- 西ジャワ3都市10日間 -

 2018年4月24日から5月4日まで、ガルット・バンドゥン・ジャカルタの西ジャワに滞在した10日間でした。日ごとに章立てするのがちょっと難しい滞在だったので、イベントごとにダラダラと。

 第1章 Kasundan International Silat Camp@ガルット
 第2章 結婚式参列@ガルット
 第3章 大会観戦@バンドゥン
 第4章 文化功労賞授与式@ジャカルタ

第1章:Kasundan International Silat Camp@ガルット

 今回の渡航で一番滞在が長いのは最初の目的地、ガルット。西ジャワの山奥、のんびりとした涼しい土地です。そして何しに行ったかと言えば、シラットキャンプに参加してきました。

キャンプの案内
キャンプの案内

 Kasundan International Silat Camp、シラット国際合宿inスンダ とでも訳せばいいのでしょうか。ジャカルタは別として、ジャワ島の左側3分の1、スンダ語が通じるエリアがスンダランド、だとcizmaは認識してます。もしくは地名にciが付くエリア。banyuになるとジャワ語エリアだなーと思います。まあ、それはさておき、開催地のガルットはバンドゥンから1,2時間の距離にある、スンダランドど真ん中。同じスンダランドど真ん中でも、学術都市として他からの流入があるバンドゥンとはまた異なり、奥地にあるためか、なんかこう、濃いスンダな空気がありました。

 そんな山奥(山奥連呼しすぎ?)でなぜに「国際合宿」か。それは、世界のチェチェップ・アリフ・ラフマンが住んでいる&彼の道場での合宿だからです。by CEC LimanjayaのCはチェチェップ(Cecep)のC!(というわけで彼の名前はセセップじゃないからね、そこのとこよろしく!)
 CEC Limanjayaは Cecep Eric Christof の頭文字を取ったもの。自宅を立派な道場兼合宿所に改装したチェチェップ氏は、昔からの知己であるフランス人シラット家のEric(エリック)氏と同じくフランス人の映像家Christof(クリストフ)氏の3人でタッグを組み、CEC Limanjayaと名付けたプロジェクトを始めたようです。 最終的にはこの道場を起点に、シラットだけではなく各種スンダ文化(踊りとか風景とか食とか)にアクセスできるようにしたい、とのことでした。
 今回のキャンプはこのプロジェクトのオープニングであり、また、活動記録第1号とも言えるでしょう。チェチェップ氏の所属する流派であるパンリプールの海外会員を中心に、さらにFBでの案内や過去のチェチェップ氏海外セミナー経験をきっかけとした参加者が10ヶ国から20名以上集まっていました。インドネシア国内も6か所からの参加があり、総勢30名以上。海外は10ヶ国から20名、国内は4か所からの参加を目標にしていたとのことですから、想定以上の大成功と言えるでしょう。
 ちなみに海外勢はスイス、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ、ブラジル、ルーマニア、マレーシア、シンガポール、日本の10ヶ国。飛び入りで一時参加していたイタリア人がいたので、実質11ヶ国と言えるかもしれません。参加者の3分の1はパンリプール所属ではなく、また、海外勢の場合は本国でシラットをやっていない参加者も数名いました。

 最初の2日間は主に主催の一人であるチェチェップ氏が所属するパンリプールの昇段試験を行う予定になっていました。パンリプールの昇段試験なので試験に参加するのは当然、パンリプール会員のみ。では非会員はどこかに隔離されたのか。それがそうではなかったようです。(ようです、というのはcizmaはこの2日間不参加のため) 試験の暗記科目である「型」以外は一緒に習えた様子。試験はグリーンアドベンチャーよろしく、森の中をトレッキングしながら行われたため、そのものを見ることはできなかったそうですが、それでも随分とオープンな対応だなあと思いました。

 cizmaは24日の飛行機で25日から参加予定で出発しました。そしてガルットは遠かった。24日のうちにガルット入りするつもりが、結局25日になりました。敗因はジャカルタからバンドゥンへの移動です。飛行機の到着時間が夕方16時。乗り込んだバンドゥン行高速バスは17時発。ちょうど帰宅ラッシュと重なり、バンドゥンまで5時間ちょっとかかりました。さらにガルットからの迎えを待つこと1時間以上。どうやら先方も渋滞なのか、どんどん夜が更けていきます。さすがにバス停で一人いつまでも待ってるのに飽き、予定を変更してバンドゥンで一泊することにしました・・・まあ、参加するつもりだった翌日のセミナーは間に合ったからいいんですけどね。ガルット遠い(大事なことなので二度言う)

 さて、25、26,27日の3日間、異なる講師を迎えてのシラットセミナーが開催されました。最初の2日間、会場は道場から車で20分ほどの町中にあるスポーツジムMasagi fitness centreの1階ホール。まだ新しいようで、セミナー初日がホールのオープニングでもありました。今後、このマサギ・ジムではシラットコースも開講していく予定だそうです。

セミナー会場、マットレスは持込
ジム

 3日間で最終的に7人の先生から教わりました。25日はスマトラ系統の先生1人。26日はチカロン系統で、日中1名、夜1名。27日は西ジャワ系統1名と演武心得を3名から。なかなかに盛り沢山。盛り沢山過ぎて、時間管理がしばしばゴムゴムだったのはご愛嬌。

講師の皆さん
先生

 そしてプログラム最終日、28日は「フェスティバル」 道場から徒歩で数分の距離にあるプサントレンを会場にして行われました。このプサントレンでのイベントは27日から行われていたようです。シラット組が参加する「シラット・フェス」は28日夜ですが、27日や28日の日中は同じ舞台でプサントレンの生徒たちによる発表会(クルアーン読み、カラオケ、シラット演武など)が行われていました。遠目にちらちらと見ただけなので、なにをタイトルにした発表会だったのかは、イマイチわからず。一部は幼稚部(?)の卒業式余興だったのかな、と思います。
 ちなみにこのプサントレン、チェチェップ氏のご両親が始めた学校のはず。(そしてチェチェップ氏もここで英語を教えていたような)

昼間の舞台
昼間

 夜のフェスティバルに先立つオープニングはかなり大がかりでした。一本しかない(と言っても過言ではない)道路を通行止めにし、主賓を地元の生徒さんたちと軍関係(警察かも)の演武でお出迎えです。その後、沢山の主賓挨拶とCECの3人によるプロジェクトの趣旨説明&決意表明が舞台で行われました。ここガルットの道場(パデポカン)をスンダ文化に触れたい人が集まれる場所にしたい、と。主賓の観光局関係者からも、大きな期待が寄せられていました。

 日が暮れてから、シラットフェスが始まります。キャンプ参加者が班分けされた4組と、地元界隈のグループ5組が5分程度の演武を披露しました。そして、この演武は”採点”されることに。採点員はセミナー講師の方々、3名。国際組と国内組、それぞれ1組が「最優秀」を受賞。

 このキャンプとフェスの様子は、プロジェクトの公式がFacebookインスタに上がってるので、興味のある方はそちらをどうぞ。

 セミナーの内容も興味深いものでしたが、こういうプロジェクトが動いてる、という部分が一番の興味ポイントで遠路はるばる出かけたガルット。本国ではシラット関係者ではない(この先も別に入会・入門はする予定なし)参加者や、長いブランクの末に流派を変えた人、現在進行形で主催者とは違う流派を学ぶ人、海外で情熱を持ってパンリプールを学んでいる生徒、など多様な人と同じ場所で同じことをできたのは大変な刺激になりました。初回ということで、集客(?)は主催者(主にチェチェップ氏)のネームバリューと人脈に負うところは大きいのでしょう。それでも、このように”多様”な人たちが一つ所に集まり、それぞれのバックグラウンドを認めつつ何かをするというのは、よい化学反応を起こすと思います。
 キャンプは英語が通じる環境を基本的には整え、かつ参加者の背景に拘らないオープンなもので、内容にも「まずはシラットの多様性を感じて欲しい」という目的が感じられました。年1回の恒例行事にしていきたいとのこと。ガルットまでの物理的距離が辛いところですが、”ちょっとシラットに興味がある”なら、参加するのはなかなかお勧めかと。ただし、インドネシアの”ゴム時間”に対する耐性は必須(笑) あー、あと英語かインドネシア語がわかればナオヨシ。

第2章:結婚式参列@ガルット

 キャンプ最終日の翌日に、友人の結婚式がありました。正確には結婚式+披露宴で、参加したのは披露宴の方です。キャンプが終わって残留組全員で押しかけ・・・いや、インドネシアだから、一人でも知ってる人がいれば問題なしですよ。

 行ってみてちょっと驚いたのは、ものすごく「オシャレ」を目指した演出だったこと。なんかこう、シラット関係者なのでトラディショナルな感じでやるのかと思ってました。まあ、若い二人はやっぱり洒落て豪勢な方がいいんでしょうね。

披露宴会場
披露宴

第3章:大会観戦@バンドゥン

 次のメインイベントは5月3日@ジャカルタ(後述)。その間、ちょうどバンドゥンにて大会があるとの情報を得ていたので、そちらを観戦。

大会案内
大会

 正直、競技シラットは日本で一番観戦数が多い自信があります。それにも関わらず、飽きもせずこの大会を見に行った理由。それは、この大会に「フェス」があったからです。フェス形式の大会と、いわゆる競技シラットの演武との違いはまず音楽の有無。競技シラット演武部門の場合、音楽はつきません。そして完全に男女別で実施されます。しかし、フェス形式の場合、ソロ・ペア・チームのいずれにも音楽がつきます。さらにチーム種目の場合、男女混合編成が認められています。人数も競技シラットのチームは3人ですが、フェス形式の場合3人以上5人以下(6人だったかも)、と幅があります。

 フェス形式のルールは新しいものではなく、1996年に初めて制定されたと聞いています。しかし、競技シラット演武部門の制定型が1998年に確定したことで、フェス形式は自然と下火になったそうです。非マレー圏で”演武”を競技として取り入れようとすれば、「音楽必須」のフェス形式より「音楽なし」の競技シラットが広まるのが容易なのは必然でしょう。それがここにきてフェス形式が盛り返してきた原因は、いろいろあると思います。それでもあえて一つあげるならば、”なんか(スポーツに)飽きた”人が増えたのかなあ、と。”競技”が前面に出た世界大会が始まって30年。ちょっと疲れてきてるのかもしれません。

音楽はライブでも録音でも可
楽団

 背景はともかく、フェス形式の大会を見るのは初めてです。ソロ種目は正直、マレーシアで以前から行われている競技シラット演武部門ソロ・クリエイティブ種目との違いがわかりませんでした。素手+武器2つ(武器の選択は”シラット由来”なら自由)で自由演武3分間。過去にマレーシアで見たそれと似通ってましたから、将来的に世界共通で競技シラット演武部門に組み入れられる可能性は高いと思います。実際、マレーシアでソロ・クリエイティブ種目をマレーシア独自種目ではなく世界で行われる種目にしたい、との話を聞いた記憶がありますし。
 ペア種目は期待に反し、音楽が付いた競技シラット演武部門ガンダ種目でした。音楽を消せば、そのまま競技シラットの大会に出られます。恐らく、選手(チーム)もそれを想定して演武を組み立てているのでしょう。フェス形式の場合、武器の選択にはもっと自由度があるはずですが、どのペアもガンダ種目のルールに則ったもの。今のままではフェス形式にペア種目の存在意義を見出せませんでした。これでは競技シラットのガンダに音楽をつければいいだけです。選手側の意識改革が必要ですね。
 フェス形式で目を引いたのはチーム種目。これはさすがに今の競技シラット演武部門にはないものです。大体どこのチームもマックスの5人(あれ、6人だったかな?)。それなりの人数で自由演武、マーチングバンドのような入れ子を取り入れたり、1対複数の対戦が組み込まれていたり、とめまぐるしく動いていきます。そしてそれを盛り上げる音楽。各選手の技量ももちろんですが、動き(カリオグラフィー)の独自性と音楽との調和が求められるようです。

チーム、フィニッシュ!
チーム

 チーム種目は見ていて楽しかったのですが、これを非マレー圏でできるかと言われると難しいかも。なによりもまず、規則上は録音でも構わない音楽ですが、やはりライブの楽団に合わせて動くチームと、録音音源に合わせて動くチームでは観客(そして恐らくは審判にも)へ与える印象が違います。楽団も含めてのシラットであり、総合芸術としてパッケージでやらなければ、ということなのだとは思いますが・・・それをさらに競技として競うのは非マレー圏には荷が重い。インドネシア系移民が根付いてるエリアならなんとかなるのかなあ。うーん・・・

 バンドゥンは西ジャワエリアで、フェス形式に馴染みやすいシラットが普及しているエリアだと思います。これ、他地域ではどうなってるんだろう。スマトラ、バリはなんとなく想像つくけれど、カリマンタンとか東ジャワとかで行われるフェス形式を見てみたくなりました。

第4章:文化功労賞授与式@ジャカルタ

 シラット、とくに競技シラットの世界への普及を語るうえで欠かせない人物、それがエディ・ナラプラヤ氏。ジャカルタ特別州副知事も務めた彼が1980年代に世界プンチャック・シラット連盟(PERSILAT)に関わるようになってから、加速度的にシラット、とくに競技シラットが世界に伝わりました。日本にシラットの組織が立ちあがったのも、エディ氏に負うところが大きいのです。各国に精力的に出かけ、シラットを紹介しする日々を過ごし、世界のシラット関係者で彼の名前を知らない人はいないくらいの有名人です。86歳と高齢になった今、なかなか海外へ出かけることはなくなりましたが、インドネシア行われるシラット関係のイベント・大会には長老としてしょっちゅう招待されています。(ガルットのフェスにも招待されていたものの体調不良で遠出は見合わせ)

 そんなエディ氏は長年の貢献が評価され、インドネシア大学から2018年度の文化功労賞が授与されることになりました。そして、この授与式に馳せ参じるのが今回の渡航の最終ミッション。

授与式会場
授与式

 授与式そのものは、あまり記憶がないです。はい、すみません、船漕いでました。年に1,2回海外渡航しても、大概は1都市滞在。それが今回は10日で3都市、と自分としては割と移動が多いスケジュールで、この日から体調が下り坂だったのです。
 このイベントにはインドネシアメディアの取材が入っていたので、リンクを貼っておきます。

 動画ではカットされてますが、一応、cizmaも日本からのゲストとして紹介されたりもしました。

 授与式の後は昼食が提供され、その余興(?)として 1)UIで活動するMerpatiPutih 2)オーストラリアからのゲストによるPerisaiDiri  3)インドネシア在住のゲスト(イタリア&アメリカ)によるBangauPutih  4)ガルットキャンプ参加組(アメリカ&フランス+ガルットのPanglipur)とcizma&スリナムの兄弟子(スリナム)による混合チーム 5)UIで活動するSinLamBa の5組が演武を(雨の中)披露しました。その後はSinLamBaから記念品と日本から感謝状がエディ氏に贈られました。感謝状だけではなく、ちょっとした記念品も渡しましたが、気に入っていただけたのかしら・・・
 それはさておき、このイベント、正直誰が仕切ってるのかわからず、準備も当日もシラット組はてんやわんや。それでもまあ、なんとか形になるのがインドネシアのインドネシアたる所以。

 ともあれ授与式に参加できてよかったと思います。当初聞いていたのは「インドネシア在住の外国籍シラット実践者を集めて参加してもらう」という話でした。そのためインドネシア在住の日本人にお願いすることも考えましたが、適任者がおらず・・・幸い元から予定していた渡航と授与式のタイミングが合ったため、自分で参加することにしました。そして行ってみればウズベキスタン、アゼルバイジャン、スペイン、オランダからその国のシラット協会トップが来てるわ、キャンプ参加組にはフランスの協会トップがいるわ、で。この状態で、過去に相当お世話になってる日本から会長不参加では恩知らずの誹りを受けても致し方なし。
 他の東アジアの国にもシラット協会が発足し、日本の印象が総体的に薄くなってきているなか、露出できるところでは露出して自己主張しておかないといけません。存在を忘れられてしまいます。

 翌日、夜も明けないうちから空港に向かい、10日間3都市周遊も終了です。なかなかT3を使う機会に恵まれないのが残念。空港直通列車も使ってみたいなぁ。 仰ぎ見た駅はキレイでした。