージですが、特に南の方ではそうではないようです。

 空港には予定通り、飛行機出発の2時間前に到着しました。一応、昨夜のうちにチェックインはしておきましたが、成田同様に「インターネットチェックイン専用カウンター」はありませんでした。事前に席を選べる以外に、タイ航空のインターネットチェックインはあまりメリットがありません(苦笑) ハイデラ新空港は新しいせいか、見送りの人は入館するのに100ルピー必要になります。ここの物価を考えると100ルピーって結構な大金です。しかも、入館料払って見送りできるのは、柵で区切られた特別エリアでのみ。なんかなー寂しいなー・・・それでもかなりの人が柵に鈴なりになってましたけどね。柵越しでミドリに別れを告げ、インドを後にしました。また来ることはあるのかなー・・・?

7月18日 帰国

 帰国便はなんかもうほとんど寝てました。おかげで起きたら外国人用出入国カードと税関申請書が置かれてましたとさ・・・

どうせ見た目は外国人
カード

 長いようで短い、5日間の初インドから無事帰国。ミドリのアレンジのおかげでアクシデントもハプニングもなく、本当に楽しいだけのインド旅行でした。インド13億の衝撃(byNHK)は、ただただもう人が多いってことかも。そしてハプニングがなかったせいもあるのか、帰国して日本の日常に慣れてくると、なんとなくインドが懐かしく、また行きたい気分になる自分に驚きます。ま、でもcizmaの性格ではインド乗り切れそうにないですし、インドネシアでいっぱいいっぱいなので、在住の友達でも居ないと行かないだろな そうそう、大陸の13億と島国の2億、島国の2億のほうがよっぽど収拾がついてると思います。インドネシア人は信じてくれないけど、インドよりインドネシアのほうがteraturですよ。

 どうでもいい後日談:迎えに来た海路郎さん、電車でデジカメ映像を見るうちにカレーが食べたくなってしまい、cizmaの帰国最初のご飯はカレーとなってしまいました。お箸の国の人になんたる仕打ち!!