- JKT70時間&初フィリピン -

 2019年3月31日&4月1日にジャカルタのおなじみパデポカンTMIIで開催された、世界プンチャック・シラットフェスティバルに招待されて参加してきました。参加というか観戦?渡航が確実に決まったのは出発4日前、支給チケットは帰路でトランジット13時間…

世界プンチャック・シラットフェスティバル概要
 (1)フェスについて
 (2)参加国
 (3)日程
 (4)競技種目
 (5)競技結果

大会こぼれ話・裏話
 3月29日(金):初PAL
 3月30日(土):だらだら
 3月31日(日):本番、そして親分登場
 4月1日(月):閉会式から空港へ
 4月2日(火):マニラ乗継13時間
 4月3日(水):帰国

世界プンチャック・シラットフェスティバル in ジャカルタ(31st March~1st April. 2019)概要

世界プンチャック・シラットフェスティバル in ジャカルタについて

 突然にアナウンスがあった世界プンチャック・シラットフェスティバル。本部からの正式な開催通知が届いたのは3月1日、フェスの実施は3月31日&4月1日。さすがです。

あ、察し…な告知
ポスター

大会参加チーム

 手元の演武スケジュールとメディア報道に基づいて作成。

 10Perguruan Khsus (8) : Persaudaraan Setia Hati、Persaudaraan Setia Hati Terate、Kelatnas Indonesia Perisai Diri、 PSN Perisai Putih、Tapak Suci Putera Muhammadiyah、Perpi Harimurti、PPS Putra Betawi、KPS Nusantara (IPSI設立当初からの中核的伝統流派)
 6Perguruan Besar (4) : Merpati Putih、Pagar Nusa、PB Persinas ASAD、PPS SMI (IPSI本部登録済の全国展開している伝統流派)
 10Perguruan Besar (9) : Pamur、Pencak Organisasi、Bangau Putih、Pajajaran Nasional、Al Azhar、 Tajimalera、Joko Tole、HPS Panglipur、Ciung Wanara (IPSI本部未登録の影響力の強い伝統流派)
 その他(不明) (1) : Gadjah Putih Mega Paksi Pusaka
 IPSI支部 (14) : IPSI Banten、IPSI DIY、IPSI DKI JKT、IPSI Gorontaro、IPSI Jawa Barat、IPSI Jawa Tengah、 IPSI Kalimantan Selatan、IPSI Kalimantan Tengah、IPSI Kalimantan Timur、IPSI Kepulauan Riau、 IPSI Papua、IPSI Riau、IPSI Sulawasi Tengah、IPSI Sumatera Barat
  インターナショナル (11)  : インド、マレーシア、フィリピン、シンガポール、スリナム、アメリカ、日本、ラオス、イタリア、タイ、ミャンマー

 *南カリマンタンは登録はあったものの、チームはいなかった。
 **インターナショナルのうち、選手派遣があったのはインド、マレーシア、フィリピン、シンガポール、スリナム、アメリカの6か国。日本は会長派遣。イタリアは在バリのシラット関係者。ラオスは一時帰国中のラオス代表チームコーチ。タイ及びミャンマーは不明。
 ***ジャカルタ・ポスト紙によれば398名が参加。南カリマンタンを含めて男子40チーム、女子28チームがスケジュールには掲載されているので、単純計算では選手136名となる。

大会日程

日付 イベント
30(土) 選手登録・組み合わせ抽選
31(日) フェス初日、開会式
1(月) フェス最終日、閉会式

競技種目

 フェスティバルとして実施される競技には、ソロ、ペア、チームの3種目があるが、本フェスティバルで行われたのはペア競技のみ。持ち時間は3分で、音楽に合わせて技の豊富さ、習熟度、独自性などを披露する。

競技結果

 本フェスティバルでは1位2位といった明確な順位付けは行われず、「最優秀〜賞」といった名称で全チームが表彰されたようである。飛行機のスケジュールとの兼ね合いで閉会式(表彰式)に参加できなかったため、残念ながら詳細は不明。

フェスこぼれ話・裏話 & 10時間inマニラ

3月29日(金):初PAL

 今回の渡航は初めてのフィリピン航空利用です。支給航空券なので選択権もなにもなし。おかげで帰路に乗継時間が13時間という、自分だったら絶対に組まないスケジュールになっています。まあ、予算の関係で致し方ないのでしょう。後日聞いたところによれば、”普通の乗継時間”のチケットは値段がこのチケットの3倍だったそうです。そりゃぁ、13時間を買うわ。
 支給航空券ですが、ネットでチェックインとかができます。本当は事前に予約管理でムスリムミールも注文したかったのですが、フィリピン航空のシステム更新のタイミングと重なったためか、エラー。仕方ないのでウェブチェックインの後、電話でお願いしました。この時点で最初の便の出発まで24時間を切っていたため、もしかしたら難しいかな、と思いつつ。「確認します」とは言われたものの、最終的に「すべての便でムスリムミールを手配しました」との回答をいただきました。

 そんな状態で羽田でチェックイン。ここでビックリの機種変更のお知らせです。つまり、事前予約した席が変わる・・・隣がいない席を選んでたのになぁ。隣がいない通路側という希望を伝えたところ、”現時点で”隣がいない席を確保してくれました。念のため、ムスリムミールの件も確認します。ここで二つ目のビックリ、「全便、手配はありません」と。あれ?昨日、電話でお願いして「全便確保」と回答をいただいたはずなのですが。どうやら今日の担当は新人さんの様子。全体を統括しているチーフが出てきて画面を確認してくれました。どうも、画面上ではきちんと確保となっているようですが、新人さんがこういったケースに慣れていないためか、見落としていたようです。あー良かった。そして渡される搭乗券。ん・・・?1枚しかないぞ。確かにウェブチェックインしているので最終目的地のジャカルタまでの搭乗券があるといえばあるけれど、通常はカウンターで最後までの搭乗券がもらえるはず。これが3つ目のビックリ。どうもこちらも新人さんであったことが原因でした。全ページ印刷にしていなかったようです・・・おーい・・・これ、気づかなかったらマニラで詰んでたんじゃなかろうか。

 マニラ経由でジャカルタに行くと4時間+4時間という旅程になります。2,3時間の移動であれば「ちょっと長い移動」。6時間以上の移動であれば「寝る」。それが4時間だと、どうにも気分が中途半端。かといって機内ですることも特になく、うつらうつらとして1時間。機内食の時間になりました。起こされて見せられたメニューが「チキンorポーク」。あれぇ・・・???ムスリムミールを注文してあるはずなのだけど。もしかしてこれが噂のハラールポーク(そんなものは存在しません)。
 まあ、チキンでもいいのだけれども、せっかく頼んだムスリムミールの行く末が気になるので、「ムスリムミールを注文してある」と伝えました。結果、「これでしょうか」と見せられたのは、席番号も名前も違うムスリムミールのプレート。確かに、自動割り振りの席から数回変更しているので間違う可能性はあります。が、名前があまりにも違う。かすっているような気もしないでもないけれど、そんなミスを航空会社がするだろうか?と。結局、この聞き間違いにしてもひどすぎる名前のプレートがcizmaのムスリムミールでした。PALのビックリ4つ目。でも、ムスリムミールがグダグダだったのは行きのこの便だけで、他はいつも通りに「〇席のcizma様、ムスリムミールのご注文で間違いないでしょうか」って出発前に機内で確認してくれました。

KISWORO...お前は誰だ
MOML

 さて、到着したのは初のマニラ空港ターミナル2。ネットの事前情報によれば乗継デスクに行かねばなりません。「こちら乗継」の表示が大分見つけづらかったので、下調べしてなかったら失敗したかも。
 カウンターで乗り継ぎの確認をし、再びのセキュリティチェックを経て、ターミナル2の出発エリアに入りました。行きは2時間ないくらいですが、帰りはここで13時間・・・10時間はなんとかしなければいけません。そしてこちらもネットの事前情報どおり、長時間過ごすには不向きな場所だということがわかりました。なんというか、雰囲気が長距離バスの待合所のようです。スペースと利用人数のバランスが悪いのか、ガヤガヤした印象しかありません。なんか暗いし。帰りは外に出よう、うん。

 ゲート変更と滑走路で長時間待たされるというビックリはありましたが、無事にジャカルタに到着しました。送迎の人ともスマホのおかげで会えました。でもこれ、裏を返せばスマホがなければなかなか会えなかったということになります。キレイで明るい&言葉が通じるジャカルタのターミナル3とはいえ、午前1時に放り出されるのはさすがに困ります。wifiだけでは心もとないので、すぐに使える海外simは必須です。

 日付変わっての深夜到着だったため、あまりターミナル3を楽しむことはできませんでした。壁のデコレーションにはシラット(スマトラ)があったりしたのです。写真撮りたかった・・・でもそれよりも、早く宿について寝たかったので、スルー。

端っこに到着したらしい
端

 交通渋滞のない深夜帯、すいすいと30分でパデポカン(TMII) に到着。午前2時、もう寝る!!

3月30日(土):だらだら

 チェックイン時に朝食の提供は9時までと説明があったので、昼まで寝てるようなことはせずにがんばって起きました。っていうか起こされました。明け方、近くに雷が落ちたようでものすごい音がしたうえ、この影響で車の警告音(盗難防止アラーム)が響き渡り、心臓がバクバクして飛び起きた次第。宿舎の隣は割と大きめなモスクです。折しも今は熱い選挙の季節、駐車場に車爆弾でもあったのかと思いました…ドラマの見過ぎかもしれません。

 朝食、受付を済ませ、見知った顔に挨拶したり、モールに出かけたり、だらだらと過ごした1日。

半年ぶりの会場
パデポカン

鋭意設営中
準備中

演武順決定くじ作成中
抽選会

開会式リハーサル中
リハーサル

 当初発表では明日の午前中に予定されていた開会式は、実施が夜に変更となりました。VIPの都合かな。VIPの予定は日々変わるので、致し方なし。とはいえ、このイベントを「やる」と決めてから本番当日まで、あまり日がなかったと思います。それでも、相変わらずというか、さすがというか、なんとか形にしてしまうんですよねぇ。不可能を可能にする国、インドネシア。(可能が可能じゃない国、とも言える)

3月31日(日):本番、そして親分登場

 日曜の朝、パデポカンの敷地では、いくつかの流派の練習が行われていました。顔見知りに挨拶しながら、9時スタートの会場にスタンバイ。升席(?)に座っていたら、「ゲスト枠なんだから閲覧席の席を埋めてくれ」とVIPエリアに誘導されてしまいました。夜の開会式対応で席には名前が貼ってありますが、無視して好きなところに座っていいとのこと。ちなみに予定されているVIPは大統領候補ペアの他、ジャカルタ州知事、青年スポーツ大臣の名前がありました。本当に来るのかな・・・・?

KPSヌサンタラ、日朝子供クラス
日朝

警備は親分ガチ勢
警備

 フェス形式シラットの二人組演武は、競技シラットといくか違いがあります。まず、音楽が必須です。これはライブ音源(楽団は大会運営が手配。自分で連れてきてもよし)でも録音でも、どちらでも可。次に、競技シラットでは種類が限定されている武器が「なんでもあり」になります。なんでもあり、とは言っても一応そこは「シラットらしさ」を求めらります。しかし、どうやら武器選定による失格や減点はないようです。もちろん、減点がないからといって、例えば手裏剣を使って独自性を評価・加点されるかといえば疑問ではあります。そして衣装も競技シラットに比べて自由です。刺繍が入っていても、顔にペイントするなど地域独自色を出してもかまいません。こちらはインドネシアらしく、地域色を出すことで逆にユニークさに対する加点につながる要素になるようです。
 ただし、ここでも「エチケット」は求められるとのこと。例えば、カリマンタンからのあるチームはダヤックらしく”素肌にベスト風ジャケット+半ズボン”という衣装でした(下記写真右)。これに対するコメントは、「半ズボンはNGだ。素肌もあんなに見せてはいけない。カリマンタンの風俗を取り入れるのはよい点だが、シラットに対するリスペクトがもっとわかりやすくないとダメだ。地方の風俗をそのまま取り入れたら、パプアのチームはコテカでシラットをすることになるが、彼らはそうしてないだろう?(下記写真左上)」   

衣装も採点対象
衣装

 もう一つ、競技シラットとの大きな違いは演武時間です。競技シラット演武部門の場合、3分ジャストが求められ、過不足5秒を超過すると減点・失格となります。しかし、フェス形式シラットの2人演武の場合(恐らくソロ・チームも同様)、3分はあくまで目安になります。過不足30秒までは問題がないそうです。演武時間の過不足による減点・失格はないとのこと。ただし、3分を越えて披露された演武に対する採点は行われません。また、3分30秒を過ぎても演武の強制終了はないそうですが、音楽は止まります。
 そして、採点表を見せてもらえました。どうも独自性15点・技の習熟度30点・技の豊富さ30点・衣装25点の100点満点からの減点形式で、採点されているようです。機会があればフェス形式を採点する審判の講習を受けてみたいものです。フェス形式と競技シラットの違い、住み分けに興味がわきました。

 さて、トップバッターはシンガポールチーム。これは前日の抽選の結果です。フェス形式シラットは今のところインドネシアでのみ盛んなため、結局のところ彼らが披露したのは競技シラット演武部門ペア種目、となりました。ただ、どのチームもcizmaの目から見ると「競技シラット演武部門ペア種目音楽付き」でした。ソロやチームであれば趣は変わるのでしょうが、残念ながら今回、音楽がある以外に競技シラットとの大きな違いを見出すことができませんでした。思い返してみるに、この感想は昨年のバンドゥンで抱いたのと、全く同じ。うーん…

 それなりに見ごたえも見どころもあったのですが、3時間ぶっ続けで威勢のいいクンダンを聞いていると、さすがに疲れます。午後の部はごめんなさいしてしまいました。

 さて、夕ご飯を食べてから開会式スタンバイです。親分を待っての開始のはずですが、聞くところでは17時の段階で東ジャワに居ます。開会式開始予定は18時…いや無理でしょ。時間通りに始まらないのが基本にしても、これは親分抜きでとりあえず始めるしかないのではないでしょうか。
 ちなみに大臣や知事は、恐らく開会式の時間が午前から夜に急遽変更されたために欠席となっていました。一応、知事からはお花が来てました。お花が来てる時点で「あ、本人は来られないんだな」ということがわかります。
 席が埋まるのを待ち(というか埋めて)、実行委員のトップが「プラボウォ氏は忙しい大統領選の間を縫って、この大会に来るのを楽しみにしている。次代を担う君たちのシラットを観に来る。しかし、国を担う大統領に立候補している彼は大変に多忙であり、今日も先ほどまで東ジャワで国民と対話していた。今、急いでこちらに向かっている。それでも残念ながら、開会式には間に合わないことが分かった。でもこれは、彼が君たち(=参加者)を軽視しているというわけではない!少し我慢して待ってもらいたい。ただ、到着時間が読めないのでテディPERSILAT事務局長がプラボウォPERSILAT会長の代打を務める形で、開会式を始める」とアナウンスしました。この時点で19時ちょっとすぎ。20時まで始まらないのかと思っていたので、思い切って代打を立てたことに正直驚きました。

 結局、親分は19時半くらいに到着し、挨拶と開会の合図(ゴングを鳴らす)には間に合いました。いくつか親分の気分でリハとは異なる進行がありました。まず、合図のゴングを鳴らす回数。リハーサルでは2回鳴らすことになっていましたが、親分は3回鳴らしました。2回鳴らしたら楽団が音楽を入れる、という手はずになっていましたので、ここはちょっとイレギュラー。なぜ1回ではなく、また、なぜ2回でもなかったのか。これは閉会式での事務局長スピーチで明かされることになります。
 次に予定と違ったのは、開会式のデモ演武を行ったチームが閲覧席に呼ばれたこと。デモ演武を行ったのは、子供チーム(タパ・スチ)、アジア大会の金メダリストを含む大人チーム(パムール)、ドゥバスを見せるおじさんチームの3グループ。演武が終わったらすぐに裏に戻るところ、恐らく最初のチームが子供だったからでしょう、閲覧席に上げるように親分が指示を出しました。そして閲覧席で僕と握手!状態。

親分の所属政党公式Youtubeより、開会式の様子

 デモ演武が終わり、開会式の終了が宣言されると親分退出。でも実は、この後に抽選で選ばれた男子3チーム、女子2チームの演武があったんですよね。抽選で選んだといいつつ、いろいろと配慮が行き届いたと思われるVIPチームでした。男子はTapak Suci、Pamur、PSHT。女子はJokoTole、マレーシア。大手流派と次回世界大会開催国…本当に抽選で決まったのかな。
 ただ、いずれのチームも親分が退出し開会式が終了した、というざわつきの中でやる羽目になっていました。舞台に上がっているチームよりも、会場にいるアジア大会金メダリストの方が注目を集めているという状態で、よい演技を見せていただけにもったいない。特に本日最後の演武となったマレーシアに至っては、自国のVIPすら親分と一緒に退出していたがために、気の毒なことに、ほぼ空気。

身の危険を感じるレベル
金メダリスト

流派関係なくキッズの憧れ
金メダリスト2

 思ったよりも早く終わり、ゆっくり休むことができました。明日の夜にはもう、空港に行かねばなりません。

4月1日(月):閉会式から空港へ

 今日は午前中に競技の続き、その後に審判団による採点精査を経て、夜には閉会式の予定です。cizmaは日付が変わってすぐの飛行機のため、夜のうちに空港に行かないといけません。閉会式には出られない・・はず。

 午前の部にはいくつか見たいチームがあったので、会場で観戦しました。予算の都合でしょうか、昨日はあったスクリーンが撤去されていたり、昨日のうちに演武を終えてしまったチームは会場入りしていなかったり、と随分と寂しいことになっていました。昨夜の熱気が嘘のように、落ち着いた会場。

スクリーンもなく寂しい
2日目会場

 よく考えてみれば普通に平日ですから、人が居なくて当然です。

 そんなのんびりした会場で、当事者がフェス形式をどう捉えているかを、少しは知ることができました。会話の中で得た情報なので裏付けは取れていませんが、競技シラットの整備と同時期に形成されたのがフェス形式とのこと。
 世界プンチャック・シラット連盟(PERSILAT)が定義するところのプンチャック・シラットとは、「メンタル・スピリチュアル(精神修養)、護身術、芸術、スポーツの4要素が一つに統合されたもの」(PERSILAT定款2015年版・第7章第1項より)となっています。この4要素のうち、スポーツの要素を取り出した”競技シラット”は、世界大会を開催し(初回は1982年開催)、2018年アジア大会正式実施種目にまで至りました。しかし、これでは他の3要素が取り残されてしまいます。4つの要素が全て揃っていなければシラットたりえず、そうであるからこそ、残り3要素が披露される”フェスティバル”が設定されたのだそう。最初のフェスティバルは初回世界大会と併催だったといいます。スポーツ要素を体現する競技シラットの大会と、残り3要素を体現するフェスティバルを同時に行うことで、PERSILATが考えるところのプンチャック・シラットから外れないようにしたのでしょう。その後も世界大会と併催する形で何度も開催したとのことです。
 そして競技シラットが盛り上がっていく中、勝者を多数送り出し隆盛する流派と、そこに乗り切れない流派が出てきます。当初から競技シラットに積極的でない流派(グループ)もいたと聞いています。曰く、インドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI)に登録する800の流派のうち、競技シラットで活躍できる(名が残せる)のは、せいぜいが200ほど。残りの600の流派やさらにはIPSI未登録の流派に注目集まらないまま、消滅の危惧さえあるとの危機感・焦燥感が強まったようです。
 2000年頃に一度、フェス形式の大会や審判の制度が再整備されたといいます。現在行われているのは、その時の制度に基づいているとか。また、このフェス形式審判の場合、資格取得にはフェス種目のコーチと同等の力量・知識がある、と言われました。これは、採点する側に採点される側が疑念を抱かず、結果を粛々と受け入れることにつながるとのこと。
 確かに競技シラットの場合、なぜかほぼ毎回、審判の判断にチーム側からなんらかのクレームがつきます。審判側に力量・知識が足りないわけはないですから、このクレームは結局のところ、審判に対する信頼感の欠如であったり、結果を受けて自国へのパフォーマンスであったり、ビデオ判定や仲裁機関の不在といった制度の未整備が大きな要因であるように思います。審判団がチーム(参加者)と信頼関係をうまく築けていないのは感じますが、採点競技において「審判が信用ならんので、結果を受け入れられない」というのはいかがなものかと。…話が逸れました。
 ともあれ、演武が「音楽付きガンダ(競技シラット演武部門ペア種目)」にしか見えませんでしたが、採点は競技シラットとは違う視点で行われるのです・・・多分。そうであるからこそ、「フェスに関わる人と競技シラットに関わる人は分けるべきだ」という発言に繋がるのだと思われます。でも、cizmaはフェス審判に興味があります。視点の違いを知りたいというのもありますし、シラット人口が少ない場所で完全分離したら、単純に人材不足になります。

 さて、演武は午前中で終わり、午後は審判団が採点内容を審議する時間です。今フェスではすべてのチームがなんらかの賞を得られることになっています。この審議に2時間割り振られており、この間、参加者はフリー。閉会式は18時半からの予定です。20時に空港へ向かうことになっていますから、閉会式兼サヨナラディナーに顔は出せそうです。

閉会式会場
閉会式

 まあ、時間通りに始まるわけもなく。それでも挨拶を聞き、記念品をいただく程度には滞在時間を取れました。挨拶で興味深かったのは、「本フェスティバルは当然のこと、シラットは政治とは無関係」との発言を聞けたことです。
 まず、なぜこの時期にフェスを開催したか。これは2月に行われたPERSILATメイン会合での合意があったから、と。本来であれば世界大会とフェスは2016年のように併催されるべきである、しかし2018年の世界大会ではフェスがなかった。そこからあまり日を置かずに開催するのが望ましいため、今の時期となった。そして、シラットは政治とは無関係である。このフェスも当然、無関係だ。その証左として、プラボウォ氏は開催のゴングを3回叩いた。彼は大統領選の候補番号”2”だ。開催の宣言に2回叩いて政治と関係させることもできたが、彼は3回叩くことで政治と無関係だと示したのだ。
 そうなのかー・・・と思いながら聞いてました。2018年世界大会@シンガポールでは、”武術フェス”が開催されていました。主催者としては「フェス併催の世界大会」という認識だったと思うのですが、まあいいか。PERSILATが意図するところの”フェス”とは別物ですからね。また、当初予定と異なり3回叩いた意図がここで明かされたわけですが、政治と無関係なら1回でもいいんじゃ、と思ったのは秘密です。まあ、でも、イスラムでは3回(そしてその先は奇数)がスンナだと考えれば、妥当なのか。ということは、当初予定(リハーサル)で2回、としていたのは忖度だったのかと思うと、なんとも言えない気分になります。まあいいですけど。

 そして、ご飯を食べる時間がないまま空港に向かいます。空港で食べればいい話ですが、想定外の出費。空港ご飯はお高めです。しかも次の滞在先であるフィリピンの通貨ペソを、インドネシアで購入できないとは思いませんでした。こうして土曜の2時から火曜の0時までのジャカルタ滞在、約70時間が終わりました。

4月2日(火):マニラ乗継13時間

 4時間のフライトはどうにも中途半端、深夜便なだけになおさら。機内で寝たというにはちょっと短い。気分としては仮眠をとった状態で、マニラに到着しました。
 マニラ…フィリピン…もう、ノーアイディアです。しかもトランジットですし。事前に調べたネット情報だと「渋滞ヒドイ」「タクシー使えない」といった、短い滞在(トランジットとしては長い)を楽しむのにあまり適した街ではないようです。フライトの3時間前に空港に戻ることを目安にしても10時間はあります。そして今現在、6時過ぎ。
 正直なにをどうして10時間潰せばいいのかわかりません。が、ありがたいことに、お付き合いしてくれる方がいます。フィリピンで10時間以上過ごすことが分かった時点で、フィリピンチームの知り合いに声を掛けました。残念ながら、彼らはちょうど同時期にタイで強化合宿中とのこと。でもツテを辿って、シラット協会会長のお母さまが遊んでくれることになりました。なんかすごいところを引っ張り出してしまったなあ・・恐縮しきり。なんせ、世が世なら王妃さまです。すみません、ありがとうございます!

 そういえば、お迎えでお会いした時に「荷物はないの?」と聞かれました。そう、荷物はないのです。実はジャカルタでのチェックイン時、「12時間を超えるトランジットなので、最終目的地まで預かることはできない。マニラで荷物を引き取ってくれ」と言われました。マニラの空港内で10時間以上を過ごすつもりはなかったのですが、「トランジットの滞在で空港の外へ出ないのに、どうやって引き取るんだ。マニラではトランジットデスクを通るだけだ。チケットは最後までチェックインできるじゃないか」と主張します。トランクとトヤをもって10時間なんて冗談じゃないです。係員は「トランジットデスクではなく、通常ルートで出国して、普通に荷物を再度チェックインして・・・」と言い募ります。乗継なのに外に出るのが必須とかおかしいじゃないか、入国する予定ないのにどうするんだ、とゴネゴネ。ハイ、めんどくさい客です。あと、ガイジン仕方ねえな感を出すために英語です。これがガルーダだったらインドネシア語で情に訴えるのもありですが、フィリピン航空なのでめんどくさい客路線で粘ります。係員はとうとう、上長にインカムで報告相談し、そのまま最終目的地まで預かる許可を得たようです。結果、粘り勝ち。とりあえず言ってみる、引き下がらない、は海外では大事。

 そんなわけで大きな荷物がない身軽な状態で、マニラを案内してもらえました。ルートはスポーツ施設&博物館>リサール公園>MOA。
 スポーツ施設、これはお母さまの職場。運動公園というか、ナショナルチームのトレセンというか、まあそんな感じ。岸体育館とオリンピック公園とトレセンを一つにした感じでしょうか。シラットの練習施設もありました。ただ、この施設群、フィリピン最初のバスケットコートがあることからもわかるように、歴史的施設を含む若干老朽化が見られるエリアです。今年末のSEAゲームズに合わせて改修されるそうですが、大体どのスポーツも普段の練習は別のエリアにある、もっと新しい施設で行っているとのこと。こちら首都マニラにある施設は、海外遠征出発前の調整場所のように使われることが多いそうです。ちなみに野球場では大学野球の決勝戦をしていました。プロ野球より大学野球の方が人気があるそうで、テレビやラジオの中継車も見かけました。

シラットチームのトレセン
シラット

フィリピンは地震国だった
地震

 お昼に連れ出してくれる途中、米国大使館前を通りました。まるで宮殿・・いや、基地?フィリピンから米軍は撤退したはずですが、大使館が(米国にとって)緊急時に基地の役割を果たせるようになってるんでしょう。

端から端まで米国大使館
大使館

比と言えばホセ・リサール
リサール

 この後、モール・オブ・アジア(MOA)でお土産を買って、ハロハロをごちそうになりました。美味。アジア最大級のMOA、本当に巨大です。しかも、ものすごく賑わっています。「土日や休みの時期は近づかないことにしてるの」というのも納得です。cizmaも土日の大久保・新大久保には近寄りたくありません。平日であの人出です、土日やバケーションの時期に近寄りたくないレベルで混雑してるのが容易に想像できました。
 MOAには国際大会も開催可能なスタジアムもあります。こちらをSEAゲームズで会場の一つにしようとしたそうですが、先々まで予定が詰まっていたため確保できなかったとか。ここが会場だったら、参加者は買い物が楽しいでしょうねえ。迷子にもなりそうですが。

 お付き合いしていただいたおかげで、チケットを渡されたときには途方に暮れた13時間を、無事に、楽しく過ごすことができました。ホント、感謝しかない。

4月3日(水):帰国

 行き同様にゲートが変わったり、出発が遅れたりはしましたが、日付の変わってから羽田に帰国しました。眠い…思い出してみれば、最後に布団で寝たのは二日前の日曜の夜。月曜の夜は機内で仮眠でした。中途半端な仮眠よりは帰宅してしっかり寝ようと、機内で起きていたのが失敗だったかもしれません。早く帰りたいのに、大型荷物があったために、荷物の引取にも時間がかかりました。そして頭があまり回らないまま帰宅、布団に直行。昼には出勤します。

 当初は行く予定のなかった世界プンチャック・シラットフェスティバル。一度、公式に不参加の意思を表明していました。しかし、主催者から「是非、日本からの参加者に居てほしい」と航空券支給を提示され、それなら、と参加(観戦)を承諾しました。それにしても割と強行軍。そろそろ移動時間は短めに、準備期間は長めにしたいお年頃。でも行った甲斐はありました。自分が稽古を続けるシラットは当然のこと、現象としての様々な形式のシラットの現場は、やはり楽しいし飽きないのです。