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- マレーシア副首相杯参加記+立ち寄りインドネシア -
2015年9月15-20日にマレーシアのクアンタンで開催された第6回国際プンチャック・シラット マレーシア副首相杯に参加しました。昨年に引き続いての参加ですが、残念ながら今年は選手なし。
第6回国際プンチャック・シラット マレーシア副首相杯概要
(1)大会について
(2)大会参加国
(3)大会日程
(4)競技種目
(5)競技結果
大会こぼれ話・裏話
9月15日(火):宵っ張りマレーシア
9月16日(水):大会初日、160試合
9月17日(木):借金消化、演武部門
9月18日(金):まだある借金、やっと返済
9月19日(土):準決勝バタバタ
9月20日(日):決勝、そして移動
9月21日(月)〜23日(水):@ジャカルタ
9月24日(木):帰国
第6回国際プンチャック・シラット マレーシア副首相杯(15~20th Sep. 2015)概要
第6回国際プンチャック・シラット マレーシア副首相杯について
昨年に引き続き、マレーシア副首相杯に参加です。がしかし、選手2名で事前に参加登録をしたものの、2名とも諸事情により渡航をキャンセルしたため、審判のみ派遣という形になってしまいました。ら、来年こそは再び選手を参加させたい…会場は相変わらずのショッピングモール。
マレーシア国内大学クラブ:30大学以上
*マレーシアの学制に詳しくないのでUniversitas、Politeknik、Kolejなどの違いがわからず詳細不明
国際チーム:16チーム
<内訳>マレーシアA代表、マレーシアB代表、シンガポール、スマトラ(INA)、パダン(INA)、プリサイ・ディリ(INA)、パンリプール(INA)、ハノイ軍(VTM)、シンガポール、タクシン大学(THI)、ブルネイ・ダルサラーム、韓国、インド、イエメン、バングラディシュ、日本 以上、事前登録情報による
*国際チームのうち、日本は直前キャンセル。スマトラ(INA)、バングラディシュは事前登録のみで実際には不参加。イエメンはマレーシア在住者(留学生)。パンリプールは演武部門のみへの参加。
ジュニアチーム:5チーム *マレーシア及び国際チーム(シンガポール、プリサイ・ディリ、インド、シンガポール)
通常は選手登録の後に行われる組合せ抽選は、時間節約のためか、事前に代理によって既に行われています。。前回大会より国際組の参加チーム数&人数は減少しているものの、国内組の人数が大幅に増加している印象です。おかげで試合数の多い予選(1,2回戦)の間は、昼食・夕食休憩なく1日ずーっと大会が運営されました。
日付 イベント 15(火) 選手登録
テクニカルミーティング16(水) 国内大学戦 1回戦 17(木) 国内大学戦 1,2回戦
国際戦 1回戦
国際戦 演武部門
国内大学戦 演武部門
演武部門表彰式18(金) 国際戦&国内大学戦 2回戦、準々決勝 19(土) 国際戦&国内大学戦 準決勝 20(日) 決勝
表彰式
試合数は最終的に431ありました。演武部門も国内組はかなりの数のエントリーがあったようです。審判を務めた男子ソロ演武(Tunggal)は19名、計時係を務めた男子組演武(Regu)は13組。隣のアリーナで行われた女子もほぼ同数…いや、少し男子より多かったかな。
1.男子試合部門(Tanding) Bクラス - 50kg以上55kg未満 Dクラス - 60kg以上65kg未満 Fクラス - 70kg以上75kg未満 Hクラス - 80kg以上85kg未満 Jクラス - 90kg以上95kg未満 |
2.女子試合部門(Tanding) Bクラス - 50kg以上55kg未満 Dクラス - 60kg以上65kg未満 Eクラス - 65kg以上70kg未満 |
3.男子演武部門(Seni) ソロ(Tunggal) ペア(Ganda) チーム(Regu) ソロ・クリエイティブ(マレーシア独自種目) |
4.女子演武部門(Seni) ソロ(Tunggal) ペア(Ganda) チーム(Regu) ソロ・クリエイティブ(マレーシア独自種目) |
1.男子試合部門(Tanding) Aクラス - 39kg以上43kg未満 Cクラス - 47kg以上51kg未満 Eクラス - 55kg以上59kg未満 |
2.女子試合部門(Tanding) Aクラス - 39kg以上43kg未満 Cクラス - 47kg以上51kg未満 Eクラス - 55kg以上59kg未満 |
国際組の決勝戦は以下のとおり。勝敗結果はメモを取ってません。今回はなんやかやと働いたので、隙間時間があまりなかった。
部門 | 種目 | 結果 |
男子試合 | Bクラス | シンガポール vs マレーシアA |
Dクラス | マレーシアB vs シンガポール | |
Fクラス | ベトナム vs マレーシアA | |
Hクラス | マレーシアA vs マレーシアB | |
Jクラス | マレーシア vs ベトナム | |
女子試合 | ||
Bクラス | マレーシアA vs マレーシアB | |
Dクラス | シンガポール vs マレーシアB | |
Eクラス | マレーシアB vs マレーシアA | |
男子演武 | Tunggal | 1.マレーシアA 2.シンガポール 3.マレーシアB その他参加国:韓国、タイ、ブルネイ、シンガポール、インド |
Ganda | 1.マレーシアA 2.マレーシアB 3.タイ その他参加国:韓国、ブルネイ |
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Regu | 1.マレーシアB 2.ブルネイ | |
ソロ・クリエイテイブ | 1.マレーシア 2.ブルネイ 3.タイ | |
女子演武 | ||
Tunggal | 1.シンガポール 2.シンガポール 3.タイ その他参加国:韓国、マレーシアB、パンリプール(2名) |
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Ganda | 1.マレーシアA 2.マレーシアB 3.パンリプール | |
Regu | 1.マレーシアA 2.マレーシアB 3.タイ | |
ソロ・クリエイテイブ | 1.パンリプール 2.マレーシアB 3.パンリプール |
大会こぼれ話・裏話
参加予定選手が渡航キャンセルの事態に陥り、単独渡航。
行きはマレーシア行、帰りはインドネシア発の条件で時刻表とにらめっこした結果、初のJAL便手配です。以前、マレーシア航空を手配したのに、コードシェアで期せずしてJAL便に乗った記憶から、往復の快適さを期待…したんですけどね。行きはコードシェアでマレーシア航空の管理でした。つまらん。
ゲートを繋ぐ電車が撤去され、その後の内装工事が終わってからは初めての成田利用です。線路だった場所に広めの休憩スペースができてました。電源も多く配されてるし、時間を潰すにはいい感じ。トイレもtotoのショールームを兼ねているらしく、最新式のきれいなものでした。ただ、ショールーム的デザインに凝りすぎ、男女エリア(入口)もわかりづらければ、まるで迷路の先にある個室の入口、しかも利用可能かどうかもわかりづらく、”ユニバーサルデザイン”は多分不合格。あのトイレ、車椅子の人は入れるのかな?
最終目的地のクアンタン空港は軍民共用の小さな空港、とネットに出てました。両替などはクアラルンプールの乗換で済ませておいた方が無難そうです。実際、クアンタン空港はバンドゥン空港よりちょっと大きい程度の印象でした。しかも大幅リニューアル工事中らしく、本気で何もない。そしてそのなにもない空港でロストバゲージされた…JALのつもりがマレーシア航空でつまらん、などと思ったのがいけなかったのか?宿泊先も知らないので、ロストバゲージの届け先もわからない。
幸い、送迎係が昨年と同じ人なのは事前に知っていたので、係の人に電話をかけてもらい、荷物の届け先はクリア。到着から1時間もかかってやっと外に出られました。クアンタン空港着の便はまだあと1つあります。その便で荷物が届いてくれるといいんですが。審判服も着替えもない。着替えはともかく、審判服がないと審判ができないじゃないか…夜のうちに届く、という話ではありましたが、実際に届いてくれるまでは信じられない。
宿泊先に向かう途中に送迎係が立ち寄った選手用宿舎で、知り合いのインドネシアチームに会え、事情を話してTシャツを1枚恵んでもらいました。これで夜間の着た切り雀は免れた、アルハムドゥリラー。
到着した審判が集められている宿舎では、審判の直前講習の最中でした。最後に到着した審判ではなかったようですが、大幅遅刻には変わりなく…メンバーは知った顔が3分の2くらいでしょうか。審判講習が終わったのは23時近く。そんな時間にも関わらず、食事に誘われます。確かにお腹は空いてるので、一緒に出掛けました。いやでも、こんな時間に皆のようにナシゴレンがっつりとか無理。cizmaはロティ・チャンナイを注文しましたが、実はマレーシア料理で名前がわかるのは、これとナシ・ルマのみというだけの話。
それにしても、こんな時間の屋台で幼児が家族とご飯を食べてるのは、意味不明。まあ、マレーシアに来ると普通に見る光景ではあるんですけれども。車社会で移動時間に縛られない(終電とか関係ない)、昼間暑いから夜の方が活動的、などなどいろんな理由はあるんでしょう。でも、やっぱりこの食生活リズムはおかしいって。
結局、夜のうちに荷物は届かなかったので、昨日と同じ服装で朝食ビュッフェへ。審判服は同室のマレーシア審判が3着持参していたため、そのうちの1着を借りる手はずとなりました。一応、朝食後、部屋に戻る前にレセプションに立ち寄り、荷物到着の有無を確認します。…おお!!届いてる!!!これで自分の審判服を着られる。アルハムドゥリラー。あーよかった。
さて、ポスター等では10時〜となっていた大会スケジュールは、参加者数=試合数の多さのため9時開始とアナウンスされました。実際に始まったのは9時半近くでしたが…ただ、大会会場はショッピングモール。モール自体の開店は10時です。交渉の結果、9時前に開錠はされているものの、開店準備中の9時台はやはり、照明や空調が抑え目です。吹き抜けで天井が高く、明かりが入るのでいいのですが、最初の2,3試合は大分暗い中での試合となりました。
2つのアリーナで160試合をこなすには、1つのアリーナで80試合消化する計算です。審判の出入りや試合運営に時間の節約を心がけても、1試合に10分程度は必要です。800分…13時間?計算上、9時から始めてノンストップで大会を運行し22時までかかります。繰り返しますが、大会会場はショッピングモール。閉店時間は22時。そう、22時には電源が落ちてしまうのです。これはどう考えても時間が足りない。少しでも時間を短縮するために取られた措置は・・・・
1)昼食・夕食休憩はなし *マグリブ礼拝のために1時間ほど休憩あり
2)1試合毎に審判・レフェリー全員の交代はしない(審判1から始まり、審判5まで回った後にレフェリーを務めて休憩となる。審判入退場は退場するレフェリー、次試合のレフェリーを務める審判5、次試合から審判1を務める審判の3人のみ)
3)選手に対する指導は減点条項でない限り、都度毎ではなくタイミングをみてまとめて行う(試合中断時間の減少)
がんばってマキマキで進行しましたが、22時の閉店までに予定を全て終わらせることはできませんでした。cizmaが配属されたアリーナAでは7試合の借金を残して、初日終了となりました。これらの試合は明日に持越しです。
22時に電源が落ちると同時に会場を退出。そのまま、モールの前にある屋台(レストラン)でご飯。今日は麺にしてみました。他のメンバーはがっつりご飯でしたけどね…
2日目の予定は午前は試合、午後〜夜は演武部門となっています。時間が足りないのでスムーズな運営への協力が呼び掛けられたためか、今日は9時5分には試合が始まりました。それでも午前中に予定に追いつくことはできず、試合部門は借金を残したまま、昼には終了となりました。審判席のレイアウトを変更し、13時から演武部門が始まります。
今大会、試合部門ではローテーションで審判1〜5、レフェリーを務め、休憩時間には勉強のために審判長の隣に座り、呼び出しアナウンスの手伝いをしていました。演武部門では国際組ソロ演武(トゥンガル)、国内組ソロ演武(トゥンガル)の審判、国内組チーム演武(ルグ)の演武時間計測係、国内組ペア演武(ガンダ)の計時係を務めました。本当は国際組チーム演武(ルグ)の審判も務めるはずだったのですが、呼び出しの際にご飯を食べ終わっておらず、免除。cizmaの分もお願いしていたテイクアウト弁当が届いていたので、トゥンガルの採点の後、食べ始めていたんですよね。トゥンガルの後のペア演武(ガンダ)の参加者数が少なく、休憩時間に食べ終えられなかったという。そういえば国内組ルグ全13組の審判もするはずだったな…こちらはその前に行われた国内組トゥンガル全19組の審判を務めた直後だったので、「もう疲れたよ」と辞退し、時計係に回りました。
審判を務めた国際組トゥンガルで特筆すべきだったのは、インド。インドがネタにならない日はいつ来るのか。なんだろう、あの選手はヨギーニだったのか?言い方は悪いけど無駄に身体が柔らかく、規定型をやっているはずなのに、まるで別物に見える。初出場で緊張もしていたのでしょう、技の順番も規定順から外れ、行ったり来たり。動作1-2-3-4‐・・・とするべきところを、1−3−5−4−2−・・・といった具合です。
それでも、ルール上これは減点対象なだけで、失格にはなりません。失格対象となるのは、動作順の誤りではなく、パート順の誤りあるいは抜けです。つまり、パートA(動作1〜5)>パートB(動作6〜10)…とすべきところを、パートBを先にやる、あるいはパートAをまるっきり演武しない場合に失格となります。パートAの中で動作順がめちゃくちゃだとしても、パートAそのものを忘れず、かつパートBの前に演武している限り、「減点」となるだけ・・・・のはずだったんですけども。なんとcizma以外の審判がここを勘違いしていたようで、5人中4人が失格と結論づけてました。世界大会だったら猛抗議ものだよ。初出場で失格となってしまった気の毒なインドのヨギーニでした…
途中にマグリブ休憩を挟みながら、演武部門は21時頃に終了。その後、表彰式が行われていました。我々審判は表彰式には関知せず、軽く反省会の後、解散です。今日もご飯に誘われましたが、疲労が過労になる予感がしたので、部屋にひきこもり。夕飯はカップ麺で済ませました。
演武部門は昨日で全部終了しています。あとは最終日まで試合のみ。明日の土曜は全試合、準決勝。明後日の最終日は全試合、決勝。本日のうちに借金を返済し、準々決勝までの試合を全部終わらせなければなりません。しかも金曜なので、金曜礼拝のために中断が入るのは確定です。今日は9時ジャストに試合が始まりました。
初日より、心臓が口から飛び出るんじゃないかというくらい緊張しながらレフェリーをしています。3日目になっていくらか慣れたとはいえ、ド緊張していることに変わりはなく。それでも合格点をもらいつつやっていたんですけど…この日は流血試合のレフェリーになってしまいました。何事も経験とはいうものの、あーびっくりした。事態の収拾に焦りが出てたと思います。ルールブックが頭に入っていることと、実際の現場で真ん中に立ってそれを運用することは、当たり前ですが同じではありません。地道に経験を積み、ここの回路をスムーズにしていくしかないんだなあ、と改めて実感しました。
国際組の準々決勝にインドの体重不足、ブルネイの体重超過、インドネシアとタイの辞退が発生したため、実施できていなかった国内組の試合数分(借金)が帳消しになった感じです。過去の大会でインドは大概、体重超過を発生させるのですが、今回は珍しく体重不足。対戦相手が規定外の相手との試合を了承すれば親善試合的に実施でききましたけど、インドの対戦相手(シンガポール)、ブルネイの対戦相手(タイ)、双方ともにそれを拒否したので、インドとブルネイはルールに則り失格となりました。
金曜礼拝のために2時間、マグリブ礼拝の1時間の休憩を挟みながら、電源の落ちる少し前、21時半頃に全て終了。持ち越していた試合も消化し、借金はなくなりました。大会も残り2日。ちなみに今日は誘いに乗ってタイ料理で舌鼓…って22時過ぎに賑わう道路沿いのタイレストランってどういうことなんだろうなあ。相変わらず子供連れも多いっていうね。マレーシアの子供は何時に寝るんだろう。
準決勝の日、第1試合は昨夜行われるはずだったインドネシア対マレーシアです。いい試合になりそうだからか、試合順を変更して本日に回されています。いや、昨日のメモには20日に持越し、って書いてあったんだけど…まあいいや。呼び出しても呼び出しても、インドネシアが現れません。会場に居るのかどうかも怪しい。結果、マレーシアの不戦勝(インドネシアの失格)となりました。第一試合の結論を出さないことには次に進めませんから、仕方ありません。
第2試合はインド対マレーシア…インド、体重超過。全世界が日本のように体重計が一家に一台という状況ではないことはわかる。東南アジア諸国はそれでもちゃんと体重を管理してきます。インド…体重が規定に収まっていることの方が珍しい…なぜだ。今回は対戦相手が体重超過を承知したので、試合が流れる事態にはなりませんでした。インドの選手、初心者っぽいながらも結構いい動きをしていたので、このまま続けていけば次回かその次の世界大会ではいい線まで行くかもしれません。
11時くらいでしょうか、インドネシア選手の試合がありました。選手呼び出しの際、付き添っていたコーチから「ところで○○(第1試合の選手)の試合は何時だ」と聞かれました。第1試合で呼び出しに現れなかったために失格になっている旨を伝えると、目が点になってしまいました。どうやら、新しい試合順を知らなかったようです。チームに対し「なんで昨日確認しなかった!!」と怒ってます。まあそうだよねえ。結局、運営側と協議の末、午後の第1試合となりました。
12時から14時半の昼休憩を挟み、午後の部が始まります。仕切り直しのインドネシア対マレーシアでしたが…インドネシア選手はいうなれば辺境からの参加。昨年参加していたジャカルタ特別州チームは言ってみれば東京代表。しかし、このチームはスマトラ代表ではなく、スマトラ地域某所(場所忘れた)の伝統流派プリサイ・ディリのクラブチーム。SEAゲームにも出ているマレーシアA代表選手の相手が務まる格ではありませんでした。さすがにインドネシアですから無様に転がされるようなことはなく、流儀もきれいです。でも、点差は相当大きかったですね。やはり国体代表クラスでないと、マレーシアA代表と「いい試合」は厳しいのでしょう。
今大会の試合部門は全30種目(国際8、国内16、ジュニア6)、準決勝の数は60試合。アリーナが2つあるので、30試合行えば本日の試合は終了です。昨日までの半分以下。おかげで17時には全部終わりました。初めてのまとまった自由時間です。折角なので、公立モスクでマグリブの礼拝をしようと思い立ちました。聞けばホテルから徒歩10分程度とのこと。携帯も地図もなしで少々不安ではありますが、この道をまっすぐ行って右、という道案内を受け、出かけます。
マグリブ20分前ほどに着いたのですが、人がいない。集まってくる気配もなく、だんだん不安になってきました。さらに、帰路を考えて不安が増します。明るい時間帯ですら、あんなに渡るのが大変だった道路を、日没後の夜、きちんと帰れるのだろうか…モスクまでの道すがら、つくづくマレーシアは歩くようにできていないんだと実感しました。車がないと超大変。携帯(スマホ)がないとタクシーもつかまらない。参ったなあ…アザーンが聞こえたらジュマアせずに礼拝し、さっさと帰ろうか、とまで思いました。帰りの夜道の徒歩、それも5車線道路を渡ることを考えたら、マグリブしないで帰った方が無難なのではないか、とも。
それでも遠くのモスクで多くの人と礼拝することには報酬があると言いますし、ここは本分を忘れず、きちんと待つことにしました。アザーンの後、大分人が集まってきて、賑やかになったのも心細さが解消された一因でしょう。車で移動してくるからか、アザーンの前にはモスクでスタンバイしている感じではないのですね。
そしてマグリブ礼拝を済ませモスクを出たら、当然真っ暗。急ぎ足で来た道を戻る途中、見覚えのあるバスを発見します。マレーシア国内組、某大学の遠征バスです。ダメ元で運転手さんに声をかけてみたところ、彼らの宿泊先は試合会場方面ではないとのこと。あーやっぱりダメかぁ、と思いましたが、試合会場のモールまで送ってあげるよ、と言ってくれました。アルハムドゥリラー…
大会最終日、cizmaも体重を測ってみました。4日で1キロ増えてるよ!!! 恐るべしマレーシア。
決勝戦もアリーナを2つ使用して行います。まずそれぞれで4試合を行い、その後表彰式。1時間ほどの小休止を挟んで、残りの決勝戦を実施しました。1つのアリーナで11試合、VIPゲーム1試合を残し、14時には一旦終了です。主賓を迎えてのVIP観覧決勝戦は15時に開始予定となりました。朝の予定では14時からVIP観覧決勝戦のはずだったのですが、押してます。最終的にVIPの到着が遅れ、VIP観覧試合が始まったのは15時半。試合が終わり、会場は表彰式の場となります。cizmaは飛行機の時間があるため、友人知人に挨拶を済ませ、一足先にホテルに戻りました。
ホテルを出たのは17時頃。早めについても空港で時間が潰せるかと思っていたのですが、これが大誤算。夜の到着だったので、内部がどの程度工事中かわかっていませんでした。売店一つ、中にありません。チェックインカウンターも2時間前にならないと開かない。空港の外に屋台が一つあったので、そこでご飯を食べて時間を潰します。カウンターが開いた頃、中に戻りチェックイン。ここで一悶着。
うっかりすっかり忘れてました、リコンファーム。cizmaの状況はリコンファームが必要だったそうで、ジャカルタ行の便がキャンセルされてるとのこと。マヂですか。それは困ります。本当に困る。チケット買い直しまで覚悟した。乗継の行先がジャカルタでよかった。日本行の便をミスったら、泣くに泣けないよ・・・・さすがにそこまでの長距離便を買いなおす財政はない。わりと涙目のcizmaに、カウンターの職員(おじさん)は「今、なんとかなるか考えてるから。ここでどうにかならなかったら、お前さんどうしようもないだろう」と、大分長いこと操作した末、予約を復活(?)させてくれました。「次からはリコンファーム忘れないようにな」って。アルハムドゥリラー
ジャカルタ滞在中は何をしていたかと言えば、後輩の練習を指導したり、用具を仕入れたり、墓参りしたり、師匠の弟弟子の家に遊びに行ったり、少し指導を受けたり、友人と会ったり、そんな感じ。マレーシアでのホテルと試合会場の空調24時間が効いたのか鼻水ズルズルだったので、わりとまったりのんびりとした2日半。
そして日本行便のチェックインに30分以上かかったのが、今回最後のトラブル。エコノミーは預入荷物は2つ、30キロまでです。手元にあるのは機内持ち込み可能なサイズのトランク15キロ、ボストンバック14キロ、トヤ1本。そう、3つある計算になるのでした。うっかりしてた。トヤは最後の最後にお土産でいただいたので、個数計算から外してしまっていたのです。ボストンバックとトヤは既にラップでぐるぐる巻き。カウンターの職員さん曰く、「3つはダメです」。職員さんは先輩に相談、掛け合ってはくれたのですが、×。トヤを置いてくかぁ。でも折角いただいたしなあ。3つ目を預ける超過料金は60USDうーん・・・8000円のトヤ…高いな(苦笑)
そこで5キロ分リュックに移動させ、トランク重量を持ち込み可能な10キロまで落とし、トヤとボストンを預ける解決策を採用。空港で荷物広げたの久しぶり。移動できるものを移し、再度計量。トランク重量、11キロちょっと。あちゃ、だめか。職員さんが気の毒そうな顔をする中、先輩から「11キロ…もういいよ。」とOKが。1キロオーバーのお目こぼしをいただきました。ホ。
そこへ登場したのが日本人職員、恐らく現場の最高責任者。ワタワタしてるのに気づいて様子の確認に来たのかもしれません。カウンターのお兄さんが事情を説明、cizmaもダメ元で「トヤはここでしか買えないスポーツ用品なんですよ」 ケンモホロロにNG出されることかと思いきや、「2つまでなんですよねえ。ああ・・・うーん・・・・例えばこのボストンバックにくくりつけられていれば、それは1つの荷物ですねえ」と。おお!!そんな手が!!! 「でも折れちゃいますかねえ…うーん…」
いや、ラタン(藤)だからそう簡単には折れないだろうし、11キロのトランクを持って搭乗するより、60USD払うよりよっぽどマシ!その案いただきです。まずは渋るラッピング係にボストンとトヤをまとめて包んでもらう。その後、リュックに移動させた5キロ分を4キロ分くらいトランクに戻す。これでなんとか預入荷物2つ30キロまでの条件をクリア〜 アルハムドゥリラー
トヤは折れることなく、無事、日本に到着しました。持っていくお土産や持ち帰るシラット道具・用品のことを考えなければ、1週間でも1か月でも機内持ち込みサイズのトランクで充分です。旅の途中で移動があると大きいトランクは取り回しが悪いし。でもこれからはできるだけ大きいトランクにしよう。それか、もっと大きいボストンバックを持参する。
さて、審判として学びの多い大会、つまりは反省点が多かった大会です。でもそれはいつものこと。同じことを次もまた繰り返さないように。学びと気づきを忘れないように。
国内や域内で経験を積む機会がないこと、自分自身が試合部門の選手出身ではないことから、試合部門のレフェリーを務めることになかなか自信が持てない。でも、気づけば審判仲間の中で年齢は若手から中堅に入りつつあります。審判資格取得年数を見ても若手と言うには少し、日が経ちすぎている。今回、先輩に言われた「きちんとできてる。あとは自信を持つことだ」との言葉と、最終日の決勝戦のレフェリーを一つ任されたことは、次のステップへの糧。いつまでも若手の下っ端審判として甘えているわけにはいきません。積極的にいかなくては。
もう一つ忘れないようにしたいのは、要所要所(?)で感じた救いの手。信仰篤い人であれば、日常的に感じることなんでしょうけれども。なんと言っても夜道を歩かずにすんだのは、アルハムドゥリラー以外のなにものでもない。手を差し伸べてくれた人たちに、アッラーの報奨がありますように。アーミーン。