タイムカプセル

‎1992年、学校OBの「士気高揚基金」なるもので指定学年の希望者から選抜された18名がインドネシアに派遣された。行き先はジャカルタとジョグジャで、JICAを表敬訪問したり、高校(ジャカルタはSMA70、ジョグジャはSMA1)で文化交流したり、なんちゃってホームステイ(超短期、一泊だった気がする)をしたり、定番観光地を見学したりと滞在11日間の割にはスケジュールがみっちり盛り沢山。これがcizmaの初インドネシア。そしてこの経験が元でインドネシア語に向けて人生の舵をきったので、まさしくターニングポイントだ。あれから20年、思えば遠くに来たものだ…こんなとこに来ることになるとは20年前には思いもしなかったよ。
でも、(当時)5年前に義務教育が中学までに延びた、つまりは”義務教育が小学校まで”だった世代の”英語を話す”インドネシアの高校生と一緒に過ごして何も影響を受けないはずがない。参加したメンバーは大なり小なりなんらかのターニングポイントを迎えたんだと思う。当時は「高校まで行けるのは相当、財政的に恵まれた家庭」としか認識してなかったけど、義務教育が小学校までの世代の高校生なんて、どう考えても”同じ高校生”なわけなかったんだよ。圧倒されて当然だ。
まあ、それはさておき、20年を記念して近々同窓会が開催される予定。メンバーの一人にマメなのが居て、なんと当時の「ビデオ」をDVDにして送って来た。当日見ましょう、だって。もーーーーー!!!無理!!!!20年前の自分の映像とか…ウツダシノウなレベル。でもそれをガマンして編集を兼ねて見続けてたら、20年前のインドネシアが断片的に写りこんでいて、それはそれで面白かった。一種のタイムカプセルですね。

多分、モナス近くの駅から一駅分だけ電車に乗った時。来日するインドネシア人観光客がひと駅だけ新幹線に乗るのと元の発想は一緒w

電車を降りてから先回りした大型バスに向かう途中。今、ここはおそらく渋滞ロードなのでは?

ジョグジャの町のどこか。今よりも品ぞろえがシンプルな感じがする。

ここだけはあまり印象が変わらない。

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東京砂
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