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- 第27回東南アジア総合競技大会"SEA GAMES" + インドネシア -
2013年12月2日から22日までミャンマーで開催された第27回東南アジア総合競技大会(通称:SEA GAMES)のプンチャック・シラットの部に審判として参加しました。プンチャック・シラットの部は12月9日からオフ日を2回挟んで15日までの7日間(実質5日)に渡って熱戦が繰り広げられました。国の威信をかけるってこういうことなんだな、と実感した大会でもありました。そんな大会てんやわんやをメインに旅行記をば。
第27回東南アジア総合競技大会"SEA GAMES"Pencak Silatの部 概要
(1)大会について
(2)大会参加国
(3)大会日程
(4)競技種目
(5)競技結果
大会こぼれ話・裏話&ミャンマー前にインドネシア
11月23日(土):まずはインドネシアへ
11月24日(日)-25日(月):ジャカルタ滞在1
11月26日(火)-12月1日(日):Garut滞在
観光1
観光2
観光3
シラット
12月2日(月)-4日(水):ジャカルタ滞在2
12月5日(木):ネピトーへ
12月6日(金):ネピトー1日目
12月7日(土):ネピトー2日目
12月8日(日):実質オフ日
12月9日(月):大会初日
12月10日(火):大会2日目
12月11日(水):開会式でオフ
12月12日(木):試合再開
12月13日(金):演武決勝
12月14日(土):一日オフ
12月15日(日):決勝てんやわんや
12月16日(月):さよならミャンマー
12月17日(火):成田着と後日談
第27回東南アジア総合競技大会"SEA GAMES"Pencak Silatの部(9~15th Dec. 2013)概要
2年に1回開催される東南アジア総合競技大会、cizmaの参加は2回目です。概要説明は前回の旅行記の焼き直し。大会への参加資格を有するのは「ASEAN諸国11ヶ国」です。この大会はアジア地域で最も歴史のあるアジアオリンピック委員会公認の地域大会だったりもします。東南アジア諸国によるオリンピックですが、オリンピックでメダル争いに基本的に絡まない国が多いので、ここぞとばかりに各国メダルを狙ってきます。正直、怖いです。ここでの結果が国での予算取りとかに直結するから仕方ないんですけどね。1959年に第1回大会が、そしてその後は2年に1回開催され、今回で第27回。プンチャック・シラットは第14回の1987年ジャカルタ大会から正式種目として採用されています。その他詳しくはwiki先生にでも聞いてくださいw
開催国となるのが44年ぶりのミャンマーは、意気込みが違いました。会場施設は新品。ホテルも新品。民主的選挙を終え、ここが国際舞台での正念場、とでも言わんばかりの気合の入れようです。
ASEAN全11ヶ国のうち、カンボジアと東ティモールを除く9ヶ国が参加 : インドネシア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、タイ、フィリピン、ラオス、ミャンマー
規定されている全部門を開催していないために参加選手が少なく、基本的に夜はフリー、という日程表。でも開催地のネピドーはなんもない・・・いや、正確にはモールとかあったようですが、町外れの大会会場に近いホテルをあてがわれた審判団にとっては町の中心地ははるかに遠く、ホテル周辺にはなにもなく、することない!初めてホテルのジムとか使っちゃいましたよ。
基本的な行動パターンは・・・
6:30- 朝食
8:30 試合会場集合
9:00-11:00 午前の部開始(予定)
昼食
14:00-16:00 午後の部開始(予定)
ホテルと会場は車で悪路を走って15分程度、渋滞も信号もないのでスイスイです。そのため、昼食のために毎回ホテルに戻りました。
日付 | イベント |
8(日) | 選手登録 / メディカルチェック / 体重測定 テクニカルミーティング・組合抽選 |
9(月) | 開会式、試合部門1回戦 |
10(火) | 試合部門2回戦 |
11(水) | 大会開会式のため、休み |
12(木) | 試合部門3回戦 |
13(金) | 試合部門準決勝、演武部門決勝 |
14(土) | 決勝に備えて中休み |
15(日) | 試合部門決勝、閉会式 |
プンチャック・シラットの試合には大きく分けて、体重別の階級で打ち合う試合部門と規定の型を競う演武部門とがある。今 大会では以下のクラス/型でそれぞれの技が競われた。
1.男子試合部門(Tanding) Aクラス - 45kg以上50kg未満 Bクラス - 50kg以上55kg未満 Cクラス - 55kg以上60kg未満 Dクラス - 60kg以上65kg未満 Eクラス - 65kg以上70kg未満 Fクラス - 70kg以上75kg未満 Gクラス - 75kg以上80kg未満 Hクラス - 80kg以上85kg未満 |
2.女子試合部門(Tanding) Cクラス - 55kg以上60kg未満 Fクラス - 70kg以上75kg未満 |
3.男子演武部門(Seni) Tunggal (ソロ) Ganda (ダブルス) Regu (3人チーム) |
4.女子演武部門(Seni) Tunggal (ソロ) Ganda (ダブルス) |
MVPがどこの誰にもたらされたのかはわかりませんが、恐らくは開催国のミャンマーでしょう。最多金メダル獲得国はインドネシア。ただし、豪語していた目標数には遠く及ばず。全15の金メダルのうち8つを取る(インタビューによっては10と回答)、としていたのが、結局は4つ止まり。cizmaは最低でも金6つと予想したのに、悪い方に外れました。とはいえ、演武部門の金5+試合部門の金1で合計6、という予想をしていたので、ある意味では当てました。なぜなら、インドネシアは演武部門の5カテゴリーに対し3つしかエントリーしていないから、演武部門の金3+試合部門の金1で合計4、なのです。(参加した)演武部門全取り+試合で一勝、という計算式は合ってた、というオチ。
それにしても、44年ぶりのミャンマーに気を使ったと思われる選手エントリーです。インドネシアは出れば確実に金が見込めるGandaを連れてきていないんですから。しかもベトナムもそれを見越したかのようで、逆にGanda"しか"連れてきていない。なんなんだろうなあ、この政治臭。
通常よりもエントリー選手が少ないので、試合場は一面のみ。今までになく審判席から「観戦」できた大会です。でもあまりメモは取っていないので、結果はSEAゲームズのHPより転載。
部門 | 種目 | 結果 |
男子試合 | Aクラス | ミャンマー vs インドネシア *ミャンマー優勝 |
Bクラス | ベトナム vs タイ *タイ優勝 |
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Cクラス | ミャンマー vs インドネシア *インドネシア優勝 |
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Dクラス | ミャンマー vs マレーシア *ミャンマー優勝 |
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Eクラス | マレーシア vs ベトナム *シンガポール優勝 |
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Fクラス | シンガポール vs ベトナム *シンガポール優勝 |
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Gクラス | ベトナム vs ミャンマー *ベトナム優勝 |
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Hクラス | インドネシア vs ベトナム *ベトナム優勝 |
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女子試合 | ||
Cクラス | インドネシア vs タイ *タイ優勝 |
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Fクラス | ベトナム vs インドネシア *ベトナム優勝 |
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男子演武 | Tunggal | 1. インドネシア 2. ミャンマー 3. タイ |
Ganda | 1. ミャンマー 2. ベトナム 3. シンガポール | |
Regu | 1. インドネシア 2. ミャンマー 3. ブルネイ | |
女子演武 | Tunggal | 1. インドネシア 2. タイ 3. ミャンマー |
Ganda | 1. マレーシア 2. ベトナム 3. ミャンマー |
大会こぼれ話・裏話
twilogを見返しながらの大会こぼれ話とミャンマーに行く前に立ち寄ったインドネシア滞在記。インドネシア部分は、端折りつつ、まとめつつ。
SEAゲームズプンチャック・シラットの部に参加する審判の到着指定日は12月5日です。せっかく近く(?)まで行くのだから、インドネシアにも寄ろう、ということで3週間の長旅を計画し、その初日。帰国日には即出社なので、時間ロスなく、かつ、疲労をあまり溜めない形でのミャンマーから日本への移動、となると選択肢が直行便を飛ばしているANAしかありません。ANAといえば、あしかけ2年に渡り一品たりとも変更のないムスリムミール…しかもカレーが不味い。ムスリムミールを頼むことにこだわりはないのですが、ここまでくると頼まないのもつまらない。
さて、提供されたムスリムミールはぱっと見たところなにも変化がありません。唯一、「ハラール」を宣言しているカードの発行元が変わっています。以前は製造元のROYALが出していたカードですが、MHCTになっています。これはもしかして、メインディッシュの蓋を開けたら中身が違うかも!?
相変わらずのムスリムミール=カレーであることに辟易はしますが、カレーが不味い、という最悪の状態からは進歩しました。次は和食でのムスリムミールをお願いしますよ、ANAさん!
インドネシア滞在は約10日、うち1週間程度を西ジャワGarutで過ごす予定です。その前後にジャカルタの師匠宅に滞在します。日曜はジャカルタ在住の友人と過ごし、ぽっかりと空いた月曜はプンチャック・シラットの一流派であるプリサイ・ディリの学生選手権へ。大会会場が師匠宅からすぐ(バイクで15分かからない)だったので、思いつきで行ってきました。
見学観戦のつもりで行ったのですが、大会の審判団を仕切るボスが、以前同じ審判講習を受けた仲間でした。「あ、cizma、これはいいところへ、人手が足りないんだよ、審判団に交じってよ」となんかこう、あっさりと要請されました。いいのかなあ、と思いつつもSEAゲームズ前の慣らし運転にはちょうどいいですし、偶然、演武部門もある日だったので、言われるがままに飛び入りで審判団に参加します。結局、昼前から夕方、一度師匠宅に戻って夜の部までのほぼ一日、審判やってました。大会はまだ数日続きますが、cizmaは明日から別の町に移動するので、飛び入りは今日だけ。
当初予定では、11月30日と12月1日にバンドゥンで開催されるシラットフェスを見学するはずでした。しかし、出発1週間前になって、当該イベントの日程が1週間延期になった、との連絡が入ります。さすがインドネシアw でも新開催日の12月7日はすでにミャンマーに居るので、フェスを見ることはできません。それならば、3日間Garut+3日間バンドゥンに居る予定の滞在計画からバンドゥン部分を削り、1週間ずーっとGarutに居ることに方針転換です。
Garut…噂に聞く西ジャワの景勝地。いや、地元の人間が絶賛しているだけなので、インドネシア的にどういうポジションの場所なのかはよく知りませんが、静かで涼しくて過ごしやすかったのは確かです。そして、初めての「スンダエリア」長期滞在。なんか海路郎さんの実家(マラン)で交わされる会話のジャワ語率よりも、ここで交わされる会話のスンダ語率が高い印象を受けます。インドネシア語があまり混ざらないのは、それだけGarutが田舎ということなのか?いやー、スンダ語わからん・・・
そして、師匠のお宅でいただくご飯がスンダ系だということに遅ればせながら気づきました。ジャカルタに住む師匠宅メニューとの違いは、中華系ベースの料理が出ないところでしょうか。思えば師匠もブタウィだけどスンダルーツ(バンテン)の人だったのでした。
Garut滞在中にいくつか観光ポイントに連れて行ってくれました。何度インドネシアに来ても、基本的に師匠宅引きこもりなので、こういう観光は新鮮です。
まずは近場から。3か月前に湧いたという奇跡の湯。…来るときは脳梗塞の後遺症で半身不随だったおじいさんが、このお湯を飲んで浴びた後、帰りは自分の足でピンシャンと帰宅したとかなんとかそんな話がいっぱい。マヂか。もちろん、地震と火山のあるインドネシアですから、温泉は他所でも湧いています。ここが珍しいのは「山から遠い」からなんだそうです。あと、噴出口(?)は一つなのに注ぎ口からは3つの異なる温度で出てくるんだとか。なんかよくわかりませんが、温泉が体にいいのは古今東西疑いのないところ。また、飲用に向いていると行政が検査結果を出しているので、地元の人だけでなく結構遠くからも、飲み水として汲みに来る人も多いようです。
写真を見ればわかるように、この奇跡の湯は田んぼの脇に湧いています。そして、ここで湯あみをする人たちは、ただ単に沐浴するだけではなく、石鹸を使って体を洗ってるんですよね…そして当然、インドネシアですから排水は垂れ流しなわけで…田んぼの脇でいいのかなあ、これ。稲に悪影響ないのかしら。誰も気にしないんだろうな。
ちょっと足を延ばして(車で30分くらい?) Candi Cangkuangまで、大人8人、赤ん坊1人、子供15人の大所帯でグループ旅行。ボロブドゥールやプランバナンのような派手さはないものの、湖の中にある島に立つかわいらしい寺院遺跡でした。寺院遺跡の隣にはイスラムの聖人らしき人のお墓もあり、言ってみれば昔からパワースポット扱いだったではのかと思われます。そういえば、奇跡の湯の近くにもイスラムの聖人のお墓がありました。イスラムの聖人、という言い方が正しいのかどうかよくわかりませんが…
遺跡、と書きましたが敷地内の資料館の説明によれば、1966年に遺構を発見、調査の末に70年代に復元作業とあります。つまり、どうやら完全な「復元」遺跡。元々の石材とかがどの程度残っていて、どの程度使われているのかは不明です。資料館には復元作業の写真はありましたが、元々の石材や発掘されたものが展示されているわけではなかったですし。展示されていたのは、古いクルアーンなど。お墓の人がマドラサでも開いていたんでしょうかね。それにしても、誰も興味を示していない資料館が気の毒になりました。課外授業で来ていると思われる学生さんの一団も、cizmaと同行していた大人も子供も誰一人として資料館には見向きもしなかった。古いクルアーンとか結構面白かったんだけどな。そんな資料館でも記帳表に日本人の名前を見つけてびっくりです。
そういえば入口でアンケートを求められたんだった。正確にはアンケートへのサイン。質問項目への回答は勝手にやるから、名前だけ書いてって。どうも観光部門の公務員っぽかったのですが、そんな白紙委任はアンケートとは言わないでしょー 面白いからサインしたけど、どんなことに使われているのやら。
実はここ、目的の寺院へたどり着くまでに、ものすごい大回りをさせられます。島は平らではなく、小高い山というか丘のような構造をしています。まずは入場券を買った入口から、船で島に到着。これは致し方ありませんが、その次、島に上陸してからが長い。おそらく観光名所としての開発当初は上陸ポイントからすぐに寺院に向かえたことが、使われていない通路やチケット売り場の位置からうかがえます。それが今は、ぐるっと麓をまわりながらでないとたどり着けないのです。なぜか?たぶん、お土産屋さんなどを回らせるためだと思います。商店街一つ分くらいは歩いてからやっと、遺跡の入口の端っこに着きます。そこから階段を登って遺跡を中心とした公園のような場所に入れる、という仕組み。ルートはこれしかないので、当然、帰りにも再びお土産屋さんを見ながら戻ることになります。
さらに足を延ばして、車で1時間ちょっとの山にある温泉へ。またしても大所帯で前回よりも人数が多いので、女性2名(cizma+1)以外は荷台でGO!
急斜面を登って登って登って、 着いた先は硫黄臭漂う湖。水は若干暖かい。奥に進むとこの湖の源泉から出るお湯で湯あみができる、というので、森林浴のためにあるような道を歩くこと20分…工事中でした。この一帯を新たな観光名所とするべく、一大プロジェクトで開発中のようで、以前は粗末な建物だった湯あみ場を改築している最中でした。
この辺り一帯は広く温泉が出るそうで、湖で昼食を食べた後、隣接する温泉に向かいます。隣接する、というよりは山のこっち側と向こう側、といった方が正しいのかな?この、向こう側で人を集めているTasikmalayaに負けじ、と行政エリアの異なる湖周辺が一大開発プロジェクトになっているようです。どちらも森林浴のためにあるような道を歩いてたどり着くことに変わりはないんですけどね。Tasikmalay側には宿泊施設もあり、長期湯治ができるようになっていました。
Garutはプンチャック・シラットの一流派であるPanglipurの本拠地です。娯楽の少なかった昔は、村のみんなが集まってはシラットをしていた、と言います。Garut滞在中の日曜日、日頃の練習成果の披露を兼ね、さらには生演奏付で、近隣のいくつかの教室による合同練習会が開催されました。会にはちょうどバンドゥンに滞在していたオランダからのお客さんやPanglipur会長も招待され、練習会というよりは発表会のようでした。
Garutから戻るとジャカルタは暑い。1週間前に飛行機を降りたときは、9月に比べて涼しいな、と思ったものなのに、寒暖の皮膚感覚というのは相対的なものらしく、涼しいGarutで1週間過ごしたらジャカルタが酷暑にしか感じられなくなっていました。涼しかったり暑かったり、遊んだり移動したりが重なって、ちょっと体調が嫌な感じです。SEAゲームズのミャンマーが旅の本番だというのに、ヤバい。
風邪を追い出すには汗をかいて栄養つけて休養すること。風邪というか疲労な気もしますが…とりあえずお稽古して汗を流し、ドーピングしつつ栄養をとり、寝た。お稽古して昼寝してお稽古して寝た。そんなジャカルタ滞在。
ヤクルトお姉さんを呼び止めたのは、ジョイとかタフマンがあったらいいなぁ、と思ったからです。でもさすがにヤクルトしか売ってなかった…効き目があったのかなかったのかよくわからないけれど、ジャカルタで体調がそう悪化することもなく、ミャンマー行の日を迎えられました。移動中は休息時間だと思えば、これは1日寝てるのと同じはず。これで治す、復活するぞーーーっ
明日の6日には審判の事前講習会があるので、本日12月5日のうちにネピトー入りしなければなりません。日本で手配できるジャカルタ>ネピトールートをああでもないこうでもないと検討した結果、TigerAirを使ってシンガポール経由でヤンゴンに飛び、ヤンゴンからネピトーへの移動はSEAゲームズ事務局に一任、ということになりました。ジャカルタから飛行機でヤンゴンあるいはネピトーに行く航空会社はいくつかあったのですが、乗換時間や片道で買えること、あと当然価格面でも最も条件がよかったのがTigerAirだったのです。国際空港のあるヤンゴンから試合会場のネピトーへは、陸路で6~8時間、とガイドブック等に記載があります。また、SEAゲームズ開催中はヤンゴン<>ネピトーを臨時チャーター便が飛ぶことになっている、とSEAゲームズのホームページにありました。個人ではこのチャーター便の手配はできないようでしたが、ヤンゴンからネピトーへの移動は「国内移動」なので、SEAゲームズ事務局が責任を持つ範囲です。ヤンゴンにたどり着ければなんとかなるでしょう。
不安だったのはビザ。SEAゲームズ事務局の説明によれば、大会関係者(選手・スタッフ・審判などなど)はミャンマーにノービザで入国できる、ということです。でも、cizmaのパスポートはASEAN諸国発行のものではありません。しかも、先にミャンマー入りしたインドネシア人の友人から「ビザを取得していないせいでジャカルタでの出国時にもめた」とも聞きました。そのようなトラブルを回避するためには「ミャンマー文字」による招待状が必要だ、とも教えてくれました。しかし、この情報をもらった時にはすでにインドネシア滞在中。ミャンマー側のプンチャック・シラット担当者に連絡をしてみましたが、「英文の招待状で大丈夫」との返事しか来ません。本当かなぁ…念のため、大会概要(ノービザ出入国の文言)、PERSILATによる審判任命書(英文)、ミャンマープンチャック・シラット協会発行の招待状(英文)、審判としてのIDカードの写真(IDカード用の写真ではなくIDカードそのもの) を日本で印刷して持参していますが、大丈夫かしら。
TigerAirはシンガポールでの乗換です。そして、ジャカルタからシンガポールへの出国は問題なくできました。シンガポールからヤンゴンへの搭乗券はシンガポールの乗換カウンターで受け取るように、との指示です。シンガポールでの待ち時間は3時間あるので、ちゃちゃっと搭乗券を受け取り、空港外で友人と会いたいところ。
なのに、ここで落とし穴。まず、5時間以上の乗換時間がないと外に出してもらえない。これは完全なリサーチ不足なので仕方ない…がっかりしながら乗換カウンターでヤンゴン行の搭乗券を受け取ろうとしたところ、ここで詰まった。前述の書類を全部見せても「上司に相談する」と待たされ…待たされ…お腹空いた…まだ待つの…と2回ほど催促しながら待たされること1時間近く、やっと搭乗券をもらえました。シンガポール空港はPCやwifiが完備されているので、時間を潰すのに苦労する空港ではありませんが、「待つ」という行為はジリジリします。朝の5時に軽く食べたきり、機内ではなにも頼まなかったので、13時のこの段階では空腹もMAXで、結構イライラしました。まあでも、無事に搭乗券をもらえたので良しとします。
ヤンゴンに着いたのは夕方17時、予定時刻より若干遅れました。こじんまりとした空港ですが、きれいです。ありがたいことに一目で大会関係者とわかるスタッフが到着エリア内まで迎えに来てくれていたため、スムーズに入国することができました。そのままスタッフに連れられて空港に隣接する建物に案内されます。どうやらこの建物は大会関係者の一時待機所として機能しているようです。さて、ここから空路でヤンゴンなのか、あるいは陸路なのか…
ハイエースに案内されたので、陸路移動決定。この車で6時間の長旅かとゲンナリしましたが、これはバスターミナルまでの送迎バスでした。日が暮れてきたのでよくわからなかったのですが、近くに大きなパコダのある長距離バスの集まるターミナルまで連れて行ってくれました。そこで大型の長距離バスに乗り換えです。この時点で実は体調が大分悪くなってました。東南アジアのこういうバスは絶対にエアコンの設定温度がおかしなことになっています。そんなバスに6時間も無防備に乗ってしまっては寝込むの必至。手持ちしていた鞄から防寒になりそうなものを引っ張り出し、靴下も二重にして乗り込みます。夜行バスだったので毛布の支給があったのも幸いし、なんとか寒さをしのげました。それでも、体調の悪さは隠せず、自分の唸り声で目覚めること数度。隣に座っていた付き添いの大会スタッフには悪いことをしました。夕食のために停まったサービスエリアで薬を買ってもらいましたが、そんな即効性があるわけでもなく。食欲があるのと熱は出てないのが救い。
長距離バスが走るヤンゴンとネピトーを結ぶ道路は国一番の幹線道路だと思うのですが、いやはや…悪路です。大型バスであれだけ揺れを感じるのでは、小型車ではいかばかりか。しかも暗い。街灯皆無。周囲にも明かりなし。町や村の明かりが遠くに見える、ということもなく、ただひたすらに暗い。長距離バスは元々のランプ以外に、もっと広い範囲を照らせる照明をつけてるものが多かったように思います。確かに、車のランプだけでは視界不良と言っても差し支えない暗さでした。
18時に空港を出て、長距離バスに乗り換えたのが19時過ぎ、途中SAでの食事休憩を挟みながら、高速道路を降りたのが23時過ぎ。ここで初めて、なにやら「明るい場所」が遠くに見えます。これがネピトーでした。この明かりが見えてから30分ほどで、ネピトーのバスターミナルに到着しました。ここで長距離バスを降り、大会事務局が用意したハイエースに乗り換えです。ホテルに着いたのは日付も替わった0時過ぎでした。ジャカルタを出てから何時間移動していたのか…うーん、遠い!!!
到着したのが夜中だったので、ホテルの周辺がどのようになっているか全くわかりませんでした。滞在しているうちに、ここが「ホテルエリア」に分類されていること、町の中心からは相当離れていること(車で30分以上)、試合会場には近いこと(車で20分程度)がわかってきました。が、それは追々わかることで、審判講習に出発する前の空き時間にホテルの周辺を見た印象としては「なにもない!」車もほとんど全く通らないし、ホテルも一部フロアは工事中、というソフトオープン状態。
審判講習は試合会場の会議室で行われます。試合会場となるスポーツ施設エリアはやたらに立派。そこはかとなく残念感がなくはないですが、幹線道路が真っ暗闇な国です。この施設を用意し、大会を開催することに大変な労力と資力(たぶん中国からの借金)を注ぎ込んだことが容易に想像されます。それにしても、施設は相当、町はずれにあります。しかも、そこに至るまでの道が舗装されているにもかかわらず、酔い止めが必要となりそうなくらいの悪路。さらに、車窓から垣間見えるホテルではない建物や畑、集落の様子が、単純に言ってしまえばやはり貧しく、一体どんな人が大会を観戦に来るのだろう、と思わずにはいられません。スタジアムからホテルまでのムービー
この日の審判講習は、午前と午後に渡ってルールブックのおさらい。おさらい、というか新ルールの周知。実は、2012年にルール改訂が行われ、2013年からこの改訂版、言ってみれば新ルールに基づいて大会が開催されています。そして、この新ルールは2012年11月に行われた世界大会前審判講習でも周知されましたが、どうやら2013年に入り、実際に運用していく中でいくつかの不都合が生じ、それを解消するべく、さらなる「新バージョン」が策定されていたようです。。新バージョンが完成したのは8月だそうですが…今はもう12月。策定から4か月も経った審判講習に来るまで新バージョンの存在すら知らされていないってどういうことなんでしょうか。伝書鳩や船便、早馬の時代じゃあるまいし。別段、このようなことは今に始まったことではないので驚きはしないけれど、オリンピック云々の前にやるべきことが(以下略)
今日の審判講習は実技です。実技といっても試合を裁くとか、採点をするのではなく、デジタル採点機の使い方のおさらい。予定では午前が座学続きで、午後が採点機実践、となっています。しかし、午前の座学が終わるころに問題発生。この日、すでに現地入りしている選手団は国ごとに割り当てられた時間に、実際の試合会場(=審判講習実施場所)とは別の場所で試合用マットレスを使っての練習が行われることになっていました。それがなにがどうしてそうなったのかはわかりませんが、実際の試合会場、つまりは審判が採点機を使う実技をする予定の場所での練習に変更になったのです。審判と選手だったら、選手が優先です。採点機の実技は夜に行われることになりました。
夜の実技は特に問題なく終わりました。問題があったのは、会場設営の方です。試合用のマットレスには立ち合い線や場内を示すための円を書かなくてはなりませんが、明後日第一試合があるというのに、この夜の時点で未完成。一応、午前中に行われたプンチャック・シラットの部開会式リハの後、ミャンマー側関係者が完成はさせたのです。が、驚くことに円の直径を間違えている…試合の中では場外は減点対象になりますし、攻撃が有効な得点となるかどうか、に場外・場内というのは大きくかかわってきます。そんな重要な円の位置が間違っていてはお話になりません。
やり直し!!!は当然として、ここで問題が。円を作るための白いテープの長さが足りない。こんななにもないネピトーの外れでは、そう簡単にテープが手に入るとは思えません。採点機を管理するITチーム曰く、採点機とモニターを結ぶケーブルの本数が足りず、追加を頼んだらそれが届くのに3日かかったとか。どうもヤンゴンから運んできたらしい、とのこと。さすがにそこまで待たされては第一試合に間に合いません。なんとかするんでしょうけど、2日前で会場が未完成ってのもすごい話。
明日に第一試合を控え、今日は組合せ抽選の日です。組合せ抽選に参加するのは審判団のお偉方だけなので、cizmaはオフ。ホテルの周りを散策することにしました。新しい道なので、ジャカルタよりよっぽど歩きやすいのは事実です。歩道はきちんと整備されてますし、車が少ないので排気ガスに悩まされることもありません。 でも、なにもない・・・これは大通りを歩いるだけでは、面白いことには出会えなそう。
歩道がなくなったのをきっかけに横道に入り込んでみました。なんかあっちの交番から視線を感じるけど…まあ、大丈夫…だといいな。この時になって、自分があまりにもフラッとホテルから出てきたことに気づきました。実はジムで練習をする前にちょっと散策、のつもりでいたので、財布も身分証も持っていないという事実をすっかり忘れていたのです。言葉の通じない、しかも基本軍事政権の国で財布はともかく、身分証を置いて外を出歩くとか、油断しすぎ。幸い、職務質問されることはありませんでしたが、緊張しました。
そして大通りから逸れて横道に入ると、今までの道路が嘘のように全ての道が未舗装。表というか、外から見える部分だけきれいにしている町なんですね。ホテルエリアと会場周辺にはまるで生活の気配もしませんが、この未舗装の道のどこかに生活している人に会えそうな予感がします。
勘は当たってました。大通りに向かう人が出てきた方向を見ると、細い道と集落らしきものが見えます。村発見!!な気分で近づくと、小さな市場のある集落でした。野菜や肉、魚、そして日用品を売っています。ホテルのビュッフェには並ばない料理がここにある食材で作られているのでしょう。その方がおいしそうだなぁ。
ホテルと会場の往復ではよくわからなかったけれど、ネピトーにもちゃんと人が生活しているんだ、と感じられました。人がいることがわかると、町の景色も違って見えます。
夜には審判団と各国のチームマネージャとコーチを招待して、歓迎夕食会がセッティングされています。会場は町の中心部にある、関係者が運営するホテルです。途中、チームマネージャーとコーチをピックアップするために、バスが選手団が宿泊するホテルに立ち寄りましたが、こちらのホテルはcizmaの滞在先に比べてなんだか活気がありました。やっぱり、選手が、つまりは若者は若いというだけでエネルギーがあるんでしょうか。審判団のホテルにはプンチャック・シラット以外の審判も滞在していますが、やはり審判ですから、全体的に平均年齢が高いのです。落ち着いているといえば聞こえはいいけれど、若者のような活気はないw
歓迎夕食会ではそれぞれに記念品が配られました。ミャンマーは宝石の特産地らしく、宝石片で作った絵などがその中身。しかししかし。cizmaのトランクは明らかに重量オーバーしています。とても持ち帰れる気がしません。
出発前からインドネシアでシラット演武用道着とその付属品を6着持ち帰ることが決まっていました。それを計算に入れ、インドネシアで人に渡すお土産を除いた荷物の重さが13キロ。1着1キロとして、20キロ弱。ANAの制限は23キロなので、ミャンマーでお土産(記念品)を渡されたとしてもなんとか収まるだろう、との計算です。誤算だったのは、Garutで大量のお土産を預けられたこと。Tシャツが15枚。うひょー。預かり物を入れて、Garutでいただいたお土産を一部師匠に譲り(お土産を下さった方も「入らなかったら師匠にあげてくれていい」と了承済み)、トランクは25キロ。TigerAirは25キロまでの契約ですが、これは帰りがヤバい。トランク以外にも手持ち用の鞄を用意してはありますが、手持ち鞄だって10キロが限界です。しかも、手持ち鞄もこの時点ですでに7キロ。うん、無理。
昨日の審判講習で運営側からお土産として、スタッフと同じジャージの上下と襟付きTシャツがお土産として渡されています。また、新ルールのハードコピーもあります。トランクに入っているものを2キロ減らして手持ち鞄に移し、ジャージを入れて…ああ、これは記念品を持ち帰るのはムリゲーってもんでしょう。こういう記念品は飾ってナンボですが、飾る場所もないしね。結局、記念品は夕食会に参加していないITチームの友人に譲りました。譲ったというか、押し付けた、というのが正確なところかもしれません。ごめん。
プンチャック・シラットの部が、いよいよ本日、開会です。ミャンマーが開催国と決まった時には、プンチャック・シラットが種目採用されるのか、採用されたとしてどの部門が競われるのか、など関係者は全てが決まるまで大変だったことでしょう。蓋を開けてみれば、女子は2つしか実施されるクラスがないとはいえ、男女ともに試合部門を開催、また、実施が危ぶまれた演武部門もチーム女子を除く5カテゴリーが開催されるという結果になりました。ちなみに、演武部門にチーム女子カテゴリーがないのは、開催国のミャンマーにそのカテゴリーの選手(チーム)がいないからです。また、女子試合部門の実施クラスが少ないのも、ミャンマーに選手がいないから。こういう理由でいろいろと決まっていくものなんですね。
そして、演武部門にはさらなる政治的圧力がかかっているのか、インドネシアとベトナムが住み分けているという…もちろん、真相はわかりません。インドネシアのダブルス演武が不参加なのには致し方ない理由がある、と聞きました。男子は選手の親族がコーチだったために、常にダメだしをされる親族ではない方の選手がブチ切れて逃げ出した、とか。女子は妊婦さんになった、とか。補欠いないのかな、と思わないでもない理由ではあります。ベトナムがなぜソロとチームを連れてきていないのかは聞きませんでしたが、予算的な問題があったのかもしれません。いずれにせよ、こんな住み分けが発生しているようでは、演武部門の結果に対し、政治性を疑われても仕方がないと思います。それを防ぐための「中立審判」としてcizmaとインド人審判が招聘されている、と言いますが、審判に「中立」とかいう形容詞をつける時点で何かが根本的に間違っているとしか思えません。つけざるを得ないのは納得ではあるんですが、オリンピック云々いう前に(以下略)
開会式ではミャンマーが次回以降のSEAゲームズにおいて競技採用を目指すバントーが披露されました。ちなみに前回のSEAゲームズからはベトナム発祥のボビナムが採用されています。タイからはムエタイ、インドネシアからはプンチャック・シラット、ベトナムからはボビナム…この調子で一ヶ国一つの格闘競技を採用していくんでしょうか?
本日の試合は午前4試合、午後が7試合…の予定でしたが、午後は6試合になりました。なんと、昨日の組合せ抽選がある階級でやり直しになったからです。
聞けば、某国チームがオリンピック委員会に提出した参加選手名簿と、オリンピック委員会が大会事務局に提出した参加選手名簿が異なっていたとのこと。オリンピック委員会がどうやら「実績のない(メダルが見込めない)選手である」と判断し、名簿から2名の選手を削除して提出、しかもそれを某国シラット協会側に通知していなかったとか。昨日の組合せ抽選は、大会事務局が把握している参加選手名簿=オリンピック委員会が提出した参加者名簿を元に行われています。しかし、オリンピック委員会の独断による削除を某国チームは承服できません。さらに、この2名の選手は試合部門と演武部門のWエントリーだったために、ミャンマーに「居る」のです。「現地入りしているんだから出場させてくれ」と協議がもたれ、この2名が参加するクラスの他国の了承が得られたため、組合せ抽選のやり直しとなったのです。そのため、本日開催される予定だった試合が一つ減った、という次第。この減った一つは2名のうちの1名が参加するクラスだったんですね。
なにごとも臨機応変にいかないとやってられません。
さて、今大会は競技場が1面で、審判は15名、一回の試合に必要な審判は6名(審判1、採点審判5)。試合場に入る審判は対戦カードや審判の経験値などを総合的に判断して決められます。この日は11試合あったうち、3試合で採点審判を務めました。回数としては他の審判と比べて少なくもなく、多くもなく。しかし、最後の3試合目で大失敗。ミャンマー対ベトナムの試合だったのですが、他の採点審判とのバランスを欠いた採点内容を出してしまったのです。最終的な勝者(得点)は他の審判同様の結果になりましたが、途中経過の採点がよくなかった。もちろん、意図的に肩入れしたわけではありません。と、いくらそう言ったところで、まあ、数字だけを見ればベトナム寄り、と判断される内容だったのは確かです。
結果、試合後の反省会では全体的な反省点のほかに、唯一名指しで指摘され、さらにホテルに戻ってからも個別に注意されるという有様。あーあ・・・凹む。
大会2日目、本日は午前6試合、午後9試合の全15試合。昨日の失態があるので、ベトナム戦には今後、使われないだろうな…と思いきや、任命された本日最初の試合はインドネシア対ベトナム。インドネシアとベトナム、というハイレベルな採点眼が要求される試合を採点する任務をいただいた、ということは、スキルに大きく疑問符をつけられたわけではないようです。ベトナムへの肩入れ疑惑も特にもたれていないのでしょう。
なんて思っていたら、全てのミャンマー戦から外されてたw ミャンマー側から「あいつをミャンマー戦に使うな(あいつがいると負けるから)」という申し入れがあったようです。申し入れがあったことを上層部から直接に言われたわけではありませんが、ここまで露骨に外されれば、意図的に任命されていないのは誰でもわかる。そして、cizmaを使えない試合が増えたものだから、もう一人の中立審判、インド人審判にしわ寄せがいき、彼はほとんどフル回転。cizmaは15試合のうち4試合で採点を担当しましたが、彼は10試合近くやっていたんじゃないかな。スキルアップのためには沢山任命される方がありがたいのですが、こればっかりは立候補制ではなく任命制なのでどうしようもありません。
自分のミスが招いた結果ですが、少々釈然としないのも事実。審判が「中立」だというのなら、審判をえり好みするような申し入れを飲む必要はないのではないか。cizmaの身の安全等を確保するために申し入れを飲んだのであれば、正直に伝えてほしかった、という気持ちがあります。スキルの問題であればそれをきちんと言ってほしいし、連盟として審判のレベルを維持向上するための仕組みを作ってほしい、と思います。地元で大会や試合がない地域の審判はどうしても、実技面でのスキルアップにハンデがある。それをカバーしたくて、毎年大枚はたいてヨーロッパまで行っていますが、どうしたって東南アジア地域の審判とは差が出ます。数をこなすことでしか身につかないものってありますからね。
SEAゲームズが正式に開会するのが今日、そして今夜は盛大な開会式が開催されるはずです。審判団はこの開会式への招待状をいただいているのですが・・・誰も行きません。開会式に興味がないわけではありませんが、19時からの開会式なのに、保安上の理由から13時には会場に居なければいけない、という無茶苦茶なタイムスケジュールでは、行く気が失せます。しかも、思ったよりもここネピトーは日が暮れてから寒い。体調が持ち直してきている今、ぶり返すリスクは冒したくない。
しかし、こんな町はずれで一日オフでもすることがありません。そこで、ミャンマー人審判が今日のためのレクリエーションを考えてくれました。午前はナショナルパーク観光、午後はショッピング、です。ナショナルパークは既に経験済みのインドネシア人曰く「小さいタマンミニ」だそうです。うーん、午前中はホテルでのんびりして、午後のショッピングだけ同行しよう。
ショッピングセンターはSEAゲームズ関係者で賑わっていました。SEAゲームズが終わったら、誰がこういうところで買い物をするのだろう?日曜に見つけたような小さな市場で買い物をする人の方が圧倒的に人数が多いだろうに。
三食お世話になっているホテルのビュッフェに勤めるマネージャー格のスタッフは月給が100ドルだと聞きました。見てるとシフト制でもなんでもなく常に同じ顔ぶれで、宿泊していた10日ほどの間、誰かが休んだようにも見えません。従業員宿舎のような場所に住んでいるそうですが、休みなく働いて月に大体100,000キャン。マネージャーポジションですが、高給とは言い難い額なのではないかと思います。家族もいるでしょうしね。
ショッピングセンターに入っていた洒落たカフェではカフェラテが3,300キャン。市場で売っていたサロンが3,500キャン。ショッピングセンターの顧客層に全く見当がつきません。
試合再開、午前4試合、午後8試合の計12試合。午後の試合の一部は準決勝です。その準決勝で最終日の決勝進出を決めたのは、ベトナム(3)、インドネシア(3)、ミャンマー(3)、マレーシア(2)、タイ(1)。明日も準決勝がありますから、最終的にどこの国が最も決勝進出選手が多いかは、今日の段階ではわかりません。
審判席で観戦していて思うのは、ベトナムが一時期のような化け物じみた強さを失ってきている、ということ。世界大会などでマレーシアがベトナムに勝てることが増えていたのは、マレーシアが強くなったのはもちろんですが、ベトナムも弱くなってきていたんですね。度重なるルール改正で、リズムをつかめないようにも見えました。インドネシアはスタミナなさすぎです。どんなにいい技や高度な技が身についていたとしても、スタミナ切れしては簡単に相手に足を掬われます。そんな場面がいくつもありました。ミャンマーは開催国の意地をかけ、前回大会から2年、徹底的に鍛えてきたのでしょう。試合スタイルはあまりシラットらしくはありませんが、きちんと得点を重ねて勝利しています。正直、マレーシアよりミャンマーの方が決勝進出選手が多いのは意外でした。あとはタイが地味に強くなってきています。
午前中は試合部門の準決勝を8試合実施しました。3試合で採点を担当しましたが、シンガポール対マレーシアで場外から名指しで野次られた…「ちゃんと見て採点しろ!なんだこの点数は!!」と。マレーシアに甘くした、あるいは、シンガポールに辛くしたつもりはないですし、最終勝者は他の審判と同じでシンガポールだったけれど、これでシンガポール戦からも外されるの決定だな。それにしても、野次られるのは気分のいいものではないです。チキンなので、泣きたくなるわー
午前の準決勝の結果、決勝進出は ベトナム(6)、インドネシア(5)、ミャンマー(3)、マレーシア(3)、タイ(2)、シンガポール(1) となりました。ベトナムが最多ですが、今大会の調子を見ていると全勝ということはなさそうです。
午後は演武部門の決勝。エントリーした選手の数が少なかったため、予選なしの即決勝です。どのカテゴリーにもミャンマーがエントリーしているので演武部門の採点からも外されるかと思いましたが、さすがにそれはなかった。でも、会場入りする前のミーティングで「日本とインドは”中立”審判として招聘している。そのことをよく肝に命じて今日の決勝に臨むように」と審判団の親分に、全員の前で言われました。他意はなく、本当にただそれだけなんでしょうけれど、こう、わざわざ言われると”中立”であることを信頼されていないのかと思いますね。非常に悔しい。自分たちで勝手に”中立”というラベル付をして呼んでおきながら、それはないだろう、と。中立性にもスキルにも疑義を呈されては立つ瀬がなく、泣けてきます…
5つあるカテゴリーのうち、ペア女子を除く4つで採点を担当しました。この中で印象に残ったのはラオスです。出来がよかったからではありません。ペア男子だけは出来がよかったのですが、それ以外は…見た目が明らかに年齢詐称です。SEAゲームズで行われるプンチャック・シラットはルールブックでいうところの「成人の部」であり、つまりは当該試合の行われる月に17歳以上かつ35歳未満であることが参加条件となります。それなのにラオスの選手たち、どうみてもローティーンなんですけど!本来であれば失格じゃないの、これ?という見た目の幼さ。当然、動作の正確性も動きの鋭さも他国の選手に比べれば一段も二段も劣ります。なんでエントリーの時点で失格にしなかったのか?書類上は17歳以上なのか?謎だ。組合せ抽選のやり直しといい、年齢未確認(?)といい、なんでもありなんだなぁ。
どんな大会でも決勝前の一日はオフ日なのが恒例です。なので、決勝を明日に控えた今日はオフ。決勝に進出した選手は決勝に備えて、試合が終わった選手たちはのんびりと観光とかをする日です。審判団はミャンマー人審判のエスコートで「市場」でのショッピングと翡翠博物館でのお土産探し、が今日のスケジュール。
最初に行った市場は本当に普通に”市場”でした。食料品から生鮮食品、日用品までなんでも揃う場所です。荷物の重量がどうにもならないレベルなので、布とかいい感じだったのですが我慢我慢。一応、お土産にお菓子を買ったのですが、初めてハラールマークの利便性を実感しました。売り子さんと言葉が通じず、字も読めない場所では便利なマークです。
市場は本当に活気があって、びっくりしました。ホテルと会場がそれだけ町はずれにあったのか、それともSEAゲームズがそれだけ一般生活とは切り離されたところで動いているのか。両方かな。結局、試合会場には動員以外の観客を見ることはありませんでしたし。
大通りを走るバスや乗合トラックはかなりの確率で日本車でしたが、市場に停まっているバイクはほとんどが中国産のようです。日本車は中古で入ってこられるけれど、中古バイクはなかなか国際的に流通するまでには至ってないようです。ちなみに、大会事務局が送迎に使っていたのは新車のハイエース(左ハンドル)と中古のハイエース(右ハンドル)。中古は明らかに日本から入ってきたハイエースです。なぜなら、エンジンがかかった瞬間に「ETCカードが挿入されていません」というアナウンスが…誰だ、ETC積んだまま輸出したのは(苦笑) VIP用の黒塗りもTOYOTAのカムリ。VIPがカムリとはちょっと役不足な気もしますが。それにしても、これらの新車はTOYOTAが提供したのかな?大会そのものに対する大口スポンサーは明らかにサムスンですが、日本企業もそれなりにお金を出しているようです。目にした範囲ではPanasonic、FUJIXEROX、konikaminolta canon だったかな。Panasonicはいい加減サムスンの向こうを張るのは無理がありそうだけれども、なんとミャンマーチームにチームウェアを提供するスポンサーにもなってました。サムスンのように旗を大量に掲げるメインスポンサーと、選手全員の肩にPanasonicのマークが躍るのと、どっちが宣伝効果があるんでしょうか。
インドネシア人に限らず、シラット関係で知り合う東南アジアの男性たちは大体が皆、石が大好きです。あれはなんでなのかな、要はパワーストーンってことなんだと思いますが、どういうルーツと経過でああなったのか。まあ、とにかく皆さん、どこそこで買った、もらった、譲ってもらった、などの話に暇なく、年配になればなるほど、そのままグーパンチしたらナックルつけてるのと一緒、みたいな状態だったりします。どこそこ産の石がいいとか、石の見方も心得ている人が多く、しかし、興味のないcizmaにはちんぷんかんぷん。なので、翡翠博物館を楽しんだのは主に男性審判たちでした。どうやら産地だけあって、ミャンマーで買うと安いらしい。
半日かけた買い物観光を終え、遅めの昼食をホテルで取って、午後は休息の時間。明日の決勝で長かった旅も終盤です。
泣いても笑っても今日が最後。勝てば金メダル、負ければ銀メダル、な10試合が実施されます。演武部門の金5つはインドネシア3、ミャンマー1、マレーシア1、となっています。インドネシアは5人の決勝進出選手全員が勝てば目標の8つに届きますが、それはあり得ないでしょう。ミャンマーとマレーシアはそれぞれ3人が決勝まで進んでいます。全員が勝てば金メダル最多国の可能性がゼロではありません。ベトナムは演武での金こそないものの、決勝に進出した6人が全員勝てば文句なしで金メダル最多国。全勝はないでしょうけれど、大きく星を落とさなければ金メダル最多国の可能性は高い。
試合開始15分前に選手は計量をしなければいけません。が、昨日はオフ。そして電気機器の電源を抜いてあったようです…そう、体重計のバッテリーが切れましたw どうすんの。 決勝にかかわる国がそれぞれに体重計を持ち寄り、これを使え、いや、それはうちのと違う数値が出る、と始まる前からてんやわんや。結局、例外的に計量はせず、万が一引き分けになって体重によって勝敗を決めなければならない事態に陥った場合は体重計を一つ選んで測定する、ということになりました。
引き続きミャンマー戦は干され、予想通りシンガポール戦からも外されたので、採点したのは2試合のみ。インド人審判は5試合担当したので、結構な差がついたかな。でも、この「ミャンマー戦外し」が自分にとっては”吉”だった、と今となっては思います。なりふり構わない開催国って怖いわぁw
ここからは試合を審判席から見ながら携帯に残したメモを見ながら。
1.ベトナムの勝利。
特にメモがないので、普通の試合だったのかな。あ、そういえばこのインドネシア選手は去年の世界大会でわけのわからないもめ方をして、自分から金メダルを棒に振った子だ。
2.ベトナムの勝利。
ミャンマー選手の試合ということで、会場にいたボランティアとかスタッフとかが大盛り上がり。2年前のジャカルタでも決勝戦での盛り上がりはすごかったのを思い出す。
3.シンガポールの勝利。
なんと、開始直前に停電。試合する気になっていた選手には気の毒だけれども、停電中は採点機が使えないので一時中断。この辺はデジタルの弱点だ。そんなに待たずに電源復旧したから一安心。
4.ベトナムの勝利。
これは採点で入りましたが、インドネシア選手が気の毒だった。彼女は2年前だったか、なにかの大会の後、帰りの便を待つ空港で偶然会ったとき「もう引退して大学に専念する。何度やってもベトナムに勝てないんだもの。」と言っていた。それでも選手を続け、代表に選ばれているということは、国内で勝っているということ。チームの中では年齢が高いベテランさんだから、いい感じにお姉さんポジションを務めているように見える。先のインドネシア選手が負けているので、ここで勝ってチームに勢いをつけたいところだろう。今までになく互角に、それどころか珍しく少し優勢に試合を進めていた。
それが、(確か)最終ラウンドで受け身に失敗したようで、肩を痛めた。たぶん、脱臼している。何度となくコーチを見るけれど、棄権していい、という合図はでない。無気力な技を繰り出すものの、続けざるを得ないことを悟り、声を出して気合いを入れる。それでも、痛みに耐えきれないのだ、蹴りは出せるけれども突き技は出せないし、相手の体勢を崩すような技にはとても持ち込めない。何度となく自分に気合いを入れながら、そしてコーチに目で訴えながら、試合を続けるけれど、とうとう起き上がれなくなった。さすがにこの時点(試合時間残り1分)でコーチがタオルを投げ入れる。遅いよ。審判も途中で止めてカウントとればよかったのになぁ…起き上がれなくなり、タオルが入ったところで選手、号泣。そりゃそうだよ…
5.マレーシアの勝利。
ふと目を離した隙に試合が終わっていた。開始早々、ベトナム選手が着足(?)に失敗して足首を捩じって負傷、そのままTKO負け。
6.ミャンマーの勝利。
これはマレーシアで新聞ネタになった試合。こんな荒れる試合は滅多にみられるものじゃない。第1ラウンドから荒れ模様だった。マレーシア選手が「取った」と思った3点が無効になる、というのが2,3回続いたのが第1ラウンド。そんな釈然としない気分のまま突入した第2ラウンドで、マレーシア選手の蹴りがミャンマー選手の微妙なエリアに入った。
入ったというか触った? ルール上、蹴っていいのは首から下、へそから上。この時の蹴りは首というか、プロテクターの際に入ったように見えたけれど、マレーシア選手の反則ではないし、ミャンマー選手が体をかがめたことによる自爆、ともいえる。しかしここで驚くのは蹴りが入ったように見えた後に3秒くらい経ってから、ミャンマー選手がそれこそ「ドウ」と倒れたこと。ここで倒れて試合続行不可能、とドクターストップでも出れば勝てる、との計算が働いたと思われる。あんな倒れ方、コントでしか見たことがないw 幸い、ジャカルタ大会とは違って(<それもどうなんだ)、医療班はまっとうに「試合続行可能」との判断を出した。そのため、試合はそのまま続くことになる。
再開直後、ミャンマー選手がマレーシア選手を引き倒した。がしかし、倒し方が首を掴んで上から投げ落とすという反則技。審判がきちんと反則を取らなかったがために、マレーシア選手が切れた。ミャンマー選手をjatuhan(倒し技)した後、こっそり首を絞めてしっかりお返ししてたわ。ミャンマー選手は審判に首を絞められた、とアピールしてたけど、不問。これでオアイコ。そして、マレーシア選手に3点、と審判が判断したのに、採点審判と合議するように指導され、結局得点取り消し、とか荒れた状態のまま、総合得点はシーソーゲームで、それでもマレーシアが勝ちそうな気配だった。
それが最後の最後、残り30秒でミャンマー選手に3点が入る技を取られたのが致命傷になってしまった。文句の言えないきれいな決まり方。この3点で旗の色が変わり、30秒では逆転もできず、ミャンマーに金メダルがもたらされた。ミャンマーのシラット史上、初の試合部門の金メダルだ。
取り消された得点がすべて入っていれば、マレーシアの勝利だったと思う。それがわかっているからこそ、選手は悔しく納得がいかないのだ。彼があそこまで試合後に荒れているのは初めてみた。そして、この試合、いや、この大会ほど、コーチやチーム関係者が好き勝手に審判団や審判長に抗議する場面を見たことがない。
7.タイの勝利
採点に入ったので、メモがない…タイが強かったな、と。インドネシアも悪くはなかったような気がするけれど、それ以上にタイがよかった。
8.インドネシアの勝利
第6試合に似た雰囲気のシーソーゲーム。どっちが勝ってもいいけれど、インドネシアが一歩リードしている、という展開だった。そして、試合終了の合図とともに審判が進行を止めた。でも、止めた瞬間には既に始まっていたミャンマー選手の攻撃動作、蹴りはそのままの勢いでインドネシア選手を狙い、インドネシア選手は場外へ、そして蹴りは有効な攻撃と認められるような入り方はせず終わった。この一連の動きは試合終了”後”の出来事なので、当然採点対象ではなく、得点(蹴り)にも減点(場外逃げ)にもならない。がしかし、これに納得しないのがミャンマー側。インドネシア選手の減点を取るか、蹴りの採点を取れば、ミャンマーの勝利になるからだ。マレーシア戦以上に関係者が審判席に押しかけ押し寄せ、もうてんやわんや。結局、ルールに則って「判定不服」の手続きを取った。もちろん、一連の動きは試合終了”後”なので、判定不服の手続きを取ったところで勝敗の決定が覆るわけではないのだが、これが前代未聞の事態の幕開けだった。
9.タイの勝利
休憩室から戻ってみれば、すでに第2ラウンドの後半。そしてなぜか双方ともに総合得点がマイナス。どんな試合展開だったのやら。最終的にはプラスに転じていたけれど、こんなスコアみたことないw
10.ミャンマーの勝利
大騒ぎのまま終わった第8試合と同じカード(インドネシア対ミャンマー)、しかも開催国の最終試合。いやはや、外野のうるさいことうるさいこと。でも、結局はミャンマーの勝利で終了した。審判のストップが入った後に勢いが止まらずにミャンマー選手の蹴りがインドネシア選手にヒット。これでインドネシア選手が倒れこむものの、医療班は試合続行可能、との判断を示す。得点もミャンマーがリードしていたこと、場内の雰囲気の悪さなどから(おそらくは)このまま続けても勝てない、と判断したインドネシアのコーチがタオルを投げ入れ、試合終了。
こうして、決勝10試合が平穏無事とは言えないながらも、とりあえず表面的には終了し、審判は表彰式を見ることなくホテルに帰投します。cizmaがホテルに戻る第一弾のバスに乗れたのは幸いだった、と知るのはこのちょっと後の話です。
表彰式に関係がない審判たちは、この後の時間は完全にフリー。明日のチェックアウトに備えるにしても、まだ13時ですから、少しは外出したいところ。そこで、朝のうちに審判の一人が大会事務局と掛け合い、会場とホテルを往復していた送迎ハイエースを運転手つきで午後借用する約束を取り付けてくれていました。昼食を食べ、約束の15時にホテルロビーに集合しますが、この送迎ハイエースがいない。しかも、ご飯を食べて出かける準備をしている審判がいる一方で、今頃ホテルに戻ってきた審判も居るのです。
聞けば、なんとなんと、第8試合の結果を不服とするミャンマー側が表彰式で、この第8試合の金・銀メダルを授与しないという強硬手段に出た、と。授与しない、というか、メダルを保管場所から持ってこない、ということらしいです。しかも、判定を出した審判団に対し、便宜供与することを禁じたそうです。おかげで、その指令が出る前にホテルに戻った審判はともかく、第二陣のバスを待っていた審判には、バスが用意されなかったという。会場と宿舎の送迎は便宜供与じゃなくて、大会運営側の義務事項のはずですが…なんだかなぁ。送迎は義務だろう、という猛抗議で送迎が再開されるまで、1時間ほど会場で待ちぼうけだったようです。
大会事務局のバスが使えないので、ホテル付のタクシーを使うことにしたら、今度はタクシー運転手がいないというオチ。仕方がないので、ホテルの電話でタクシーを呼んでもらいました。ここまで来ると、出かけるのを中止しないのはただの意地です。ちなみに行先は昨日も行った「市場」。思いがけず日が暮れる時間帯に到着したので、昨日はなかったナイトマーケットを見ることができました。
cizmaの飛行機は16日22時ですが、16時発の飛行機に乗るインドネシア組と一緒にヤンゴンまで移動することになりました。翌日0時過ぎの飛行機に乗るシンガポール組と一緒に移動しては、日本行に乗り遅れそうですし、自分の便にちょうどいい時間帯に移動するとしたら、cizma一人のためだけに移動手段を手配してくれるとは思えなかったからです。
最初の予定では、ヤンゴンまでの移動は来る時と同じ陸路ですが、バスは大会事務局が手配した事務局のもの、ということでした。それが、結局、来るときと同じ公共交通の長距離バスでヤンゴンまで6時間の移動です。到着時は夜で真っ暗闇だった沿道の様子が、昼間の移動である今日、よく見えました。見渡す限りの畑畑…これは明かりがなくて道理です。
朝6時にホテルをハイエースで出発し、長距離バスターミナルで乗り換え、ヤンゴンの空港に着いたのは13時。チェックインまでの待ち時間は、空港の隣の大会関係者用待合室でつぶします。ちょっと市内観光に出てもよかったんですが、言葉がわからないのが億劫で、待合室に引きこもってしまいました。無料のドリンクスタンドや軽食スタンドで小腹を満たしつつ、読書したり昼寝したりでやっと16時。22時の飛行機のチェックインは20時までできないし、軽食スタンドのカップ麺だけでは体が持ちません。空港周辺で何か食べるしかないでしょう。空港内にはぱっと見た感じではカフェ的な軽食・喫茶しかありません。少し足を延ばして探したところ、空港の敷地外、道路の向かい側を少し歩いたところに食堂発見。これで機内食まで空腹を抱えずに済みます。
お腹いっぱいになって再び待合室で待つこと…3時間くらい?到着時に居たインドネシア組、マレーシア組、シンガポール組(選手)、ベトナム組、もう全て帰国便に乗り込み、もう残ってるのはcizmaだけ。やっと20時を回り、これで中に入れます。きれいだけれどもこじんまりとした空港は、売店も閉まり閑散としていました。それでも、電源はとれるし電波が弱めだけれどwifiもあるし、で搭乗時間まで問題なく過ごすことができました。
チェックインの際に、3つ並びのシートを占有できそうな座席を選んだのが、吉と出ました。予想どおり、隣に人が来なかったので、成田までの7時間を横になって過ごせます。明日、成田に到着して都内に戻り荷物を置いて、午後からは出勤の予定になっています。そのためには機内で横になって休めるのは非常にありがたい。ビジネスで移動する人には普通のことなんだろうけどなぁ…
3週間ぶりの日本は寒い!! ネピトーが思っていたよりも涼しい場所だったけれど、12月の日本とはくらべものにならない。移動と寒さで体調を崩さないようにしなければ…
プンチャック・シラットの部が終了したのは15日、大会の閉会式が行われたのは22日。そして、上級審判のFBへの書き込みによれば、この閉会式の後にやっと、判定不服で留め置かれていたメダルが授与されたそうです。一週間もの間、メダルだけ帰国できなかったんですね。メダルは判定どおりの色が届けられたようですが、今もって大会公式サイトにこの試合の結果は掲載されていません。記載されないまま、サイトがなくなりそうです。