- シラットinヨーロッパ-

 2017年5月6,7日にベルギーのアントワープで開催された第22回プンチャック・シラット ベルギー・オープンに久しぶりに参加してきました。渡欧を思いついたのは、5月9日にパリのユネスコで開催される「Pencak Silat in UNESCO」というイベントの存在を知ったから。思いついてチケットを手配し出発まで2週間なかったかも。初めてのカタール航空、初めての中東経由での単独ヨーロッパ行です。

第22回プンチャック・シラット ベルギーオープン概要
 (1)大会について
 (2)大会参加国
 (3)大会日程
 (4)競技種目
 (5)競技結果

大会こぼれ話・裏話
 5月5日(金):目的地までただただ移動
 5月6日(土):大会初日
 5月7日(日):大会二日目
 5月8日(月):ふたたび移動、ちょい観光
 5月9日(火):ユネスコ・シラット・ナイト
 5月10日(水):パリ観光、そして空港へ
 5月11日(木):帰国

第22回プンチャック・シラット ベルギー・オープン in アントワープ(6~7th May. 2017)概要

第22回プンチャック・シラット ベルギー・オープン大会 in アントワープについて

 毎年毎年、継続して開催してもう22年目の第22回大会。今年は、この場所でシラット教室(活動)を始めて35年になるそうです。継続は力なり。家族総出で運営している大会です。今大会は8月開催のSEAゲームズ前哨戦的な位置づけもあるのか、東南アジア勢の参加が多いようです。主催者のHPはコチラ

この場所でシラットを始めて35年
トロフィー

大会参加国 (全13ヶ国、28チーム)

 ヨーロッパ諸国(8) : フランス、オランダ、ベルギー、オーストリア、イギリス、ドイツ、スイス、アゼルバイジャン
 東南アジア諸国(4) : マレーシア、インドネシア、タイ、シンガポール
 その他(1) :アメリカ
 
 *国は13ヶ国だが、流派ごとにチームがあるため、参加チームは28。

大会日程

 日程表にはありませんが、大会前日の5日(金)に宿泊先と大会会場での体重測定=選手登録が行われました。大会運営の時間短縮のためです。(規則上は試合実施15分前に体重測定を行う)

日付 イベント
5(土) 選手登録・組み合わせ抽選
予選&準々決勝&準決勝
6(日) 準決勝&決勝
表彰式

競技種目

 事前公表された登録出場選手数は120名。うちジュニア部門が男女合わせて18名、マスター部門参加者も5名(実際には6名いたようです)いました。ちなみに成人部門参加の女子選手は21名です。

 
 1.男子試合部門(Tanding)
  Aクラス - 45kg以上50kg未満
  Bクラス - 50kg以上55kg未満
  Cクラス - 55kg以上60kg未満
  Dクラス - 60kg以上65kg未満
  Eクラス - 65kg以上70kg未満
  Fクラス - 70kg以上75kg未満
  Gクラス - 75kg以上80kg未満
  Hクラス - 80kg以上85kg未満
  Iクラス - 85kg以上90kg未満
  Jクラス - 90kg以上95kg未満
  Open - 95kg以上
 
 2.女子試合部門(Tanding)
  Aクラス - 45kg以上50kg未満
  Bクラス - 50kg以上55kg未満
  Cクラス - 55kg以上60kg未満
  Dクラス - 60kg以上65kg未満
  Eクラス - 65kg以上70kg未満
  

競技結果

 最多金メダル獲得国はインドネシアで金7個。次点はマレーシアで金5個を獲得です。男性MVPはインドネシア選手、女性MVPはドイツのジュニア選手でした。

 見応えのある試合映像がいくつかYoutubeに上がっています。こちらはその中から「男子Cクラス決勝マレーシア対インドネシア」

 

大会&ユネスコこぼれ話・裏話 & 半日パリ観光記

5月5日(金):目的地までただただ移動

 2017年のGWは家でダラダラしているつもりでした。そう、ほんの2週間ほど前までは。6,7日開催のベルギーオープン、2~7日開催のマレーシア副首相杯、どちらにも選手派遣の予定がなかったからです。それが4月の終わりになってFBで目にした「Pencak Silat at UNESCO」・・・気、気になる。ついつい航空券を検索してしまったのが運のつき。カタール航空がセール中。いやでも、さすがに2時間のイベントのために渡欧って、どれだけシラットバカ一代なのか、と踏みかけたアクセルから足を離した・・・はずが、6,7日にベルギーオープンがあることを思い出してしまいます。大会&イベントならそんなにバカ一代っぽくない! と変なスイッチが入ってしまい、そこからバタバタと航空券、ヨーロッパ内の移動、大会とイベントに参加するための諸々を手配完了。航空券購入から出発まで10日ほど、は自分の中での最短記録です。

渡航目的、それはシラット
OBunesco

 羽田出発のカタール航空は深夜便です。4日(木)20時に自宅を出て、5日(金)0時過ぎに出発、予定では最終目的地アントワープへは現地時間で5月5日(金)20時半到着予定です。時計の上では24時間、時差を考えると実質30時間は移動していることになります。

 遅延が多い&乗換時間があまりないことを考慮し、行きは機内持ち込み荷物のみ。飛行機が到着したパリが最初の滞在先ではないので、ロストバゲージは困ります。結局羽田を出るのが30分ほど押したため、ドーハでの乗り換えがバタバタでした。初めての空港で方向感覚がつかめず、思ったより移動に時間を取られます。通しでチェックインをしているので、まあ、置いていかれることはないのでしょうが、パリでもまた電車への乗継があるため、パリ到着が大幅に遅延するのも困るのです。早足駆け足で乗り込んだパリ行はほぼ定刻通りに出発しました。

 パリのCDG空港では入管・税関で2時間くらいかかるかな?と予想していましたが、思いのほかスムーズに進み、1時間程度で外へ。電車の出発までかなり時間が開くことになってしまいました。電車の変更はできないので、のんびり待つことにします。
 前回、電車(タリス)を利用したのは2013年。4年経ち、シャルリエブドなどを経て非常事態宣言継続中(だったよね)のパリは、そこここに巡回中の軍人・警官を見る街になっていました。軍人は4人一組の1・2・1フォーメーション、警察は2人一組、そしてどちらも以前より明らかに重装備。

荷物がX線チェックされる
パリ北駅

 夏時間のヨーロッパは日が長い。20時半に到着したアントワープ、日没までまだ1時間以上ある・・・そして寒い。思ってた以上に寒い。もう少し春の想定だったので、持参した防寒着が足りない予感。

 迎えに来てくれた運営によれば、20時開始予定の審判講習はまだ始まっていないとのこと。今からならまだ間に合いそうです。できれば一旦ホテルにチェックインし、顔でも洗ってさっぱりしてから行きたいところですが、大会には観客として遊びに来ているわけではありません。審判という”仕事”をしに来ているのですから、”公務”優先。荷物を車に乗せ、会場に向かいます。
 少し遅刻で講習に参加し、ホテルにチェックインしたのは22時半近かったかなぁ。荷ほどきして一息ついたのは23時。夕飯食べてない・・・けど、まあそういうことを見越して、今回はいろいろ持ってきてる。でも時間が遅すぎて食欲もない。えいようかんを齧って、フリーズドライのお味噌汁を飲んで就寝。明日は7時には出発だー

5月6日(土):大会初日

 朝食を取りにホテルのカフェテリアに下りると、知った顔がチラホラ。7時にはみんな、送迎バスに乗り込みます。部屋が取れなかったのかシンガポールチームのみ別ホテルだったため、そちらに立ち寄り、会場に着いたのは8時。会場に電源が入ったばかりらしく、建物内部の方が外より寒い。外光が入るつくりではないので、結局大会期間中の2日間は底冷えと戦う羽目になりました。アジア組は隙を見つけてはジャケットを羽織り靴下を着用していましたが、オランダから来たグループは「いやー、ここは暖かいねえ」とか言っていて、寒暖とは主観に左右されるものだと実感した次第。

 今大会はヨーロッパにおける審判講習の仕上げも兼ねており、参加している審判の数が多く、顔ぶれも新しくなっていました。東南アジアから審判が来ていたこともあり(インドネシア・マレーシアから各2名、シンガポールから3名)、過去のベルギー大会では1面に割ける採点審判は3人でしたが、今回は国際基準の1面5人体制。そして審判講習の仕上げ、顔ぶれが新しい、ということはつまり、cizmaは東南アジア勢ほどではないにしても審判全体からみれば中堅どころに位置することになります。今まではヨーロッパの先輩審判の中で勉強がてら審判をしていましたが、今大会では後輩に見られる側になるのです。そういえば韓国でもこんな感じだったなあ・・・最初の審判資格取得から約10年、経験値は同じ10年選手の東南アジア勢には遠く及ばないけれど、外から見ると同じ”10年選手”なのだ。がんばらねば。

マスター部門の試合
マスタークラス

 採点して採点してレフェリーやって休憩してレフェリーやって採点して採点して採点してレフェリーして休憩して・・・を繰り返し、今までになく多くのレフェリー役を割り振られ、1日が終わりました。お疲れ自分。

5月7日(日):大会2日目

 今日も7時にホテル発。昨日は10時から開会式があったため試合開始は11時でしたが、今日は到着してすぐ9時には試合開始です。16時くらいまでには全試合を終わらせる予定になっています。若干押しながらもなんとか、16時には全試合終了。
 定期的にレフェリーとして参加していると、これといった”ネタ”に遭遇することもなく大会が終わりました。レフェリーが回ってくるという普段にない緊張感がネタ探しアンテナを鈍らせるのか、ヨーロッパにはあまりネタが転がっていないのか。どちらかと言えば前者なのかな、とは思います。レフェリー役を振られることが自分の中で普通のこととして処理されるようになれば、もう少し周囲を見る余裕が出てくるのでしょう。今大会での”ネタ”はあくまでレフェリーとして、自分の反省点でしかありません。
 そんな反省だらけの審判ではありましたが、急きょの参加を決めてよかったと思います。また、それを認めてもらえたことは大変ありがたいです。ベルギーシラット35年記念の、そしてヨーロッパ審判体制一新の場で”日本の存在”を主張できたことは、次につながると信じたい。

日の丸あるよ
日の丸

 閉会式が終わり、外でバスを待つこと30分。18時過ぎに会場を後にし、1時間後にはホテルに戻りました。まだ日は暮れません。インドネシア審判が「お土産を買いに旧市街に行きたい」というのに同行することにしました。でも今日は日曜日。ただでさえ日曜はほぼ全滅なのに、この時間では食事処以外は開いていないのではないでしょうか。

 途中のお店はどれもこれも閉まっているにも関わらず、到着日に買い物をしたそのお店は日曜でも開いている、との確信をもってインドネシア審判は歩いていきます。そして実際に開いていました。まさか本当に開いてるとは・・・
 基本は酒屋さんですが、旧市街の観光名所近くにあるということでチョコレートやちょっとしたお土産物、日用品も売っています。日曜の夜でもやっていたのは酒屋だからというのもあるでしょうが、店員さんたちがアフガン移民(難民?)だったからなのでしょう。インドネシア審判は店員がアフガン出身であることを知っており、「日曜に教会に行くわけじゃないのだもの。移民だし、お店を開けて遅くまで働いて稼いでると思った。」と。慧眼、おみそれしました。
 ここで必要なだけのお土産を購入しただけではなく、インドネシアに持ち帰るための段ボール、さらにはガムテープ(店内在庫最後の1個)まで手に入れました。人生の鍵はSABAR(忍耐)とYAKIN(確信)だと寒風吹くアントワープで学んだ夜。

5月8日(月):ふたたび移動、ちょい観光

 さて、今日は再び移動日です。時間の都合でパリからアントワープは電車を手配しましたが、予算の都合でアントワープからパリは高速バスです。チケットは日本で手配済み、アプリもDLしてあります。ビバ、21世紀スマホ時代。・・・と思っていたのですが。
 なんとインドネシアチームもパリに行くというではないですか。彼らはブリュッセルイン、パリアウトのオープンジョーでした。ブリュッセル単純往復では遠路はるばるヨーロッパまで来た楽しみがない、というのはその通り。マレーシアやシンガポールみたいに毎年のようにヨーロッパ遠征が行われるわけではありません。そりゃあ、エッフェル塔の前で写真を撮ってから帰りたいよね。チームは大会運営に手配を依頼したチャーターバスでパリまで行くとのこと。同じバスなら、4,5時間も一人で移動するより、気を遣わなくていい貸し切りバスで移動したい。相談してみたら、快く同乗させてくれました。アルハムドゥリラー。

 朝の6時に出発するから荷物をもって5時半にはロビーに下り、朝食を食べて待っていること、と昨夜言われています。5時半に下りましたが・・・予想どおりというかなんというか、誰もいません。時間を間違えたか置いていかれたか、と若干不安になりつつも、まずは腹ごしらえ。チームが揃い始めたのは6時。そしてバスそのものが到着したのは6時半過ぎ。しかもホテル前までは入れない、と500メートル先に駐車中。土日の大会送迎バスはホテル前まで来てたけど、平日とは侵入ルールが違うのかしら。結局、アントワープを出たのは7時でした。
 4時間程度ならノンストップで行けるでしょ、とインドネシア側が運転手に言ったところ、「いや、2時間くらいで休憩を取るルールだから」と返したのが異文化交流だなあ、と。

休憩のサービスエリア
SA

 9時過ぎに止まったサービスエリアはフランスでした。シェンゲン同士だとどこで国境を越えたか、さっぱりわからない。ベルギーよりフランスの方が少しは暖かいのを期待したけれど、そんなこともなく、バスからトイレまでの寒いこと・・・ここからさらに2時間。

曇り空の車窓
車窓

パリ到着!
パリ

 車窓がパリに到着したことを告げます。俄然、盛り上がる車内の選手たち。そして、エッフェル塔での2時間の自由時間が告げられました。注意事項としては「カバンは持っていくな」「財布はポケットに入れるな」「スリに気をつけろ」と。バスが停車し、乗客が降りた途端、お土産売りが群がってきます。思い出すのはボロブドゥールの駐車場。どこも観光地というのは同じでした。
 群がるお土産売りは例外なくアフリカ系でしたが、まあ、ほぼ皆さん「LIMA SEPULUH(5個で10ユーロ)」くらいはインドネシア語を操れることに感心しました。ボロブドゥールでも「千円、千円」って言ってたなあ、なんて思いだしたりして。それにしてもそんなにマレーシア・インドネシア人が観光に来るようになっているのか。日本のガイドブックなんかだと、彼らからお土産を購入することは勧められていないはず。でも実際、正規店より相当安いのでチームの何人かは購入してました。そして一人が購入すると「俺からも買ってくれ」とわらわらとさらに群がってくる。値引合戦も始まりますが、予算と必要な購入数には限界があり、この人はもう買わないということがわかってしまいます。こうなると次は捨て台詞の出番で「MALAYSIA BAGUS, INDONESIA NONO」と言われてました。なんで見分けがつくかといえば、インドネシア代表ですから、国名の入ったジャケットを着ているメンバーがいたからだと思われます。自由行動時は身元(国名)がわかるものを着るもんじゃないな・・・

エッフェル塔をバックに撮影会
エッフェル前

 前回ヨーロッパを訪れたのは2013年。パリを訪れたのはさらにその前年、2012年の話。初日の駅で巡回中の軍人の姿に、ここ数年の時勢の変化を見ましたが、観光地もまた変化していました。今はエッフェル塔の下を自由に通り抜けできないんですね。セキュリティゲートが設置されていました。一瞬、下を通るだけでお金が必要なのかと思いましたが。
 あと目についたのはプレ・フォトウェディング中なアジア人カップルの多さ。チューリップ満開の昭和記念公園にも沢山いたけれど、パリやエッフェル塔はそれこそ一番の人気スポットなんだろうなぁ。

わりとサクサク進む
保安ゲート

パリでプレウェディングフォト
プレウェディング

 フォトジェニックなエッフェル塔と遊んでも、自由時間2時間はちょっと長かった。天気がよくて公園でノンビリできれば、ちょうどよいのだろうけれど、寒くて・・・ふきっさらしの公園で2時間は冷えた。
 ここで空港に向かうインドネシアチームとはお別れ。チームに会いに来ていた在パリインドネシア大使館のシラット関係者に助けられながら、ホテルに向かいます。チェックインしてから、彼に誘われるまま大使館に遊びに行きました。明日のユネスコイベント準備の練習を見学したかったのです。

お馴染みガルーダ
KBRI

大使館内練習場所
insideKBRI

 大使館内のホールに設置された練習場所にはマットレスがあり、なんと羨ましい。今回のデモチームが持ち込んだとしても、恐らくはお土産として置いていくことでしょう。いいなあ。日本もせめてこれくらい(5mx5m)のマットレスが欲しい。問題は保管場所なんだよなあ・・・

 さて、明日のイベントにはインドネシアから来ているデモチームだけではなく、フランスで活動するシラットグループも参加します。彼らの練習を見学する予定でついてきた大使館ですが、まだここに残っていたデモチームと会うことができました。デモチームには旧知のメンバーがいます。さらいえば、演者のチームリーダーはcizmaの先生の一人。先生は先にホテルに戻って休んでいるとのことでしたが、ここでもまた誘われるまま、ホテルへ行く車に乗せてもらいました。ホテルで先生と話すこと小1時間。一緒に夕飯を食べようと誘われましたが、チームが予定している夕食の時間まではまだ2時間以上あります。明日のことを考えると自分のホテルに戻って休んだ方が良さそうです。

 チームのホテルから自分のホテルまではメトロでそう遠くはない・・・はずだったのですが。駅で待っていたらなにやらアナウンスが入ります(フランス語わからん)。しかもちょっと先に見えていた到着寸前の電車が、なぜかバックして前の駅に行ってしまいました。電車の到着表示は点滅になってしまうし、ホームに居た乗客は駅から出て行く。これは止まったな。急ぐ必要はないので復旧を待つのもあり。でもホーム寒い。眠いし。スマホにDLしてあった路線図とにらめっこし、一駅分歩いて別路線を使うことを決意しました。隣の駅ですから、迷子になることもないでしょう。なんといってもまだ日が出ている。問題なく駅につき、最初に予定していたルートとは違うけれど、ホテルの最寄駅に戻ることができました。
 失敗は最初の駅でチケット払い戻し的なことをしなかったので、1回分(1.9ユーロ)を無駄にしたこと。1.9ユーロのチケットを入場券と化してしまったのは勿体なかったな。

5月9日(火):ユネスコ・シラット・ナイト

 いよいよ今日はユネスコ・シラット・ナイト当日。正確には「Pencak Silat at UNESCO」イベントの日。このイベントは”シラットをUNESCO無形文化遺産に”という動きの一環として行われます。

 インドネシアは積極的にUNESCOへ各種文化芸能の登録を進めているようで、ワヤン登録を皮切りに、クリス(短剣)、バティック(染物)、アンクルン(竹楽器)、バリ舞踊が既に代表リストに登録されています。これに加え、2017年に南スラウェシの伝統帆船(Pinisi)、2018年にマレー伝統詩文(Pantun)、2019年にプンチャック・シラットをUNESCOに登録申請する計画との報道です。(参考:Kemendikbud Pamer Para Calon Warisan Budaya TakBenda Dunia CNNインドネシア) 個人的にはモンドセレクションにも見えるUNESCO世界遺産認証制度ですが、大人気らしく審査してもらえるのは2年で1ヵ国1案件のよう。ただ、複数国による広域申請はそれに優先されるということで、2018年申請予定のPantunはマレーシアとの共同申請です。(でもマレーシアチームは誰もPantunのUNESCO申請計画を知らなかった。もちろん、シラットのことも) そしてシラットはインドネシア単独による申請が予定されています。
 申請は国単位で行うためシラットの登録申請者はインドネシアですが、イベントの出演者を準備したり、演目を組み立てたりといった現場仕事は”国”が行えるものではありません。そういったことはMASPI(MASYARAKAT PENCAK SILAT INDONESIA)という団体が担当しています。インドネシアの中でも演武を得意とする西ジャワの伝統流派を中心に集まり、競技シラットとはベクトルを異にし、ここ3年くらい精力的に活動している団体です。西ジャワ中心の団体だけあって、バンドゥン市のバックアップを得ています。
 ちなみに、競技シラットを統括する世界連盟としてのPERSILAT、インドネシア・オリンピック委員会認定団体である国内統括団体としてのIPSI、どちらも本イベントの当事者ではないようです。UNESCO世界無形文化遺産を目指す活動は、”競技シラット”を主として統括・普及する団体が主導するのは難しいのでしょう。似たような立場にあると思われる日本相撲協会だと「相撲文化の振興」を協会活動の目的に掲げているのでUNESCO申請の当事者となれそうですが、PERSILAT・IPSIは明確に”競技”と”文化”を線引きし管轄外としているのかもしれません。両団体の規約・定款を読んだことがないので、実際のところはわかりませんが。とはいえ、IPSIのロゴはポスターに掲載されているので、ある程度の共同歩調を取っているか、もしくはIPSIが完全に蚊帳の外ということはないのでしょう。

 背景事情はともかく、インドネシア文化芸能の一つとしてUNESCOという大きな組織の本部施設(しかもパリ!)でシラットイベントを行う、というのは当事者、とくに舞台に立つ演者たちにとっては人生のビックイベントです。彼らの誇らしげな顔が非常に印象的でした。

UNESCOホール入口
UNESCO

設営中(手伝った)
設営中

 cizmaはフランスのシラット関係者とホテルで待ち合わせ。迎えに来てくれた彼とまずはUNESCO事務棟に向かいます。そこで本イベント立役者の一人であるUNESCO駐在のインドネシア人と会い、マットレス運搬をお手伝い。舞台で使うためのマットレスはUNESCO事務棟のインドネシア部屋に置いてありました。本イベントのために購入した新品で台湾製でした。イベント会場であるUNESCOホール棟に到着したのは10時すぎ。マットレスの設営を手伝い、大体出来上がった頃、演武チームが到着です。

配られた関係者用名札
名札

現場確認中
確認中

 1時間ほど、演武チームは舞台の広さや動線を確認していました。本番は18時半(17時半開場)。少しでも体を休めるべく、彼らは一度ホテルに帰りました。15時には会場に戻り、ゲネプロを行うことになっています。
 ここで一つ残念な連絡ミスが発生していました。UNESCO駐在さんによれば、この休憩時間に全体の集合写真を庭で撮りたかったそうなのです。「あれ、皆どこ行ったの?」と。確かにこの日は昨日までの寒い日々が嘘のように晴れ渡り、日差しの暖かい気持ちのいい日でした。UNESCOの中庭からはエッフェル塔が見え、あれをバックに集合写真を撮れれば、青空の元、いい写真になったことでしょう。会場に唯一残っていた演武チームメンバーが「公演が終わってから撮影しても、日没前だから大丈夫では?」と提案しましたが、「でも19時過ぎではこの青空はもうないよ」と残念そうです。事実、公演後は日暮れ前の空であって、きれいな昼の青空とは違う空でした。

記念撮影日和
中庭

 時間通り15時に戻ってきた演武チーム。本番衣装に近い格好に着替え、楽団と一緒にリハーサルです。本番ではVIP用となるため自分が絶対に座れない席に座り、被りつきで見学。リハなので”全力”ではありませんが、見応えがありました。プログラムが手元にない身としては、流れがわかるのもありがたい。
 ↓リハから第2グループ、タパ・スチの様子を一部

 そして、リハを見て一つ気づいたことがあります。今回の演武は1)フランス大使館関係 2)伝統流派タパ・スチ 3)MASPI* の3グループが行います。それぞれが「freindship, brotherhood & everlasting peace」をテーマとし、寸劇を取り込みながら技を披露するのです。そしてどのグループの演武にも、亡き師匠が作り上げた競技シラットの制定型Jurus Baku Tunggal(通称トゥンガル、ソロ演武)とJurus Baku Regu(通称ルグ、チーム演武)からの動きが取り入れられていました。
 20年以上前に作成委員会が組織され、それぞれ達人である委員たちが持てる力の全てを注ぎ込んで作り出されたのが、競技シラット制定型です。この委員会の中心となって拳を交えながらまとめあげ、最後まで関わり続けたのが師匠。拳を交えながら、というのは比喩でもなんでもなく、制定型は”想定敵”がいるので、作り上げる中で殴り合いが発生したと聞いています。(こうくるからこう動くだろ、とやってると当たっちゃうとかそういう感じ) そんな心血を注いだ”作品”がこの大舞台で観られるとは思っていませんでした。しかも3グループ全てがそれを取り入れるとは予想外です。
 実際には広域にまたがるヌサンタラなシラットをインドネシア単体で、それも西ジャワがリードする形でUNESCO登録申請を進めることに、正直、個人的に懸念を抱いています。これは演者を筆頭とする関係者の努力への敬意とは別の話。素晴らしい演武への感嘆・称賛とも別です。UNESCO登録申請という”これこそシラット”という形に、実は多種多様な、ある意味で実体の定まらないシラットが枠に嵌められてしまわないだろうか、とモヤモヤしていました。しかし、師匠の作品が競技会以外の場で、シラット関係者以外の多くの目に触れる。単純なもので、ただこれだけのことがモヤモヤを脇に追いやりました。形を変えながら、それでも元がわかる。まさに遺産だと思います。

 *MASPIは西ジャワに拠点を置く6つの伝統流派組織(Ciung Wanara, Panglipur, Gelar Pusaka MHI, Pager Kancana, Si Macan Tutul, Badak Putih) と2つの伝統流派(Cikalong, Sera) の混成チーム。主力はPanglipur

 リハの後、楽屋で一緒にお弁当と食べ、会場に戻ると既に席が大分埋まっていました。招待者用リザーブ席は当然ながら、正面から見られるいい席は全滅。うろうろと席を探した結果、若干斜めからになりますが、ほぼ最前列砂被りを確保できました。朝から使ってるカメラのバッテリーが持つことを切に願う。

 オープニングではVIP3名が挨拶、まずはバンドゥン市長エミル氏。シラットがインドネシア発祥の類まれなる格闘術をベースとする複合文化(音楽、ファッション、踊り)である、と力説します。西ジャワのCimande・Cikalongに言及し、PERSILATが33ヶ国のメンバーを抱える組織に育ったこと、本日披露する伝統文化芸能としてのシラットの登録申請をUNESCOが認可することを望んでいる、と締めくくりました。
 次に登壇したのは在仏インドネシア大使パンジャイタン閣下。エミル市長より英語が不得手な印象を受けました。フランス語はペラペラなのかもしれませんが。インドネシアには800を越える流派があり、シラットはインドネシア人の日常と切り離せない要素である、と紹介します。スポーツとしてだけではなく、精神文化、哲学としての面もあり、文化遺産に相応しいものだ、と。それを証明する今夜のイベントを楽しんでほしい、とスピーチを終えました。
 最後のVIPは、インドネシアが誇る大女優クリスティン・ハキム。自身が出演したシラット関連映画ムランタウ(邦題:ザ・タイガーキッド〜旅立ちの鉄拳〜)、トンカット・マス(邦題:ゴールデン・アームズ 導かれし者)を上げ、シラットが哲学のあるいかに特別なものかを語ります。そして、ムランタウで息子役だったイコ・ウワイス主演作レイドの成功により、インドネシア映画だけではなくマイナーだったシラットにも光があたり、スター・ウォーズ7への出演にまで繋がった。彼らはカリオグラファーとしても名を連ねている、と。また、シラットへの関心はベン・アフレック主演作ザ・アカウンタント(邦題:ザ・コンサルタント)で主人公が幼少期にインドネシアでシラット修行をした場面がみられるまでになった、とも。空手やカンフーのようにいつか、シラットマスターが映画で珍しい存在ではなくなることを信じている。シラットはただのスポーツや格闘技ではなく、友情と理解を育むものだと語り、舞台から降りました。

  ↑オープニングはフランス大使館チームによるトゥンガル演武。この後、不良に絡まれたところを助けてくれたシラットの先生に弟子入りし、認められて道場を卒業した少年Aの物語が始まりました。彼は、かつて自分をかつあげした不良の親分に収まります。子分が少年Bにやられた、と泣きついてきたので仇討にいきますが、AとBは互いに譲らず痛み分け。その後、少年Bが同じ先生の道場で学ぶ同門だったことを、久しぶりに先生を訪ねた少年Aは知ります。先生のとりもちで同門として仲直りをして、めでたしめでたし。

 次はインドネシアの主要イスラム団体の一つ、ムハマディヤと繋がりの深い伝統流派タパ・スチ・プトラ・ムハマディヤ(ムハマディヤ青年団タパ・スチ、略称タパ・スチ)。彼らもまた、争いが発生するものの先生(師匠)によって仲直り、という流れの中で技を見せてくれました。5人で所せましと動き回り、もうタパ・スチ大展覧会の様相。トゥンガルの動きを織り交ぜながら、タパ・スチの素手の型はもちろん、武器としてヌンチャク、ゴロック(短剣)、トライスッラー(サイ)、トヤ(長棒)、チュロリット(鎌)、鞭、と盛り沢山。最後には呼吸法での瓦割ならぬ、棒割と鉄割。ぱっと見てるだけだと最後の決めポーズでハディースを読み上げる場以外には、空手やテコンドーと区別をつけられないのではなかろうか・・・(恐らくそんなようなことを舞台監督にリハで言われていた) 
 ↓携帯を使ってFBライブ中継した映像につき、画素荒めです。

  タパ・スチの次はMASPIチーム。大所帯、ベテラン多め、舞台監督による演出あり、と大変に見応えのある演武でした。準備期間は短かったという話ですが、参加しているのは各流派からの”選抜”メンバー。出来の悪いわけがありません。圧巻の演武の後、MASPIが編集したシラット紹介ビデオが流れました。シラット紹介というか、MASPIの紹介? そしてこの3分ほどのビデオの後、MASPIチーム再登場です。
 ↓MASPIの演武よりチームリーダーのソロを一部。

  全ての演目が終わると、会場は大きな拍手に包まれました。フランスのシラット関係者も多く、また、インドネシア関係者っぽい人がかなりいたので、シラット所見だったのは来場者の6、7割くらいかと推察します。どのようなイベントでもそうですが、全く接点のない人を引き込むのはすごく大変です。それがUNESCOという場でイベントを行うことにより、数百単位で”初めてさん”を獲得できるというのはすごいと思います。今後、このイベントの波及効果がどのように出てくるのか、気になるところです。

おつかれさま!
デモチーム

  演武チームの皆さんと団長でもある先生に挨拶し、UNESCOを後にしました。そしてホテルに戻ってから、記念にくれると言われていたものを受け取り忘れたことに気づきました。「折角だったけど、私にご縁のある品ではなかったみたいです。また次があればその時に」と連絡を入れたら、「もう所有を移したものだから、是非受け取ってほしい。これから夜のエッフェル塔を観に行くのだけど、近いならそこでどうだ」と。ありがたいし、エッフェル塔の夜景も見たい気はしますが、戻りの電車がなくなるのは困る(この時点で22時過ぎ) 大体、チェックアウトは明日。夜景を見に出かけてる場合じゃない。荷造りしないと・・・ 結局、明日の朝、チームのホテルに立ち寄ることになりました。

5月10日(水):パリ観光、そして空港へ

 朝はまず、ブツの受け取りに演武チームのホテルを訪ねます。30分くらいで着けるはず・・・チェックアウトは11時なので、それまでに戻って荷造りを完了させることを考え、待ち合わせは8時。少々迷いながらもGPSさまさまでホテルに辿りつき、無事、受け取りました。しかも思いがけず、朝食中だった先生と話すこともできました。演武を行った全てのチームにトゥンガルやルグをベースとした動きが取り入れられていたのは誰のアイディアか、聞いてみました。曰く、これは先生の提案との話でした。フランス大使館、MASPIはそれぞれが流派混合チームであり、さらにいえば、3つのチームも全体でみれば混合チーム。混合チームが一体感、同一感を出すにはトゥンガル・ルグが最適である、と。師匠の作品を舞台で思いがけず観られた嬉しさを伝えたところ、友人でもあった師匠の力作は皆で継いでいくべきものだ、などと言われ、ちょっと泣けた。

 ホテルに戻り、チェックアウトしたのは10時過ぎ。空港へはオペラ発の直行バスを利用する予定です。ホテルの最寄駅は12号線ですが、これを使うと途中で乗換が発生するので、少し離れたところにある8号線の駅まで荷物を引いていくことにしました。階段ばかりのパリで荷物を抱えて乗り換えはしたくないなあ、と。5分ほど歩いて駅に到着し、電車に乗り・・・数駅いったところでアナウンスが入りました。フランス語、わからない。電車が止まったわけではなさそうですが、乗客の何割かはアナウンスを聞いて降りていきます。うーん・・・このまま乗っていていいものか。隣の女性に今のアナウンスはなんですか?と聞いてみました。今乗ってる8号線は終点まで行かず、もっと手前で止まることになった、と教えてくれました。入口の路線図をみれば目的地より手前の駅です。乗り換えなしで目的地まで行きたかったのに、結局乗り換えか!どういうルートで行けばいいかなあ、と考えていたら、スマホをいじっていた彼女、「この後の駅で1号線、7号線と乗り継げばオペラにいけるわ」と丁寧に教えてくれました。てっきりスマホで彼女自身の代替ルートを探していると思っていたのに、ありがとう。親切にされるって嬉しいなぁ。東京で観光客が困ってたら、自分も声掛けしよう。

やっと着いた
オペラ

 ここから空港まで直行バスで順調にいけば1時間。インターネットでチェックインはしてありますが、予定時間の3時間前には空港に着きたい。22時45分の便なので、19時台に空港着、渋滞を考慮すると17時台のバスが妥当なところ。昼前なので、まだ5時間以上あります。ちょっとした観光をするには十分な時間です。

サクレ・クール寺院
オペラ

 まずはサクレ・クール寺院。エッフェル塔に負けず劣らず、沢山の観光客がいました(自分もその一人)。当然、中にも。”祈りの場です、お静かに”と注意書きがあり、騒がしいようなことはありませんが、人だらけ。写真撮影お断り、ともありましたが、誰もかれもお構いなし。でも右に倣えでカメラを構えるにはちょっと抵抗がありました。ヒジャーブしてるので「なんだお前」って言われたら嫌だなあ、と。そんなとき、ふと視界に入ったのはパートナーに写真を撮ってもらってるヒジャーブなアラブっぽい女性。その近くにいた係員は、その行為をスルーしています。一応、この係員に自分のカメラを指し撮影許可を求めると、いいよ、とジェスチャーしてくれました。そっか、写真撮っていいんだ・・・ 

尼僧の生声讃美歌(?)中
中

 中を一回りした後、階段300段を登って上からの眺めも堪能しました。息が上がった。そして展望台(じゃないけど)には大量の記念サインが。欧米各国、アジア諸国、文字もいろいろ、アラビア文字系(読めないのでアラブかペルシャかウルドゥーか判別不能)までありました。なんか一時期、日本人観光客だか修学旅行生だかの落書きがネット炎上案件になっていたけど、あれは運が悪かったのだとしか思えない。

上から見るパリ
中

 坂と階段を下って、地下鉄の駅まで。駅に着いたと思ったら、ホームまでまたもや階段でぐるぐる下りること下りること。もうしばらく階段は見たくないレベルで階段。オペラ座方面に戻りつつ、次はパッサージュ見物です。時が止まったような、というほどでもなかったけれど、楽しめました。17時までまだ時間があります。いい天気なので、凱旋門の上に登ろうと思い立ちました。

悟空、40ユーロ
悟空

 散歩しながら向かった凱旋門、ここもまた観光客であふれかえってました。そして上に上るチケット売り場は長蛇の列。時間が足りなくなることが予想され、諦めます。シャンゼリゼ通りを歩き、オペラに戻った時にはちょうどいい時間になってました。直行バスは市内の渋滞にはまり、空港まで1時間半ほどでした。所要時間1時間で見積もっていたら、ちょっと焦ったかも。
 カウンターで荷物を預け、礼拝所を探します。さすが(?)フランス、キリスト・ユダヤ・イスラムそれぞれに部屋が用意されていました。従業員らしき人とすれ違ったり、イスラムの礼拝所が一番使い込まれている感じでした。

奥に2部屋、全部で3つ
礼拝所

寛容を主張する(?)展示
悟空

 飛行機に乗って起きたら乗継地ドーハ。実は凱旋門あたりからちょっと寒気がしてる…風邪ひいたかな。

5月11日(木):帰国

 行き同様、帰りも乗継バタバタ。行きと違うのは一度経験しているルートなので、どこへ行ってどうすればいいか、わかっていること。ちゃっちゃと優先レーンに並び、ちゃっちゃと進みます。そして体調が加速度的に悪化しているのを感じていました。隣の2席が空席で、3席全部使えるといいのだけど。そうすれば横になれる。
 機内に入ってすぐ、乗務員さんに体調不良を訴えます。できれば横になれるよう、3席使えるところに移動できないだろうか、とお願いしてみました。このフライトは満席ではなく空きがあるため、全員が機内にはいったら案内できると思う、と言ってくれました。ただ、薬を処方してほしいとなると、アメリカのなんとかに問い合わせなければいけないのでちょっと大変、とか。薬は別にいらないのでいいです・・・その後、席が空いているので今のうちに移動してくださいと案内され、羽田まで横になって休むことができました。もう、ただひたすらに寝てた。

 カタール航空、機体もサービスもよかったです。機内の注意事項に「あなたの安全のため、移動中の礼拝は席で行ってください」というのがあったのもよかった。機内の礼拝スペースがニュースになったりするけれど、乱気流なんていつどこで発生するかわからないのだし、規定もちゃんとある以上、席でやる方がいいと思います。まあ遅延による乗継のバタバタはあるものの、直行便ではないヨーロッパ行の選択肢として筆頭候補です。残念なのは、たしかこの会社、トランプのムスリムバンに過剰反応というか忖度して、わりと真っ先に該当と判断した乗客を乗せなかったんだよなあ。ムスリムマジョリティの国のナショナルフラッグなら率先して送り込め!とか思ったのは内緒。

 最後は体調不良での帰国となりましたが、ともかく、行ってよかった。思い立ったように出かけたヨーロッパ、想定外の大出費です。でも、それだけの収穫はありました。ミスも犯したけれど、ベルギーオープンという歴史ある大きな大会で複数回レフェリーをしたことで、審判としての自分に少し自信がつきました。UNESCOのイベントでは当事者の熱意を感じ、なにかのスタートを見届けた気がします。それにしてもシラット見たさにヨーロッパって、大丈夫か自分(苦笑)