- GWinヨーロッパ〜改元は海外で -

 2019年4月26~28日にベルギーのアントワープで開催された第24回プンチャック・シラット ベルギー・オープンに参加してきました。例年、5月最初の週末に開催されていますが、今年はラマダンとの兼ね合いで4月下旬となりました。さらに、今大会から演武部門も実施するということで、開催日程も例年の2日間から3日間に。
 ちなみに渡航の動機は10連休ではなく、改元フィーバーからの逃避。でもせっかくの10連休なので、海路郎さんと一緒に10日間inヨーロッパ。

第24回プンチャック・シラット ベルギーオープン概要
 (1)大会について
 (2)大会参加国
 (3)大会日程
 (4)競技種目
 (5)競技結果

大会こぼれ話・裏話
 4月23日(金):ドイツへGO!
 4月24日(土):ケルン観光
 4月25日(日):ちょっとそこまで
 4月26日(月):ベルギーオープン開幕
 4月27日(火):盛り上がる会場
 4月28日(水):長引く最終日
 4月29日(水):ドイツに戻る
 4月30日(水):フランクフルト観光
 5月1日(水):フランクフルト空港
 5月2日(木):帰国

第24回プンチャック・シラット ベルギー・オープン in アントワープ(26~28th April. 2019)概要

第24回プンチャック・シラット ベルギー・オープン大会 in アントワープについて

 毎年毎年、継続して開催してもう24年目の第24回大会。来年は25回を迎える予定で、そうなったら四半世紀!3代に渡っての家族経営に頭が下がります。主催者のHPはコチラ

ネット中継が入りました
会場

大会参加国 (全13ヶ国、28チーム)

 ヨーロッパ諸国(7) : フランス、オランダ、ベルギー、オーストリア、イギリス、ドイツ、スイス
 東南アジア諸国(5) : マレーシア、インドネシア、タイ、シンガポール、フィリピン
 その他(1) :アメリカ
 
 *国は13ヶ国だが、流派ごとのチームや国代表も複数班があるため、参加チームは28。

大会日程

日付 イベント
26(金) 選手登録・組み合わせ抽選
開会式&演武部門
27(土) 1回戦&準決勝
28(日) 決勝
表彰式&閉会式

競技種目

 事前公表された登録出場選手数は157名。内訳は成人試合部門(タンディング)男子76名、女子24名。成人演武部門(スニ)男子28名、女子12名。ジュニア試合部門男子7名、女子2名。マスタークラス(35歳以上)の試合部門男子8名。下記の表は成人部門のもので、数字はエントリー数。

 
 1.男子試合部門(Tanding)
  Aクラス - 45kg以上50kg未満 5
  Bクラス - 50kg以上55kg未満 10
  Cクラス - 55kg以上60kg未満 6
  Dクラス - 60kg以上65kg未満 6
  Eクラス - 65kg以上70kg未満 10
  Fクラス - 70kg以上75kg未満 10
  Gクラス - 75kg以上80kg未満 7
  Hクラス - 80kg以上85kg未満 7
  Iクラス - 85kg以上90kg未満 5
  Jクラス - 90kg以上95kg未満 4
  Open - 85kg以上 6
 
 2.女子試合部門(Tanding)
  Aクラス - 45kg以上50kg未満 6
  Bクラス - 50kg以上55kg未満 5
  Cクラス - 55kg以上60kg未満 5
  Dクラス - 60kg以上65kg未満 2
  Eクラス - 65kg以上70kg未満 3
  Fクラス - 70kg以上75kg未満 2
  Open - 65kg以上 1
 
 3.男子演武部門(Seni)
  Tunggal (ソロ) 8
  Ganda (ダブルス) 4
  Regu (3人チーム) 4
 
 4.女子演武部門(Seni)
  Tunggal (ソロ) 8
  Ganda (ダブルス) 2

競技結果

 最優秀チームはインドネシアA代表チーム、男性MVPはシンガポール選手、女性MVPはオランダ選手となった。最優秀審判も表彰され、オランダ審判が受け取った。
 下記表は決勝結果メモより。表彰式に全参加していないため、3位以下(銅メダル)は不明。

部門 種目 結果
男子試合 Aクラス 1.インドネシア(チームA) 2.タイ(チームB)
Bクラス 1.シンガポール(MVP獲得) 2.インドネシア(チームA、アジア大会金メダリスト)
Cクラス 1.インドネシア(チームA) 2.タイ(チームA)
Dクラス 1.タイ(チームA) 2.インドネシア(大学JKT代表)
Eクラス 1.インドネシア(チームA、アジア大会金メダリスト) 2.タイ(チームA)
Fクラス 1.タイ(チームA) 2.マレーシア(国代表)
Gクラス 1.マレーシア(国代表) 2.マレーシア(パハン代表)
Hクラス 1.タイ(チームA)  2.インドネシア(大学JKT代表)
Iクラス 1.マレーシア(国代表) 2.オランダ
Jクラス 1.オランダ 2.タイ(チームA)
Open 1.イギリス 2.フランス
女子試合 Aクラス 1.タイ(チームA) 2.インドネシア(チームA)
Bクラス 1.インドネシア(チームB) 2.インドネシア(チームA)
Cクラス 1.インドネシア(チームA) 2.タイ(チームA)
Dクラス 1.マレーシア(国代表) 2.オランダ
Eクラス 1.マレーシア(国代表) 2.インドネシア(大学JKT代表) 
Fクラス OPENクラス登録が1名のため、登録統合
Open 1.オランダ(MVP獲得) 2.ベルギー
男子演武 Tunggal 1.シンガポール 2. インドネシア(チームA) 3.マレーシア(国代表)
Ganda 1.インドネシア(チームA) 2. マレーシア(国代表) 3.シンガポール
Regu 1.インドネシア(チームA) 2. マレーシア(国代表) 3. シンガポール
女子演武 Tunggal 1.インドネシア(チームA、アジア大会金メダリスト) 2. フィリピン 3. シンガポール
Ganda 1.マレーシア 2. シンガポール

 UKの元代表選手が運営しているSilatFanTVが、会場で中継に入っていた。Youtubeのチャンネルはこちら

大会こぼれ話・裏話 & ドイツ観光記

4月23日(火):ドイツへGO!

 2019年のGWは10連休。ただの10連休ではなく、真ん中に改元のある10連休。なんかすごそうだなあ、大騒ぎの日本に居るのは疲れそうだ、と思ったのが今回の始まり。幸い、ベルギーオープンという大義名分があり、海路郎さんもビザ申請が楽。一足早く出発するスケジュールなら、まだ手の届く航空券が残っている・・・これは久しぶりに2人でヨーロッパでしょう!と決意したのが1月です。そこからビザ申請に必要な書類を諸々揃え、ベルギー大使館にシェンゲンビザを申請しました。航空券は香港経由フランクフルト行で大会開催地ベルギーまでは陸路で移動します。つまり、シェンゲン協定加盟国の中で最初の上陸はドイツです。ただ、2010年にシェンゲンビザを上陸地かつ最長滞在日数のオランダに申請したところ、「渡航の主目的であるベルギーに申請してくれ」と突き返されました。そのため、この2010年とその後の2013年にベルギーオープンへ参加した際、シェンゲンビザ申請はベルギー大使館にて行いました。当然、今回も。
 そして、ベルギー大使館に申請して過去2回もビザが交付されているからか、既に要注意プロファイルから外れた年代だからなのか、何と驚きの翌日交付でした。びっくり。シェンゲンビザが個人旅行に1日で出るとは思わなかったです。が、このせいでちょっと油断したのも事実。

 利用した航空会社はキャセイパシフィックです。海路郎さんは確認書類があるとかで、オンラインチェックインが最後まではできませんでした。そして窓口で「搭乗できません、と表示されます」と。まーじーかー 

 どうやら、上陸地であるドイツ発行のビザを所持していないとシステムとして(あるいは規則として?)搭乗できないようです。確かに、過去の経験からベルギー大使館に直行したのは確認不足だったかもしれません。いやでも、日程表を添付してるわけですから、「この内容だったらドイツ大使館です。ベルギー大使館では受け付けできません。」って案内してくれるはず‥多分。
 ともかく、ここで本当に搭乗拒否されてはたまりません。「主目的がベルギーだからベルギー発行です。過去、それで発行されて上陸してます。」と主張。もちろん、申請に使用した添付書類は手元に準備して。窓口の担当者はパスポートを持って別のPCに行き、上長が出てきて、さらに添付書類の類を全てもって二人でまた戻り…待つこと30分。無事、搭乗券が発行されました。今までのチェックインで一番、心臓に悪い。ドイツでちゃんと入国できるか不安になってきました。まあ、大丈夫だとは思うけど。思いたい。いや、大丈夫、うん。

 あ、キャセイパシフィックのムスリムミールは割と美味しかったです。中華じゃなかったけど。

 香港で2時間弱のトランジットを経て、フランクフルトに到着したのは同日夕方。そして、緊張の入国審査。ありがたいことに個人審査ではなく、グループ審査でした。海路郎さんと二人で審査官の前に立ちます。
  審査官「目的は?」
  cizma「ベルギーでプンチャック・シラットの大会に行きます」
  審査官「プンチャック・シラットって?」
  cizma「インドネシアの武術です」
  審査官「ベルギーまではどうやって行くの?陸路?」
  cizma「電車とバスです」
  審査官「そのチケットはある?」
  cizma「コピーですが(海路郎さん、申請添付書類一式を渡す)」
 諸々確認が終わったようで、ハンコぽん!ちゃんと入国できました。よかったよかった。

来たぜドイツ!
OB

 さて、もう日が長い時期ですが、移動の疲れを持ち越さないよう、空港近辺で一泊してから観光に向かうスケジュールを立てています。ホテルでゆっくりし、明日はケルンに移動します。

 それにしても、ノービザで旅ができないのは、やっぱり不便です。陸路移動や宿泊先の証明などが事前に必要ですから、”その場で決める”といったことができません。まあ、やりようによっては、そういった気ままな旅もできるのでしょうが、ビザ申請時に書類が揃っていることは必要なわけで。全人類、世界をスイカ1枚で移動できればいいのに。移動に法的制限がかかっているのも、格差がある一因じゃなかろうか、なんて思ったり思わなかったり。

4月24日(水):ケルン観光

 想定より少し早く、フランクフルト空港からケルン行の電車に乗り込みます。2等車、指定なし。どの席が指定されているのか少々戸惑いましたが、空いてる席を見つけることができました。指定されていると、指定区間が座席番号横に表示されるんですね。その区間外、あるいは区間表示のない席であれば座って問題ないようでした。
 昼前に着きましたが、幸いホテルの部屋は前日の宿泊客がいなかったようで、チェックイン時間前に入れてもらえました。ラッキー。荷物を置いて、そのまま昼食&観光です。

 ドイツと言えばビールとソーセージ(と芋とキャベツ)ですが、どちらにも食指が動きません。さてどうするか。でも正直、ヨーロッパで食の心配はあまりないのです。メジャーな国にはムスリム移民が多いですし、ベジの過ごしやすさも日本とは格段に差があります。言葉がわからなくても、空腹を抱えて食べるものがないという事態には、ほぼならないはず。それにここはドイツ、トルコ系移民が世代を重ねている地。ケバブの本場!というわけで、昼食は駅前のトルコ系レストランで、お肉をがっつりいただきました。美味。

 食事の後は観光です。ケルンは徒歩で回れるコンパクトな街のようですが、滞在日数も短いので、ざっとメインを抑えられるように徒歩ツアーに参加することにしました。投げ銭(?)制の「freewalk cologne」というグループがあるのを日本で見つけていたのです。どうやら「freewalk」としてマルセイユやキエフなど、いくつかの都市で同じような観光ツアーがあるようです。基本的に個人あるいは家族旅行を対象とした無料観光。無料となっていますが、実際は「投げ銭制」というか「ツアー終了時にお客様の満足度に応じてお支払い下さい」というシステムになっています。
 いくらが相場かわからないと参加しづらいからか、集合場所で「日本からです」と言ったところ、ガイドさんにものすごく珍しがられました。他の参加者はアメリカ、ロシア、スペイン、中国でした。

陽気なガイドのMIKEさん
ガイド

 ガイドブック片手に歩くより、楽しくいろんなポイントを案内してくれました。特に意味はなく、次の目的地であるアントワープへの線上にあったから選んだケルンでしたが、このツアーのおかげでちょっと詳しくなれました。

駐車場の遺跡、ローマ時代の井戸
遺跡

 古い街なので、掘るとすぐにローマの遺跡が出てくるそうです。博物館に移転させるのは大変なので、そのまま展示されている、テルマエロマエの世界(ちょっと違う)

Tünnes(右)とSchäl(左)
像

 元はケルン人形劇のキャラらしい、TünnesとSchäl。右がお金持ちのTünnes、左が愛に生きる(お惚けキャラ)のSchäl。Schälの方が元々のケルンっ子の特徴をとらえているんだそうです。背と鼻が低い、ということらしい。川の向こう側、もともとはケルンじゃねえ!っていう地域に住むお金持ち、生粋のケルンっ子からみればよそ者なTünnesは鼻が高くて背も高い。そして、お金のうるさく、背に隠した左手は賄賂の類を象徴しているとか。
 最北のイタリアと呼ばれているらしい、ここケルンは古い歴史もあり、元々はずんぐりむっくりした人たちが多く住んでいたのかな、そこに北の鼻高背高な白い人が押し寄せてきたのかしら、なんて妄想。ちなみにこの人形劇はケルン方言で上演される上に、ジョークがキツイので観光客にはおススメしないとか。なんかそういう人形劇、東南アジアでも知ってるぞ・・・

 2時間半ほどのツアーを楽しみ、一度ホテルに戻ります。歩き疲れた海路郎さんは、ここで戦線離脱。まだまだ日も高いし、夕方前です。一人でできる観光、それは聖堂に上ること!533段の螺旋階段を100mの高さまでえっちらおっちらグールグル。

仮止めされた石
上から

 ツアーで聖堂前広場に来た時、「強風が吹いていると、程度によってこの広場は立ち入り禁止になる。上から石が落ちてくるかもしれないから。」と教えてくれました。この聖堂の成り立ちや状況はなかなか面白いものがあります。途中まで作って満足しちゃうとか、石の積み方が割と雑とか、機関車の煙に燻られ続けて(駅に隣接)さらに黒くなったとか。そして、激しい空爆を受け続けたケルンにおいて、かろうじて無事に生き残った唯一の建物でもあるそうです。ちなみに、空爆による壊滅的な被害のために住民が減り(アウシュビッツに連れていかれてしまった人も多くいたとか)、それでも復興に人手は必要で、といった背景から、新参者にやさしい街なんだとか。生粋のケルンっ子と呼べるのは人口の2割程度とも言っていました。
 さて、なぜに唯一残ったのか。神のご加護を主張する向きもあるでしょうが、ガイドさんが「これが一番真相に近いと思う」と言っていたのが「空爆の目印」説。今みたいなGPSがない時に、繰り返し訪れるには目印があった方が便利です。恐らく、そんな理由で残されたのだと思う、と。なんか、納得です。
 そんな聖堂に登って、上からの景色は絶景。思い出してみれば、2年前にサクレクールでも300段登ってました。cizmaは○○と煙は高い方が好き、のアレなんでしょうか。世界遺産の展望台(?)はどこもかしこも記念の落書きだらけ。網が張られる前に書いたのか、外にも記念の落書きを見つけた時には、さすがに驚きました。下見るの、結構怖い高さなんですけどね。しかも、いくつかのブロックには落ちないように金具が後付けされていました。割れて先がなくなっているのもあったので、これは確かに広場が閉鎖されるわけです。
 533段は登ったら、今度は下りないといけません。下り切ったときには、割と息も絶え絶え。でも、上での眺めは最高です。ケルンに行く機会がありましたら、是非。

 とはいえさすがに疲れました、もう本日の観光は終わり!

4月25日(木):ちょっとそこまで

 滞在2日目、今日の午前中はちょっと足を延ばして郊外へ行ってきます。でもその前に、思ったよりも早起きができたので、大聖堂の中を見学です。

ステンドグラス
ステンドグラス

サンタさん?
壁画

 まだ朝のミサが行われている時間だったため、宝物エリアには入れませんでした。

多言語案内
注意

 礼拝中につきお静かに、という意味だと思われます。イバダってなってるのはどこの言葉なのだろう。アラビア語だと特に宗教を特定することなく「神」に当たる単語が「アッラー」なわけですから、この言語では「礼拝」に当たるのが「イバダ」なんでしょう。トルコ語かなー、と想像。

 聖堂を出て、隣にある駅から電車に乗って、向かう先は世界遺産ブリュールのアウグストゥスブルク城です。

アウグストゥスブルク城
アウグストゥスブルク城

 残念ながら城内は撮影禁止なうえ、ガイド付きツアーでしか回れません。しかもドイツ語オンリー。多言語イヤホンガイドを無料で貸し出してはくれますが、ガイドさんがドイツ語で説明して回るペースとイヤホンガイドが説明する尺が微妙に合いません。まだこの部屋を見たいのに移動を促されたり、イヤホンガイドが終わっても移動する気配がなかったり・・・と少々残念仕様。それでも、西ドイツ時代は国賓を迎えるレセプションホールとして使われていたほどの建物は、豪勢で見ごたえがあります。ある部屋に飾られた絵の一つは商談する商人でしたが、相手がどう見てもオスマン帝国で、なんかこう、楽しくなりました。ただ、最後の最後、イヤホンガイドの説明にやられました。最後の部屋はハマムを伝え聞き、それを模す流行りにのった部屋だったのです。そこで部屋の仕様だけではなく、中世の衛生観念も説明されました。それはコルセットや鬘に忍ばせる虱取りとか。トイレ事情とか。もう意味不明。中世風に憧れる人の気が知れない・・・無理。

 小春日和というか夏のようだった昨日とは打って変わっての、肌寒い日。そのため、広い庭園をあまり散策することなく、また、この庭園の先にある別邸ファルケンルスト(これも世界遺産)にも行かずにケルン方向に戻ります。
 向かうのがケルン市内ではなくケルン方向であるのには、訳があります。市内から少し外れたところに、ドイツ最大(らしい)のモスクがあるのです。

モダンなデザイン
モスク

天井が高くて広い
中

 こちらはカメラなどの撮影機材での撮影が禁止になっていました。スマホでの撮影は大丈夫な様子。機材を使っての撮影をする場合は事務所で許可を取ってから、との案内が出ていたので、メディア対策なのかな、と思いました。ちなみに表示の第一言語はドイツ語、次にトルコ語。場合によっては英語も表記アリ。

入口にあった注意書き
注意書き

 靴をしまう下駄箱があったり、ウドゥーエリアにも一時的に荷物を入れる(コイン式で戻る)ロッカーがあったり、なかなか考えられた使い勝手の良さそうなモスクでした。パサールも併設していて、イスラム関係書籍を扱う本屋や洋服・礼拝マットを扱う店舗、銀行から旅行代理店、さらには理容店まで。そして当然、お腹を満たすための食べ物屋さんもテナントに入っています。若干ソフトオープンの気配がありましたから、まだ新しいんでしょう。これからさらに拡充されていく予定のようでした。モスクを後にして、再び市内に戻ります。

 大聖堂の裏は川になっており、電車と歩行者が渡れる橋がかかっています。この橋を渡った先からの眺めが大聖堂のインスタスポット。そして、この橋、ホーエンツォレルン橋自身も「愛を誓う橋」として有名なようです。南京錠をかけて鍵を川に捨てると永遠の愛がなんとかかんとか、ってやつです。
 それにしてもこう、鍵がそこかしこにこれでもか!!とぶらさがっていて引いた…こうまでも、ちょっとの隙間を探してはかけてある鍵には、愛というよりを執念を感じてしまいます。怖いよ。

鈴なりの鍵
鍵

定番の構図
定番

 こことは別の場所にかかっている橋を渡ってホテルに戻りました。明日はデュッセルドルフ経由でアントワープ行です。

4月26日(金):ベルギーオープン開幕

 今回、ケルンからアントワープへの移動は、デュッセルドルフからバスを利用します。ケルンからデュッセルドルフまでは電車、デュッセルドルフからはFlixバスを使いました。デュッセルドルフではバスが出るまで、約2時間の自由時間があります。荷物をロッカーに預けて、駅前を少々散歩。

ビスマルク
ビスマルク

 特に目的もなく歩いていたら小さな広場に出ました。そこにあった銅像が教科書でみたビスマルクの記憶を呼び起こします。似てるなあ、そういえばビスマルクはドイツの人だなあ、と近づいてみると、台座にうっすらと「Bismarck」とありました。薄すぎて読みづらいし、その上に落書きをされて、さらに読みづらくなっている鉄血宰相。それにしても、少し遠くからでも「あれはビスマルクでは?」となるとは、受験知識も侮れません。

 適当に時間を潰し、バス停へ。オランダを通過して、アントワープまで約3時間かかりました。cizmaは爆睡していたのでよくわかりませんが、高速には路線バス専用レーンがあり渋滞知らずだったようです。(海路郎さん談) そのおかげで、割と時刻表どおりにアントワープに到着。

 ホテルにチェックインし、事務局指定の出発時間まで待機、というか一休みです。実は、審判は朝から講習がありました。ただ、朝から講習があると知ったのはつい2,3日前。ホテルチェックイン時間に合わせたアントワープ到着で、既に数か月前から予定を組んでいます。急遽変更することもできず、やむを得ず欠席となりました。途中参加もできなくはありませんでしたが、講習会場までの足がない(送迎できる手の空いた運営がいない)ために無理。この欠席は不可抗力だと思います・・・講習があるならもっと早く言ってほしい。

 夕方に到着した会場は、当然ながら準備万端。久しぶりに会う顔、ついこの間ジャカルタで会った顔、など賑やかです。審判団は控室に集められ、諸注意がありました。注意といっても、いつも通りの心構えの話です。ここで各審判の班分けも発表され、cizmaはなんと驚きの統括側でした。Dewanと呼ばれ、審判任命および採点チェックを行う役を担います。講習を欠席したから閑職に回されたんでしょうか。いや、世界大会など大きな大会でこの役を受けると日当が少し高いので、「平」ではなく「役付」ではあるのです。また、競技委員長同様、この席に任命されるのは大規模大会の場合は東南アジア勢限定なので、重要な役割を果たしているのは事実。閑職というわけではないですね。
 とはいえ、現場(試合)での経験を積みたくて参加したのに、現場に出ない席に座ることになるとは。講習を欠席した影響なのか、それとも今大会の審判を全体統括しているのが例の某国なので、一人二役はNGの延長なのかと穿ってしまいました。まあ、Dewanの経験を積めるとも言えますし、cizmaの国際審判級数からは妥当といえば妥当ではあります。

開会式後にインドネシア大使の激励を受けるチーム
インドネシア

 開会式のVIPはインドネシア大使と会場のあるスコーテンの市長。実行委員長(ベルギーシラット協会会長)の挨拶を経て、第24回ベルギーオープンが始まりました。開会式の後は演武部門です。
 演武部門の審判を任命した後は、現時点で判明している明日の試合のための審判チームを決めていきます。これを今やっておかないと、明日の第一試合を時間通りに始めることができません。cizmaが配属されたマットAのDewanは2名、ペアとなったフランス審判と相談しながらの作業です。ずっとこの作業をしていたので、残念ながら選手たちの演武は全く見れませんでした。

 まずまず、予定通りの時間と言える程度で終了し、バスに乗ってホテルに戻りました。明日は朝から晩までずーっと試合です。

4月27日(土):盛り上がる会場

 朝、参加者の大部分が宿泊するホテルのロビーは大混雑でした。さらに、他のホテルに宿泊しているシンガポールとマレーシアも合流し、大変なことになっていました。シンガポールとマレーシアはキッチン付きの宿泊先に滞在しているようです。ベルギー大会では毎回、朝にホテルで作った料理を昼食と夕食に食べているマレーシアチームを見ることができます。思い返せば、cizmaが初めて参加した2002年の韓国釜山でも、シンガポールとマレーシアは自炊していたような気がします。

 チームが会場に到着した後、開始時間を待って、試合がどんどん行われていきました。

いつもとはちょっと違う眺め
眺め

 過去、運営が用意する昼食・夕食は大会会場の食堂で提供されていました。しかし、今年は会場から徒歩数分の別施設です。よくわかりませんが、学校の食堂を借りているようでした、多分。会場近辺は住宅街のため、特に食事できるところもなく、さらに土日ということで閉まっているお店も多いのです。運営が用意する食事以外はほぼ、食べる手段がありません。そのため東南アジア勢は食事持ち込みのマレーシアを除いて、全チームが運営の食事を申し込んでいました。そして、今年は東南アジア勢がどこもいつも以上に大所帯。演武部門が実施されたからでしょう。
 いつもの食堂では収容しきれない、ということで別施設を手配したようです。食事はベルギーシラット協会の元選手の家族が料理していた様子。アジア料理で美味しかったです。机にはサンバルやケチャップも用意されていて、数年前に不評だったケータリング業者による食事の汚名返上。

ご飯タイム
昼食

 大会は今日・明日の2日間で行われます。明日は決勝だけなので、今日一日で2試合する選手も何人かいます。そのうちの一人が、アジア大会金メダリスト、大統領と大統領候補を抱擁し一躍アイコンとなったハニファン選手でした。午前の対マレーシア戦には勝利しましたが、午後の対タイ戦には敗北し、銅メダル。彼、初めて見た時はBクラス(体重50-55キロ)だったのに、アジア大会までの主要大会ではCクラス(55-60)。そして今大会では60-65キロのDクラスです。大会後に新婚さんになったので、幸せ太りでしょうか。体格が大きくないので、Dクラスでは苦戦しそうです。
 そういえば、海外で会うハニファン選手はトレードマークの金髪を黒く染めなおしています。聞けば、「パスポートとビザ申請の証明写真と同じ髪色にしないといけないから」とのこと。確かに、インドネシアだと染めた髪でパスポート申請が通らなそう・・・でも、髪色が違ってると入国でトラブルになるんですかね?無用なトラブルが起こる可能性を全部潰す、ということかな。

 会場が一番盛り上がったのは、オランダ対シンガポール。どちらも応援団が大きい上に接戦で、延長戦(追加の1ラウンド)にまで持ち込まれました。職場放棄したくなるような状況をぐっとこらえた裏話がありますが、さすがにそれを全世界に発信する気はないです。自分を律する材とします。

延長にまでいった試合
盛り上がり

 明日の決勝は1面のみで行われる予定です。少し早めに終わるかな・・・?

4月28日(日):長引く最終日

 決勝はジュニアやマスターズも含めて、全25試合。16時には終わる予定です。開始前に審判ミーティングがあり、昨日起こってしまったいくつかのミスが再発しないように、一同気を引き締めます。また、再び同じことがあったらもう職場放棄する、との宣言が一部から上がりました。そして不幸なことに、この宣言は第2試合の後に実行されてしまいました。

 そういったあまりうれしくない出来事もありつつ、試合が進んでいきます。試合に係る時間が長いのか、コーヒーブレイクを諦めて進めてもまだ、なぜか予定時間より押しているという状況。昼食を挟んで、アナウンスされた時間に再開されたものの、またズルズルと時間が押していました。
 長引く試合の数々に会場は少し、お疲れ気味。そんな会場全部を笑顔にしたのが、マスターズ決勝。カードはフィリピン対シンガポールです。フィリピンの選手は国際審判でもあり、会場中、もちろん事務局も審判団も彼を知っています。知ってるだけではなく、陽気な彼は人気者でもあるのです。そんな彼が選手として試合に出るとなれば当然、注目の一戦です。

 この楽しい試合はSilatFanTVの動画で見ることができます。(赤:シンガポール、青:フィリピン)

 結局全試合が終わったのは18時近く。16時から表彰式だったはずなので、2時間近く押したことになります。大会終了次第、帰路につく予定だったメンバーは、表彰式を見ずにバタバタと帰っていきました。ドイツやオランダまで、長時間ドライブが待っているそうです。

選手もお疲れな表彰式
表彰式

 表彰式と閉会の挨拶を受け、会場は恒例の大・記念撮影会が始まりました。あちこちでチームが記念写真を撮っています。年に一度の大集合ですから、皆楽しそうです。そうこうするうちに送迎バスが到着し、宿泊組はアントワープに戻ります。

 今日の夕食は自分で調達しないといけません。駅前に行けば何かあるでしょう・・・多分、ケバブが。日曜のヨーロッパは、本当にお店が開いていないのです。でもバスの窓から、移民は働いているのがわかります。移民といっても恐らく、ムスリム系の移民。

ポーランドは休み、アフリカはやってる
お店

 予想通り夕食は駅前でケバブというか、トルコ系ご飯となりました。先客にはマレーシアチームが、そして食べてる最中にシンガポールチームが来るという、まるでシラット御用達レストラン。インドネシア組はどこで食べてたのかな・・・
 明日の朝はブリュッセル経由でフランクフルトに移動します。食後に駅前を少し散歩してから、ホテルに戻りました。

中華街の街灯は雰囲気が他と違う
中華街

4月29日(月):ドイツに戻る

 電車を乗り継いで、ブリュッセル経由でフランクフルトまで移動します。アントワープからブリュッセルまでは折角だからTHALYSを使いました。2等ですが。が、ここで想定内の電車遅延。1時間近く遅れての運行でした。ヨーロッパの電車が遅れることを見越して、ブリュッセルからの電車を決めてあるので実害はありません。ただ、ネットで最初のアントワープからフランクフルトまでの電車を予約しようとしたところ、乗継時間15分のスケジュールを提示されました。遅延が普通なのと、慣れない駅で15分でホーム移動は厳しいと判断し、結局分割(アントワープ/ブリュッセル&ブリュッセル/フランクフルト)で手配した次第です。レイルヨーロッパの推奨チケットで手配してたら、ブリュッセルで確実に乗り遅れてます。
 アントワープは大きな駅ではないからか、THALYSとはいえノーチェックで乗車できました。切符は確認されますが、パリで経験したような保安検査なし、という意味です。

反対側ホームのインドネシア学生チーム
イネチーム

 予定より遅れて到着したブリュッセルですが、それでもまだ2時間近くのフリータイムがありました。ブリュッセルの駅はケルン、アントワープと異なり、セキュリティがキツイ印象を受けました。国境をまたぐ路線に乗るには空港のようなセキュリティチェック、つまり荷物のX線検査と人間の金属検査があるようです。乗車するまでにかかる時間を考えると、小便小僧を見に行くには慌ただしい気がします。まあ、一度見てるし・・・ということで、またもや駅周辺をフラフラ。

 まずは駅前にあるらしいモスクを目指します。入口付近はお掃除の人が仕事中で入れる雰囲気ではなかったため、中は見られませんでした。早朝過ぎたのでしょう。窓の張り紙はアラビア語とフランス語で読めませんでしたが、最後にあった「ラマダーン・ムバーラク」だけはわかりました。GWが明けたらラマダンです、つまりこの時点でラマダン初日まであと1週間。

そろそろラマダン
モスク

 あっちに何かあるのでは?と適当に歩いた結果、エレベーターのある広場に出ました。そして、ここに来た事があるのを思い出す二人。このエレベーターを見るのは3回目です。最初はテレビの紀行番組で、2回目は2013年の旅行で。エレベーターを上がった先にはまた広場があったはず。

通路はちょっと怖い
エレベータ

 上の広場、最高裁判所前からの眺めを堪能し、来た時とは違う道を通って駅に戻ることにしました。途中、教会前で蚤の市が開かれていたので、ちょっと冷やかし。写真を撮ったら1ユーロと言われてしまいました・・・

ハラールスーパー?
ハラール

 ブリュッセルからフランクフルトまでは3時間の電車旅です。駅でお弁当やお菓子を買い込んで、セキュリティを通過して、さあ出発!
 途中駅でワンちゃんが乗ってきたのには、少しびっくりしました。自転車や犬がOKなのは知っていましたが、犬連れの場合は座る席(エリア)が指定されているのかと思っていたのです。カップルが大型犬と小型犬を連れて、空いた席に座りました。密閉空間に犬がいる経験は初めてです。彼らが座った席が近かったこともあり、犬が実はかなり獣クサイということを知りました。お行儀はいいのですが、臭いが…慣れるまで辛かったです。犬を愛玩する習慣のないエリア出身のボーンムスリムである海路郎さんは、犬が気になってイマイチ落ち着いて過ごせなかったようでした。一方、最終的には臭いと気配に慣れ、寝てしまったcizma。なんか、ごめんなさい。

 電車はフランクフルトの前にケルンを通過します。この時、例の怨念橋を裏から見ることができました。裏側に落書きがされてるとは思いもよらず。

ケルン再び
橋の裏

 終点のフランクフルト中央駅に着いたのは夕方前くらい。駅から少し遠いホテルまでガラゴロと荷物を引きづって歩き、チェックインを済ませます。再開発エリアなのか、小さいお店はありませんが、近くにきれいなショッピングモールがありました。少し早い夕食をそこで取ることにします。
 フードコートが多国籍で目移りします。23日からの滞在で初めて、トルコ系以外の外食となりました。

上イラン、下モロッコ
食事

 移動の疲れを癒し、明日は一日フランクフルト観光です。ライン川クルーズするぞー

4月30日(火):フランクフルト観光

 朝、まずは観光の中心となる広場を訪ねてみました。割と朝早い時間だったのですが、既に団体客がバスで乗り付けていました。近くにあった教会には偉人(?)のレリーフが埋め込まれていたのですが、そのうちの一つが正面を向いているタイプで、一瞬生首かと…朝から驚かさないでほしいです。

ちょっと怖い
生首

 今日のやりたいことの一つはライン川クルーズ。まだ時間があるので、街並みを楽しみながら大聖堂を見に行きます。外から見るだけのつもりだったのですが、大聖堂に行ってみたら、なんと登れる!ケルン大聖堂に比べれば低いので、これは登らないという選択肢はありません。ケルンでは登らなかった海路郎さんと二人で螺旋階段をぐるぐるぐる。

眺め良し
ドーム

 フランクフルトの大聖堂には、手すりだけではなくロープが準備されていました。ところどころ切れそうになっていたので、逆に怖かったです。登って降りて、一息ついたころにはクルーズを申し込むのにちょうどいい時間になっていました。

フランクフルトの浅草だと思う
広場

クルーズ船から眺めるフランクフルト
クルーズ

 フランクフルトには日本企業の支店が多いと聞いています。多分、日本企業だけではなく海外企業が多く拠点を置いているのでしょう。そして当然観光地でもあり、ということで賑やかな街でした。そして、今やどこの観光地もチャイナパワー全開なことを実感します。アリ・ペイが世界に開放されたら、決済のスタンダードになるんじゃないでしょうか。東京もそうですが、観光地ということもあってどこのお店にも「使えます」シールがありました。

おいでませ観光客
中国

 地下鉄一日券を使って人の多い広場付近を離れ、昼食を取りました。内容はトルコ料理。結局、ドイツ滞在中に「ドイツ料理」を食べることなく終わりそうです。いや、トルコ系レストランの数や客層を見るに、トルコご飯はすでにドイツ料理なのかもしれません。日本のカレーみたいな感じかも。

 午後は移動遊園地を見に行きました。日本では見られないものを見てみたかったのです。日没が20時半、と1日が長い時期の遊園地なので、人が遊びに来るのは夕方以降なのでしょう。夕方にはまだ大分ある時間帯に訪れたので、平日ということもあり、あまり人がいませんでした。射的が本当に弓だったり、お化け屋敷のお化けが西洋スタイルだったり、文化の違いを感じました。

1か月ほどの期間限定
遊園地

 夜にホテル近くのモールでお土産を買って、ドイツ滞在は終了です。そして、どこの国でもスーパーは楽しい。

5月1日(水):フランクフルト空港

 ヨーロッパの主要空港ということで、余裕をみて3時間ちょっと前には空港に到着しました。でも早すぎてカウンターが開いていなかった…さすがにカウンターが開くのは3時間前からのようです。帰りは海路郎さんもオンラインでチェックインが完結しているので、荷物を預けるだけなのですけど。そう、帰りはオンラインチェックインが最後までできたのです。やはり「到着地発行のビザ」を保有していることが、システムが動く前提条件の様子。
 カウンターが開くまえに到着したため、待機列のかなり前の方です。荷物を預ける際に外国人登録証を確認されましたが、基本的にはスムーズに手続きが終わります。おかげで時間を持て余すことになりました。巡回バスに乗り、時間を潰しにT1まで行く始末。まあT1で楽しく時間を潰せたたかと言われると、そうでもなく、ぐるっと回って終わりにしました。T1もT2もアジアのメガ空港を見慣れてしまうと、こじんまりしてます。空港ツアーが面白そうだったのですが、さすがにそこまでの時間は余ってない。

メインターゲット
空港

 免税エリアでも強さを見せつけられました。ホント、アリペイが使えれば世界中で現金要らずなのではないかと思います。

5月2日(木):帰国

 ヨーロッパは遠い。直行便を使っても10時間以上です。10時間以上の缶詰は結構つらいです。年齢が上がるにつれ、この移動がもっとつらくなるんだろうなあ、なんて。

 改元フィーバーから逃げての欧州滞在でした。でも、欧州のテレビニュースで退位のことが国際ニュースとして取り上げられていたため、完全に忘れて過ごすことにはならなかったのが意外です。ドイツ語、フランス語、英語のニュースでこのトピックを扱っていたのを、ホテルのテレビで目にしました。

ドイツのニュース
ニュース

 英語ニュースしか内容がわかりませんでしたが、どのニュースも祝賀ムード一色の日本とは違った視点だったと思われます。成婚パレードの投石乱入とか、沖縄も取り上げていました。自国の王室に対しても賛辞一辺倒ではないわけですから、当然と言えば当然。

 帰国した街中には祝賀の垂幕や国旗がはためいていて、「あー日本だなあ」と。最初の一般参賀に並んだ人数といい、我々は本当にお祭り好きな野次馬臣民。そしてふと、10連休と引き換えに12月の休日を1日失ったことに気づきました。新しい天皇誕生日はいつだっけ・・・