- 第1回PakuBumi主催エディ・ナラプラヤ杯参加の記 -

 2017年2月3日から5日までインドネシアのジャカルタで開催された第1回PakuBumi主催エディ・ナラプラヤ杯に参加してきました。パク・ブミというボゴールに本拠地を置く伝統流派が主催する、小中高生対象のオープン大会です。日本からジュニア選手が大会に参加するのが初めてなら、個人的にはコーチが主任務である渡航も初めて。
 恒例の(?)大会記録をメインに旅行記をば・・・と思いましたが、旅行記は当初書く予定ではなかったので、リアルタイムで更新していたブログと重複しそう。

第1回PakuBumi主催エディ・ナラプラヤ杯概要
 (1)大会について
 (2)大会参加国
 (3)大会日程
 (4)競技種目
 (5)競技結果

大会こぼれ話・裏話
 2月1日(水):ジャカルタへ
 2月2日(木):オフ日
 2月3日(金):小学生の部、開会式
 2月4日(土):本番、金メダル
 2月5日(日):のんびり
 2月6日(月):日本寒い

第1回PakuBumi主催エディ・ナラプラヤ杯(3~5th Feb. 2017)概要

第1回PakuBumi主催エディ・ナラプラヤ杯について

 ボゴールに本拠地を置く伝統流派パク・ブミが主催の小中高生を対象としたオープン大会である。浅学ながらこの流派のことは知らなかったが、シラット界の重鎮エディ・ナラプラヤ氏(前インドネシア・プンチャック・シラット協会会長、前世界プンチャック・シラット連盟会長)が顧問を務める流派とのこと。そのご縁で「エディ・ナラプラヤ杯」とのタイトルを冠しているようだ。前回の第1回大会にはシンガポールからの参加があった聞いている。今回、海外からの参加は日本のみだったが、流派を問わず、アチェからマルックまでインドネシア全土から子どもたちが集まっていた。

 さほど規模の大きくない流派のため運営のマンパワーが足りないのか、公式サイトなどで参加チーム数等を確認することはできない。主催者によれば参加人数は全体で1200人を超えているとのことではあった。ちなみに日本からは中学生女子選手が演武種目トゥンガルに参加した。

会場はパデポカンTMII

参加チーム

 前述のとおり、公式発表を確認する術がない。学校単位での参加、地域の伝統流派がメンバーの子どもたちを集めたチーム、などがあったように思う。遠いところではアチェ、ジャンビ、マルックから来ていた。同じジャワ島でも東ジャワや中部ジャワなど遠方からの参加チームもあった。道着から判断できる伝統流派としてはプリサイ・ディリ(PD)、ムルパティ・プティ(MP)、タパ・スチ、サトリア・ムダ・インドネシア(SMI)、アル・アズハルの参加が確認できた。KATEDAとPSTDも居たように思う。また当然、主催者であるパク・ブミも大人数で参加していた。
 海外からの参加は日本のみ。前回参加したシンガポールは来週開催されるジャカルタ・オープンへ派遣することにしたようである。

大会日程

  1200人以上の参加者を3日間で捌くため、会場内には3つの試合面が用意されていた。人数の少ない順に小学生の部、高校生の部、中学生の部を実施。開始時間は8時、昼食休憩は1時間ほど、夜(マグリブ以降)は試合を行わずに、3日間で全予定を消化した。

日付 イベント
2(木) 選手団到着
3(金) 小学生の部、開会式、高校生の部
4(土) 高校生の部続き、中学生の部
5(日) 中学生の部続き、閉会式

競技種目

 プンチャック・シラットの試合には大きく分けて、体重別の階級で打ち合う試合部門と規定の型を競う演武部門とがある。今大会では小学生の部、中学生の部、高校生の部、それぞれで試合部門と演武部門ソロ演武トゥンガル種目が行われた。プレジュニア・ジュニアの年代は階級のスタートする体重、階級の切り替わる体重が成人の部と異なり、より軽い設定となっている。例えば成人の部だと45~50キロに規定されているAクラスが、小学生の部は19~21キロ、中学生の部は30~33キロ、高校生の部は39~43キロと設定されていた。

競技結果

 「Save Our Culture」をスローガンに、若い世代がシラットを”楽しめる”ことを主眼においた大会であったため、全員がなんらかのメダルを持ち帰れるように工夫されていた。具体的には、試合部門の登録選手数は最大4名までであり、負けても銅メダルを持ち帰ることができる(競技シラットは3位決定戦を行わないため)。演武部門は高得点を獲得した複数の上位選手に金メダル、それ以外の選手をある程度成績で線引きし、銀メダルもしくは銅メダルが授与されていた。

 とはいえ、全員が真剣に取り組んでいることに変わりはなく、小学生の部・中学生の部・高校生の部それぞれで、金メダル総数による優秀チームが表彰されていた。高校生の部で表彰されたのはサトリア・ムダ・インドネシアの商業高校チームだったようである。

大会こぼれ話・裏話

2月1日(水):ジャカルタへ

 初めて、ジュニア選手を引率しての渡航です。日本からジュニア選手が大会に参加するのが初めてなら、コーチとして引率するのも初めて。選手自身も大会初参加です。自分の安心材料は行先が勝手知ったるパデポカンであること、選手個人さらにそのご両親が長い付き合いの相手であることくらいでしょうか。中学生といえば全くの子供というほどではないものの、まだまだ未成年です。信頼して預けてくれたご両親に、選手が「行ってよかった」と報告できる渡航・滞在にしたいと思います。

 羽田発ですが12月に乗ったのと同じガルーダなので、特に目新しさはなく。「このお食事はイスラム教の調理過程を経て提供しております」と宣言しているので、今回はムスリムミールを頼みませんでした。恐らく「調理過程」と「ムスリムミール」の差はハラル認証だと思われます。

 ジャカルタ到着後、ちょうどサウジからのウムロ団が帰国したタイミングで手荷物引取り台はカオス。一つのレーンにジェッダ・関空・羽田の3便分を回す、と表示されていました。ちょっと勘弁してほしいなあ・・・とウムロ団を遠巻きに見ていたところ、関空・羽田の2便分は隣のレーンに変更とのアナウンスがありました。荷物台を取り巻く人間は半減しましたが、それでも荷物が出てくるまで大分待ちました。1時間は経ってたように思います。時間がかかってもロストバゲージとかがなければなんでもいいんですけどね。

 海外渡航時の鬼門、送迎との待ち合わせもまあ順調な部類だったかと。でも携帯がなかったら現在地を伝えられないので、どうなっていたことやら。12月にバリで購入したSIMがまだ使えて、本当によかったです。
 ジャカルタは空港の拡張工事とMRTの建設であっちこっちが建築現場な感じがしました。あと、空港に随分アラブ系観光客が増えた印象を受けました。まあ、ジャカルタ空港に来るのが久しぶりだったり、到着便の時間帯の関係だったり、今までは気付かなかっただけかもしれません。

 17時半に着陸、荷物を受け取って送迎と合流が18時半過ぎ、19時前には空港を離れ、それなりの渋滞の洗礼を受けつつ南ジャカルタのパデポカンに到着したのは21時前。宿舎ではエディ・ナラプラヤ氏に会えるというサプライズがありました。そして明日の朝食はエディ氏と共に取ることに・・・ありがたいことですが、これで寝坊不可確定ですw

2月2日(木):オフ日

 大会の開催案内が届いた当初、今日が大会初日となっていました。それが出発2週間ほど前に初日は3日に変更となり大会自体の日程は1日短縮された、との連絡が入りました。今更チケットの変更はできませんので、2日はオフ日のつもりで渡航しています。オフ日とはいってもジャカルタですから、亡き師匠宅にお邪魔するとか、同門と旧交を温めるとかやることはいくらでもあります。まずは昨日約束したエディ氏との朝食からスタートです。

 実は、今大会に参加する選手は20年前にエディ氏によって日本に派遣されたインドネシア人コーチのご息女です。日本シラット協会(当時。その後日本プンチャック・シラット協会に改称)設立に尽力した当時の在日インドネシア大使館勤務の外交官ボ・スダルゴ氏の要請を受け、1996年に5名の達人から構成されたデモチームが2週間の予定で日本へ派遣されました。このうちの3名がその後も日本に残り、さらにその1年後に帰国した1名を除いた2名は現在に至るまで20年以上、日本でのシラット普及・発展に努めてくれています。そしてうちの1名は日本で伴侶を得、そのお嬢さんが今大会の参加選手なのです。時の流れを感じるとともに、目の前で共に朝食を取るこの好々爺が彼らを日本に派遣しなければ、この選手はここに居なかったのだなあ、と感慨深いものがありました。
 ちなみに当時派遣された5名の達人はプリサイ・ディリ、ムルパティ・プティ、パンリプール、タパ・スチ、ヌサンタラとそれぞれに所属の異なる方たちでした。シラットの普及・発展には流派横断の総員体勢オールシラットが必須、という考えの元での人選だったのでしょう。先人の示した”オールシラット”を胸に、地道に頑張りたいものです。なお、帰国しなかった3名が所属する流派プリサイ・ディリ、ムルパティ・プティ、パンリプールは、現在に至るまで日本プンチャック・シラット協会の会員として活動を支えています。

 閑話休題

 会話の中でエディ氏から「日本からはるばる来たのだから、明日の開会式で是非演武をしなさい」「実はアメリカとドイツからのゲストが居るので、彼らも演武をする」との話がありました。開会式の運行を確認しないと”確定”ではないでしょうが、ここはインドネシア。トップダウンが基本です。もうこれは、ほぼ確定事項・・・度胸試しとして選手にはがんばってもらうしかありません。

 午後、正確には昼前から同門の車でお出かけです。故師匠宅を訪問し、青空道場で軽く運動。前回この青空道場を訪問した時はまだ整備中で土肌むき出しでしたが、砂地に改良されていました。屋根付きの休憩所も新設され、格段に居心地がよくなっています。

青空道場
青空道場

 夜になってから宿舎に戻り、運営に明日の段取りを確認します。結果、朝のツルの一声は実現する運びとなっていました。明日は8時から小学生の部が実施されます。その後、金曜礼拝を挟んで13時半から開会式です。この開会式の中で日本選手が演武披露をすることが決定していました。運営曰く、アメリカとドイツからのゲストと日本選手の流派は同じなので、3人でやればいい、とのことでした。・・・が、確か朝に聞いた話では彼らはBangauPutihという流派。こちらの選手はMerpatiPutihです。鳥違いだと思うんだけど(Bangau=コウノトリ、Merpati=ハト)どこかで伝言ゲームが発生した予感がするので、選手は一人で演武をする覚悟で明日に臨んだ方がよさそうです。

2月3日(金):小学生の部、開会式

 朝の8時から小学生の部が始まるということで、少し早めに会場の見学に行きました。どんなチームがいるのかなど、会場の雰囲気を知りたかったのです。参加者総数1200人以上というのはやはり大人数で、会場は大分賑やかでした。また、昨日のうちに運営に預けた日本国旗が掲げられ、さらに各チーム・流派の旗が壁に飾られ、一層雰囲気を盛り上げていました。

流派の旗の数々
流派の旗

 8時開始までまだ少し時間があります。知り合いがいるかもと思い立ち、審判控室に顔を出しました。予想どおり、顔見知りが数人。そして「お、折角だから審判手伝って」という流れになりました。選手を放置することになってしまいますが、経験値を積める機会は正直、貴重です。ありがたく申し出を受け、日本チームコーチから押しかけ審判にジョブチェンジすることにしました。期間は今日1日と明日の午前中。明日の夕方に選手の出番(中学生の部が始まる)があること、明後日は帰国日なので、大会の全期間中に審判というわけにはいきません。

 試合数が多いため時間節約なのでしょう、試合ごとの審判の出入りはなし。最初に一度入った後は2試合終わるごとに席替えをして進んでいきます。また、採点審判も通常の5人ではなく3人で進められました。最低人員は押さえていますから、3人でも規定違反ではありません。実際、ベルギーオープンでは手配できる審判の人数に限りがあることから、3人で行われています。本大会では3面の試合場を用意していますので、5人の採点審判を手配するとなると審判団の数が膨れ上がってしまいます。そのため3人体制を採用したのだと思われます。

 小学生の部のトゥンガルは素手のみ。本来であれば剣と棒を加えて3分で演武するところを、素手のみなので基準となるのは1分20秒、とアナウンスされました。採点審判ではなく、採点を取りまとめる審判長席で小学生のトゥンガルを見るのは新鮮です。まだまだ成長途上の体ですから、大人のような力強さは出せませんが、どの子も一生懸命でよかったです。小学生の部は上位半分に金メダル、下位半分に銀メダルが授与されました。思ったような演武が出来なかった子は悔しそうにメダルを受け取っていましたが、メダルはメダルです。嬉しさ・悔しさを糧に次へつなげてほしいと思います。
 試合部門は・・・ちょっと格差が激しかったかな。恐らく体重による階級別けだけではなく、学年によってもエントリーが別けられていたのでしょう。同体重・同学年でも体格が違うケースが結構見受けられました。小学生低学年で頭ひとつ身長が違うとリーチが全く異なるので、小さい方の子は大変です。大人になるとサプワン(払い)やバンティンガン(落とし)などを繰り出しますが、小学生の試合はまだ突き・蹴りが主体だったため、届かないと話ならなないという。小学生は勝った方に金メダル、負けた方に銀メダルというシステムのため、いずれにしてもメダルをもらえるのですが、勝ってうれし泣き、負けて憮然、といった選手が大勢いました。メダルのあるなしに関わらず、小さくてもそこはアスリート、勝負に賭けてるんですね。

小学生女子の部
小学生女子

 本来は3ラウンドやるところを2ラウンド制、かつジュニアのため1ラウンドが1分半・休憩時間30秒で進行していくので、思ったよりもサクサクと進みます。難しい場面が発生し審判合議が行われることも、けが人が発生してドクター呼び出しの治療タイムが必要となることもありませんでした。
 昼前には金曜礼拝のため一時中断となり、13時半から開会式、14時から試合再開との案内がされました。

 金曜礼拝を済ませ、エディ氏とともに開会式に臨むため、13時半頃ロビーに集合。行ってみるとアメリカとドイツからのゲストはやはり、BangauPutihのメンバーで鳥違いのため日本選手と共に演武することはできません。大会経験もないまま、会場の視線を一身に集めての演武はなかなかのプレッシャーです。でも、がんばりました。選手のことは新生児の時から知っていますが、人っていつの間にか大きくなっているんだなあ、と。次世代が育ってきていること、また、そのように方向づけたご両親に感謝です。
 ちなみにアメリカとドイツからのゲストと聞いていたBangauPutihの2名ですが、アメリカとフランスからの来訪者でした。ドイツとフランスじゃ全然違うじゃん・・・

開会式演武
開会式

 開会式の演武を無事に終えた選手は、お手伝いに駆けつけてくれたインドネシア人の同門と買い物へ。cizmaは再び審判任務に戻ります。マグリブ前に今日の部は終了し、解散となりました。

 選手は開会式の演武で一躍、会場の人気者となっていました。そのため、夜に明日の本番に備えて会場で練習した後、サイン攻めならぬ写真攻めに遭うことに。芸能人が動くと囲み取材の記者やファンも一緒になって動き、そのため「人の塊」が移動しているように見える、というのをスクリーンの向こうではなく、目の前で見る日がくるとは思いもしませんでした。でも、本人に写真を撮ろうと言う前に、コーチ=保護者であるcizmaに「一緒に写真撮りたいです」って言ってくる子供も多く、文化(礼儀作法)の違いを垣間見ました。ちょっとしたマネージャー気分でもありましたがw そういえば携帯がない時代は友人に電話する=自宅の固定電話だったため、まずはご両親に「○○ちゃんと話したい」ときちんと挨拶できるかどうかが重要ポイントだったのを思い出しました。挨拶・ごめんなさい・ありがとうは大事です。

人気沸騰中
モテ期

2月4日(土):本番、金メダル!

 昨日から始まった高校生の部が終了次第、中学生の部が始まります。午前は準決勝、昼前から決勝を実施、中学生の部が始まるのはsore=夕方との情報です。とりあえず午前中は審判、午後の昼休憩からはコーチにジョブチェンジすることにしました。昼休憩前の残り試合数などから、中学生の部の始めを飾る、日本選手出場の演武部門トゥンガルは15時過ぎ開始と当たりをつけます。会場には15時頃スタンバイし、もろもろ準備や動きの確認。結局、呼び出しがあったのは16時頃。そういえば、「一緒に写真を撮りたい」と大勢の子供たちが選手に近づいてきたのを「本番前だから」と下がらせるのは、ちょっとした芸能人のマネージャー気分でした。

もう少しで本番です
本番前

 日本選手の出番は8人いるC組の5番目。少し待ち時間が長い順番ですが、最初だったり最後だったりするよりは全然いい。初めての大会出場ですが、開会式のように会場の視線を一身に集めるわけではありません。会場には3面の試合場がありますから、単純にいえば集まる視線は開会式の三分の一。臆せずに演武をしてほしいものです。

 日本選手は冬の気温で練習を積んだ体で南国の大会に臨んだことで、「いつもより体が動く」状態となりました。さらに、日本では「本番同様」の練習環境を整えられないので、マットの上で動く感触・感覚が養われていません。緊張もあったのでしょう、結果、動きが早くなってしまいました。演武時間が規定時間に合致しなければ、減点対象あるいは失格です。
 セコンドに入るコーチとして本来であれば問題行動ですが、大会の性質から大目にみてくれると判断し、場外から声掛けを行いました。まあ、世界大会などではコーチではなくチームメンバーがやっている行為なんですけれどもね。規定時間3分ぴったり、もしくは減点対象にならない±5秒以内に演武が収まるように、ストップウォッチを見ながら「早い」「遅い」を選手に合図するのです。聞こえるか心配でしたが、「早いよー」という声は聞こえていたようで、調整しながら演武時間2分56秒でフィニッシュ。3分ジャストが規定、そこから−4秒なので減点対象ではありません。

 結果は金メダル!
 冒頭に説明したように、本大会は「全員メダル」な大会です。それでも、なかには演武が規定時間を満たさず、あるいは、緊張のあまり動きをド忘れし、その結果失格になった選手も見られました。失格になった選手は気の毒なくらいに涙を流しています。試合部門の勝ち・負けの涙と同じ。どう転んでもメダルがもらえるから、と甘く本番に臨んだ選手も指導者もいないのです。

沢山のメダル
メダルいっぱい

 日本選手の金メダルは得点でみるとC組8人中の2位でした。それでも400点越えの上位得点者ですし、全体27人を中でも435点(B組1位)433点(C組1位)432点(B組2位)に続く、430点での4位です。(A組1位は417点) 上位の中でも上位ではありますが、2位(かつ4位)での「金」、しかもメダルに「1位(juara 1)」と書いてあるのは、選手本人として複雑なものがあったようです。嬉しいけれどなんかモヤモヤする、というところでしょうか。
 そうは言っても、初めて親元を離れて海外大会参加、急遽決まった開会式でのソロ演武を経て、上位の成績を残したことをまずは素直に喜んでいいと思います。まあ、なんだ、とりあえずコーチの一人であるcizmaがちょっと嬉しいのです。今大会の結果を一つのゴールとし、モヤモヤと反省点は次へのスタート。期待してます。

メダルと参加証で記念撮影
記念撮影

2月5日(日):のんびり

 大会3日目最終日、本番も終わりノンビリ気分です。夜の飛行機で帰国のため、審判への復帰もせず、会場見学や荷造りをして過ごす予定です。
 パデポカンは大会会場としてだけではなく、シラットの練習場としても使われているところです。大きな国際大会(SEAゲームズなど)前には代表チームが強化合宿を行いますし、普段も伝統流派による練習が行われています。本番を終え、そのような練習を覗く余裕ができました。この日曜の午前に遭遇したのは、ヌサンタラ、ムルパティ・プティ、スティア・ハティ・トゥラテ(PSHT)です。他にもSMIとカテダをみかけましたが、彼らは大会参加の傍らに練習をしていたようでした。

同門が指導するヌサンタラ
ヌサンタラ

昨日本番が終わったSMIの高校生たち
SMI

 日曜だから普段よりは空いているであろうと思われましたが、渋滞で国際線に遅刻してはたまりません。空港で時間を潰す覚悟で夕方にはパデポカンを離れました。次にここに来られるのはいつかしら・・・なんやかやとジャカルタの端にあるので「ついで」に遊びに来るにはロケーションが悪いのよね。

 さて今回初めて、ジャカルタでトランクを開ける羽目になりました。武具類と液体が写っていたのが怪しまれたようです。武具に関しては道着とともに入れていたため、「ああ、シラットか」でさくっとOK。ありがとうインドネシア。もう一つの怪しい荷物、それは海路郎さんに渡された蜂蜜約2リットル x 2本。実は一時帰国のため、海路郎さんは先にインドネシアに渡っていました。そしてcizmaのジャカルタ訪問に合わせて、カリマンタンにいる親族たちとジャカルタ大集合をしていたのです。蜂蜜はこの在カリマンタン親族のお土産。トランクに入れて機内持ち込みにしなければ大丈夫でしょ、と持って帰るように渡されたのですが、まず重い。そして結局、トランクを開けての職質。取り上げられなかっただけマシですが、武具に液体を運ぶジルバブな日本人って、どう思われたんだろう。そして2リットルの蜂蜜をどうすればいいんだ・・・毎日スプーン一杯か。

2月6日(月):日本寒い

 深夜23時台の飛行機、乗った途端に爆睡。いつ離陸したのかもわからないまま、気づけば到着まであと2時間を切っていました。行きはなかなか着かないなぁ、と感じたのが嘘のよう。空港に到着すると、同便の搭乗客を迎えに来ていた顔見知り・知り合い数人に遭遇しました。既にメダルの事を知っており、到着早々に「おめでとう」で迎えられたのはちょっとしたサプライズです。

 蜂蜜が入って重いトランクをえっちらおっちら持ち帰り、午後から出社。ああ、日本寒い。