- 実家@Malang滞在記 -

 2005年12月17日から2006年1月13日までインドネシアに行ってきました。前半2週間強はジャカルタでシラット修行、後半1週間チョイはマランで実家滞在w/海路郎さん、な日程。海路郎さんは5年ぶりの一時帰国、私にとっては結婚後初めての実家滞在ってことで、マランをメインに滞在記なんぞをば。

前半:ジャカルタ 2005年12月17日〜2006年1月4日
 12月17日 ジャカルタ到着
 12月18日 日本インドネシア格闘技フェスタ2005
 12月19,20日 @Cipayung
 12月21日 師匠ダウン
 12月23日 オフ会@CITOS
 12月26日 オフ会@Ica邸
 12月28日 病院へ
 12月31日/1月1日 年越し&元旦 w/チェモンさん
後半:マラン 2006年1月4〜13日
 1月5日 Malangへ
 1月6日 滞在初日
 1月7日 再び下痢
 1月9日 両替所にて
 1月10日 犠牲祭とてんやわんや
 1月11日 ハキカ
 1月12日 結婚記念写真撮影
 1月13日 帰国の途

前半:ジャカルタ 17th Dec. 2005 ~ 4th Jan. 2006

12月17日 ジャカルタ到着

 クリスマス気分の成田空港を16日(金)に出発し、KLIAにて一晩明かした後、17日(土)にジャカルタ到着。迎えに来てくれた友人とBintaro地区の師匠の家までタクシーでドライブ。1年半ぶりの師匠の家周辺に大きな変化はなかったけど、家の住人が増えてました。去年、ジョグジャに引っ越したはずの次女一家が同居してて、最低でも常時8人(うち高校生1名中学生1名幼稚園児2名)の賑やかさ。これに私が加わり、週末にはさらに人が増え、多い時には13名の人間が寝泊りしてました。実はこれに日帰り組が2名(長男一家)+3名(次男一家)居たりもして、そりゃーもう大騒ぎ。師匠の家は豪邸、ってわけではなく、普通のおうちなので、それこそ雑魚寝状態なんですが、ま、これぞインドネシア、ってなもんです。

クリスマスな成田。なぜかキティ。
成田空港

12月18日 日本インドネシア格闘技フェスタ2005

 Senayangで開催された"Festival Seni Beladiri Jepang - Indonesia 2005"を観て来ました。これは在インドネシア日本大使館が主催している日本文化紹介のイベントらしく、日本の格闘技を学ぶインドネシア人が日ごろの成果を披露してました。参加していた武術は少林寺拳法・柔術・空手・剣道・居合道・合気道。インドネシア側からはプンチャック・シラットがゲスト出演してて、私のお目当てはこれ。シラットのデモ・チームのリーダーはBandungの先生でした。それにしても、最初にこのイベントを観られてよかったです。練習へのモチベーションが一気に高まりましたよ。上手な人の演技を観ると自分も上手になりたくなるものです。

シラットのデモ・チーム
シラットのデモ・チーム

 今回の滞在ではかなり 「人と会う」 というイベントが発生していたのですが、既に初日で 大学同期(数年ぶり!)・在Bandungの先生・チェモンさん(4年越しの初めましてでした)・海路郎さん弟分(新婚さん) と一気に4人。

盛況な会場
盛況な会場

12月19,20日 @Cipayung

 数日前からJKTに滞在していたトルコ プンチャック・シラット協会の接待のご相伴に預かりました。どんな接待か、というと世界プンチャック・シラット連盟会長所有の別荘に招待(1泊した)、そこで練習、タマン・サファリ観光の3点セット。別荘というか、合宿所チックでしたけど。なんでご相伴に与ることになったか、というと、会長がトルコからのお客様を接待するにあたり、別荘での練習に師匠を呼び出したのですね。がしかし、師匠が別荘に行ってしまうと私はJKTで暇。そこで師匠は会長に「cizmaが日本からウチに来てるんです」と切り出したら、私も一緒に来ればいい、ってことになったのでした。そんなわけで急遽Cipayungへ。

別荘からの眺め
別荘からの眺め

 翌日はサファリまでangkotをチャーターしておでかけ。会長の車では乗り切れず、恐らく、会長は御年70過ぎにして初めてのangkot。エアコンないし、ちょっと気の毒でしたわ。

かば、餌待ちの図
かば、餌待ちの図

 普段無人(住み込みの世話人は居る)の別荘は、周辺の人に開放されてたりもします。夜は子供たちがnggaji(クルアーン読みの勉強)してたり、シラットの練習に使われたり・・・もちろん、使用するにあたっては会長に話しをするのが先ですけどね。

シラット練習中の近所の子供たち
シラット練習中

12月21日 師匠ダウン

 Cipayungから戻って、朝から調子がイマイチだった師匠。早朝稽古は通常より早めに終了し、奥さんにクロッキンしてもらうも復活せず、そのままダウン。翌22日は1日部屋から出られず、食事もできない状態でした。過労だったのかなぁ・・・

師匠クロッキン中
師匠クロッキン中

12月23日 オフ会@CITOS

 23日は「人と会う」 第二弾。Cilendak Town Squareで 初めましてのみのりさんと二度目ましてのりえさんとオフ会。楽しくて、あっという間の2時間でしたが、この夜からcizmaはものすごいことになってました。そう、下痢ですよ、下痢。すんごい下痢。もう、水。(食事中の方ごめんなさい)まー、そのうち落ち着くだろう、とDIAPET飲んでみたり、砂糖塩微温水飲んでみたりしたんですが・・・これがなんと5日間も続いたのでしたT_T 熱は24日に出ただけだったんだけど、どうにも下痢がね・・・CITOSで食べたサラダの海老を怪しいとにらんでいる今日この頃。茹でてあるんだと思ったんだけど、口に入れたらなんだか生チックだったのよね。

12月26日 オフ会@Ica邸

 「人と会う」第三弾。24日の予定だった約束を高熱と下痢でキャンセルし、26日に1年半ぶりのIcaさんと初めましてのAfiyahさんにお会いしました。15時には稽古の予定が入っていたので、滞在時間がものすごく短くなってしまったのが残念ですが、楽しい1時間半でした。もうちょっと長くおしゃべりしていたかったのですが、滞在のメインはシラット修行ですからね、師匠優先で失礼させていただきました。

 15時からの練習場所はTMIIの隣にある、プンチャック・シラットPadepokan。ホテル(一般客も利用可能)、試合会場ホール、屋外練習場などがまとめられた、プンチャック・シラットの武道館のような場所です。

ナショナルチーム練習中@屋外練習場
チームDKI練習中

12月28日 病院へ

 菌祭り会場(©もやしもん)には近づきたくなかったんだけど、下痢続きでサジダの体勢が痛くって。こりゃーあんまりだ、と観念した次第。27日に師匠の家まで遊びに来てくれたりえさんが「抗生物質は一発で効く」というので、インドネシア渡航10回目にして、とうとう病院送り。

お世話になった病院
お世話になった病院

処方された薬(白:抗生物質、銀・茶:下痢止め)
処方された薬

 下痢止めは便秘が怖くて、結局飲まなかった。抗生物質はメモ書きを読み間違え、1日2回1回1錠、を1日2回1回2錠、と倍のスピードで消費してしまうという大失態。肝臓に過度の負担をかけたのかと思うと、結構恐怖。体調不良にはなってないけど、急性肝炎を一度やっている身としては、帰国後要検査かな。でも下痢はほぼ一発で止まりました。

*おまけ:せっかくなので、国民健康保険海外療養費支給制度にトライしてみました。詳細はコチラ

12月31日/1月1日 年越し&元旦 w/チェモンさん

 なんと年越し&元旦はチェモンさんのおうちでインドネシアに居ながら、年越しそば&お雑煮! インドネシアで年越しそば&お雑煮、というのも嬉しかったけど、おしゃべりがなにより楽しかったです!次は海路郎さんとお邪魔しに行きますね〜

後半:マラン 5~13th Jan. 2006

1月5日 Malangへ

 2週間半のジャカルタ滞在・シラット修行も終わり、LionAirでスラバヤへ出発。JKTの国内線ターミナルは結構賑わってました。到着したスラバヤの空港も賑やかでしたが、ジャカルタより中華系が多いように思えましたね。空港では携帯電話が大活躍し、なんとか迎えに来ていた義弟と先に到着していた海路郎さんと合流できました。二人とも国際線出口で待ってるんだもの。ジャカルタからの便は国内線だっつーの。

ジャカルタ国内線ターミナル
ジャカルタ国内線ターミナル

 空港からは3時間弱のドライブ。Malangが近づくに連れて、空気が少し冷たく、そしてキレイになっていったような気がします。(帰路はその逆で気分が悪かった・・・) 海路郎さんの家は国道沿いの入り口から入り、田んぼの中を通る道をしばらく歩いた先の集落にあります。家に着くと、5年ぶりの息子との対面でお母さん号泣。そして夜はさっそくドリアン祭り。

集落への入り口。手前が国道。
集落への入り口

集落へ続く道
家へ続く道

1月6日 滞在初日

 cizmaはヨメですが、滞在は1週間だし、勝手がわからないので完全に「客」です。炊事洗濯掃除、基本的な家事はぜーんぶお任せ。なんて楽チンなんでしょぅぅぅぅ。

朝からマッサージ中
マッサージ中

 午前中はのんびりと過ごし、午後は金曜礼拝から戻った海路郎さんと義弟と甥の4人でAlun2までおでかけです。海路郎さんは両替がしたかったのですが、金曜は銀行が半ドンってことで断念。結局両替は月曜までお預けでした。実際には土曜も両替所は開いていたらしいんですけどね・・・

 ところで、今回の滞在目的は3つありました。
 1:婚姻手続きの完了 2:民族衣装で結婚記念写真撮影 3:ハキカ

 婚姻手続きの完了というのは、手続きの完了、というか、自分たちの婚姻のインドネシア国内での法的有効性を確認したかったのです。KMII発行のAkad Nikah証明書・区役所発行の婚姻届受理証明書・区役所発行の婚姻届受理証明書英語版にKBRIの印鑑が押してあるもの・戸籍謄本を、お父さんが知り合いのKUAのお役人に見せたら、これで全部OKでインドネシア国内でする手続きはなにもない、と言われました。インドネシア国内でも法的に全て有効なんだとか。移住する、とかいう話になったらビザ申請の際にBukuNikahがどう、とか問題になる(ちゃんとしたBukuNikahは持っていないので)かもしれませんが(婚姻とビザは管轄官庁が違う)、海路郎さんのKK(インドネシアの住民票)は「既婚」になってるし、KUAのお役人がそういうなら、これ以上なにをすればいいんだ、ってことで、婚姻に関しては、さくっと終わってしまいました。再度のAkadNikahやjutaanの賄賂をある程度覚悟していたので、拍子抜け、というか、本当にこれで大丈夫なのか逆に不安になってみたり・・・

 民族衣装で記念写真は結局、12日に撮りました。白無垢での写真は結婚した年に撮りましたが、インドネシアチックな衣装はインドネシアじゃないとね。インドネシアから無事にアルバムが郵送されてくるのか、ちょっと不安だけど、まだ結婚衣装が似合ううちに撮れた、と思う。満足。

 イスラームでは子供が生まれたらヤギの犠牲を捧げるのですが(これをハキカ、と言います)、なんだかんだと物入りな行事のため、海路郎さんの兄弟は誰もハキカしてません。幸い、2005年は会社の景気がよかったらしく、海路郎さん・義弟・義妹・甥・私のハキカができる程度のボーナスをいただきました。これで滞在中にハキカだ!ヤギを買うぞ!!

1月7日 再び下痢

 疲労が原因でしょうか、7日から再び下痢になってしまいました・・・お母さんお手製の黄色いJamu(インドネシア伝統漢方薬)飲んだりもしましたが即効性はなく、下痢にはこの薬だ、と叔母が言うimodiumを義弟が薬局で買ってきてくれました。でも、この薬、結局なんだったのか未だに不明。多分下痢止めだと思うのだけど。抗生物質だったのかなぁ?薬にはHarusDenganResepDoktor(医師の処方箋によって使用)とあるけれど、当然そんなものはなし。さすがインドネシア。

下痢止め?
下痢止め薬

 実は、翌8日には海路郎さんがダウン。そんなわけで、土日は潰れましたとさ。1週間しかない滞在のうち2日を下痢で潰した私たちって一体T_T

 ちなみに、imodiumは「最強の下痢止めの薬でこれ飲むと1粒で下痢が止まってその後しばらく便秘になる」ような代物だと、Kelapaさんに教えていただきました。1日1粒で2回しか飲みませんでしたが、確かに若干便秘気味に・・・

1月9日 両替所にて

 本調子ではない海路郎さんの代わりに、cizmaがKepanjenまで両替に行くことになりました。ついでに結婚衣装写真のお店を予約&下見です。義弟の運転する二輪の後ろに乗って30分ほどでKepanjenに着きます。

 結婚衣装写真はwedding organizerという看板を掲げるお店を、義弟の友人が探して来てくれました。結婚式に関わること全般を取り仕切ってくれるお店のようです。お店に着くと、留守番のお兄さんが「母が全て仕切っているので自分ではなにもわからない(=見積もりも出せない、衣装サンプルもわからん)。母は先日手術したばかりで、自宅に戻ってくるのは11日だ。11日なら撮影ができるから、11日でいいか。」と。・・・病み上がりの人が帰宅した日に仕事できるのか?と多いに疑問に思いつつも、13日が帰国日なので、とりあえず11日の昼、ということで話を決めました。どんな服を着るか、というのはもうお任せです。今回の滞在目的の一番のメインに目処がついたので、ちょっと安心。

 次は両替です。先に入れ、というのでバイクを停める義弟を待たずに両替所に入るcizma。しばらくしたら義弟も入ってきました。で、義弟が席を外したときの両替所のお姉さん(仮にSitiさん)とのやりとり。

 Siti「帰国したばかり?」
 cizma「はい。」
 Siti「新しいお札にはこのシール(1万円札の偽造防止シールのこと)がついてるから、(帰国したばかりなのが)わかるわ。」
 Siti「ところで、さっきの男の人は誰?」
 cizma「弟。ダンナの弟。」
 Siti「あ、そうなの。てっきりtukang ojek(バイクタクシーの運転手)かと思ったわ。女性が1人で両替に来た上に、tukang ojekが中まで入ってくるなんて危ないと思ってたのよ。こういうところ(両替所)には兄弟と来るのが一番安心よ。」
 cizma「そうですねー。」
 Siti「契約は2年?」

 ・・・どうやら出稼ぎ帰り、もしくは一時帰国中のインドネシア人と思われてます。

 cizma「最初は1年、延長して2年だけど、日本は合計で3年しかビザがでないの。」
 Siti「へぇ。香港や台湾は最初は2年よね〜。」

 お姉さん、あまり洞察力はないようです(苦笑) こちとら日本人だっつーの。こんな顔が平べったいインドネシア人居ませんって。なんだかな〜と思いつつも、つつがなく両替を済ませ、帰宅しました。

 ところで、海路郎さんも私も、ハキカの犠牲に捧げたヤギは生肉で近所に配るものだと思っていたのですが、なんと、料理して振舞うんですって。というわけで人を招待したり、料理したり、諸々諸々準備が必要なことに遅まきながら気づき、てんやわんや。材料を慌てて買出し、しかも招待の日付も二転三転。帰宅した時点では11日に昼に写真撮影、12日にハキカ、だったのですが、まず、写真屋から電話があり、母は11日に帰宅して休んでから出ないと仕事ができないので、撮影を12日してくれ、とのこと。そらーそうでしょうとも。で、11日がOffになり、12日は昼に写真撮影、夜にハキカ。それがしばらくしたらなぜか、ハキカは11日の夜に移動。まーいいけどね、滞在中にハキカできれば11日でも12日でも。1日に二つイベントない方が楽だし。そして、最終的に11日の夜にハキカ、12日の朝に写真撮影、となりました。(写真屋から再度連絡があり、13時の予定が10時になったのです。)

1月10日 犠牲祭とてんやわんや

 さて、この日はイスラームの二大行事の一つ、イードゥル・アドハ(犠牲祭)です。私にとっては初めてのイスラーム圏でのイスラーム行事。でもあんまり賑やかじゃなかったなーもっとお祭り騒ぎなのかと思ってたけど、近所のモスクに行って礼拝して終わり。知り合いも居ないし、日本の方が楽しいかったかも??義務だから、と思って黙って座ってたけど、お説教もスピーカーの音が割れてて何を言っているかわからなかったしねぇ。

礼拝案内
礼拝案内

 イードゥル・アドハの礼拝の後、近所のお葬式にも行ってきました。これも初めての経験。近所の人が集まっているので、ついでに顔見せって感じでもありました。「おお、これが海路郎の日本人ヨメか」ってなもんです。

 帰宅したら、ハキカ用のヤギが届き、さらに、パサールでの買出しも終わり、80人分のお弁当と40人分のご飯の下準備が始まりました。料理はなにも手伝えないので(イモを剥くのはやった)、持帰り用お菓子入れボックスを黙々と組み立て(80個中45個作った)、クルプックのビニール袋詰め作業をお手伝い。結果、いつも22時くらいに寝ていたのが0時を回ってました。

ヤギその1
ヤギその1

台所は戦場
台所は戦場

お皿の山
お皿の山

お菓子を入れる箱
お菓子を入れる箱

1月11日 ハキカ

 夜の来客のために、朝一(7時くらい)にヤギさんは解体されました。やわらかくなるようにパパイヤの葉で包み、sateとgureiになりました。 *解体経過をご覧になりたい方はコチラ

ヤギ肉
ヤギ肉

 ヤギの解体を見届け、義弟と海路郎さんと3人でAlun2までお土産の買出しに。会社用のお土産は小奇麗なのを買わないと、とスーパーまで遠征です。同じものは市場でも買えるはずなんだけど(値段も安い)、見た目がイマイチになってしまうことも多いので・・・
 また、この日は、Afiyahさん夫婦がはるばるsoedarjoから遊びに来てくれました。楽しい一時でしたわ。お客さんが来ている、ということで、てんやわんやからも解放されたし(ヨメ失格)

 夜にはお客さんが2回に分けて登場。家が狭いので、一度に来られても困るのです。

お客さん達
お客さん達

お持ち帰り弁当。おかずの下にはご飯。
お持ち帰り弁当。おかずの下にはご飯。

お菓子箱。お弁当とセットでお持ち帰り。
お菓子箱。お弁当とセットでお持ち帰り。

1月12日 結婚記念写真撮影

 帰国を翌日に控え、12日は最大のイベント、写真撮影です。約束は10時だったのですが、お店に着いたのは10時半くらいだったかな。郷に入っては郷に従え、でゴム時間。よくないですね(苦笑)

 女将さんは病み上がりとは思えないほどチャキチャキとしていて、さくさくとcizmaのメイクを整えていきます。眉は剃られるわ、付け睫毛は付けられるわ、顔の皮膚の厚さは確実に+1センチ、でどんどん誰だかわからなくなります。結論としては、日本人がインドネシア風メイクをばっちりすると、基本的にデヴィ夫人になるんだ、と思っていただければ・・・・。ジャワ風衣装・クバヤ系2点、で計3種類の衣装で、写真は1着何ポーズ撮ったのかなぁ。全部でアルバム1冊ほどはあるかも。そうそう、カメラマンが使っていたのはなんとNIKONの一眼レフデジカメでしたよ。結構ハイテク(?)でびっくりしましたわ。

 写真の出来上がりは4日後、ということで、義弟が取りに行くことになってます。日本に送ってくれるはずですが、果たしてcizmaはアルバムを無事に手にすることができるんでしょうか・・・・???

1月13日 帰国の途

 滞在期間が1週間って短いです。あっという間に帰国日ですよ。行きと同じくangkotをチャーターして、ほぼ家族総出で空港まで3時間のドライブ。それにしても、渋滞を見越して早めに家を出て正解でした。渋滞にもひっかかったし、空港でもFISKAL手続きに意外と手間取り、チェックインカウンターでも結構時間を取られましたから。1時間前とかに着いてたら、家族と別れを惜しむ時間が取れなくなるところでした。5年ぶりの再会に号泣したお母さんは、当然ながら、別れにも顔がくしゃくしゃT_T 次に会えるのはいつなのかなぁ。そういえば、cizmaの両親にも4年会ってないぞ・・・いい加減、腹括って会いに行かないとダメかしら。ダメよねぇ・・・(嘆息)

PROSEDUR BEBAS FISKAL
BEBAS FISKAL

満月
満月

 空の上では日付が変わって、14日。窓の外にはキレイな満月が見えました。特に大きなトラブルもなく、二人揃って風邪を引きつつも無事に帰国できたことに感謝。