旅メモ ミャンマー雑感

ヤンゴンの空港を飛行機の中から見た感じでは、地方空港というか、スラバヤ空港くらいの印象を受けた。中の設備はまあそれなりに最新だったような気がするけど、その後のネピトーへの移動が強烈でヤンゴン空港の印象が消えたw

シンガポールで離陸が遅れた分、到着も遅れた。ヤンゴン着は17時くらい。大会ロゴの入った関係者用ミニバス(ハイエース)に案内され、これで陸路6時間移動するのかと思ったら目眩がした。なんか違和感だな、と思ったら車が左ハンドルだった。道の構造(交通ルール)も左用だけど、見てると右ハンドルのままの日本車も多い。
このままミニバスでネピトーまで行くのかと思っていたら、どこかの寺院近くのバスターミナルとおぼしきところで降ろされる。なんか栄えてるエリアだから食事の時間かと思ったら、大型の長距離バスへの乗り換えだった。見た目通りエアコンがんがんでさぶかった…添乗員つきの長距離バスで途中でお菓子(チョコケーキ)とコーヒー支給が配られる。揺れる車内で飲めるようにホットコーヒーはストローつきだった。

最初のミニバスでヤンゴン市内を走ってる時に見た公共交通機関の混みっぷりはわりと衝撃だった。まさに人が鈴なりスシ詰め。そして道も悪かったなぁ。バイクはそんなに走っていなくって、自転車や並走タイプのベチャをよく見た。車は圧倒的に日本メーカー率高し。長距離バスも市内を走ってるバスも日本の中古が多く、都バス、名鉄、藤田観光、札幌観光、秩父鉄道観光とかいろいろだった。観光バスだけじゃなくて土浦日大附属高中なんて書いてあるのもあった。通学バスかな?そういえば、ヤンゴン市内(?)では一回だけモスクを見つけた。

19時に乗った高速は市内よりは道の状態はよかったけど、大型でもあれだけ揺れを感じるとなると、普通車だったらちょっときついかも。21時過ぎに一旦高速を降りて30分のご飯休憩。そこからまた走って23時に高速を降りた。welcome ネピトーの表示を見てから30分、バスターミナルらしきところで下車、大会関係者用ミニバンに再び乗り換え、ホテルに到着したら日付が変わってた。ジャカルタの家を出たのが朝の5時、ほとんど20時間のASEAN域内移動。遠いよ。

ヤンゴン市内も暗いなあと思ったけど、高速沿いは本当に真っ暗で当然街灯もなく、高速の立地の問題かもしれないけれど、家の明かりも見えなかった。長距離バスは一般的な車のランプだけじゃなくて、なんか明るく先や回りを照らせるランプを装備してた。

そしてなんかやたらと明るい一角があるなーと思ったらそこがネピトーだった。道路には街路灯があったり、なんか今までの暗さが嘘のように煌々としてる。まあそれでも比較対照の問題で言えば、ジャカルタよりは全然暗い。西ジャワの山村並みかも。

一夜明けて、大会会場での審判講習に向かう道中に見たネピトーはなんか、こう、なんだろう。人が集まってできた町ではなく、作り出した町なもんだから、なんというか霞が関っぽい。いろいろと絶賛建築中なので、その現場関係者しかいないんじゃないかって気もするくらいに人がいない。なぜか町中も、少し外れたこの辺もホテルばっかり。こんなに建ててどうするんだ?

スタジアムもえらい立派なのができてるけど、場所は町外れもいいとこだ。途中には、言うなれば戸建建て売り団地かのように同じ形の家が並ぶエリアがある。そことそのちょっと先にある住宅エリアだけ、人がいる。というか、生活の気配がある。そしてそれらの家の形や形状を見ると、この国が経済指標としてはインドネシアに大分遅れを取っていることは明らか。マレーシアとシンガポールの審判は「かわいそう」と言っていた。家の材質が(恐らく)竹や木なのも、シンガポールやマレーシアから見ると「うわ、まだそんな家に住んでいるのか」という思いになるのかもしれない。

途中に見た畑は牛が引く荷台で耕してたなぁ。インドネシアでは見ることができる手押しタイプのトラクターも見なかった。仕事は基本、人力か牛力らしい。

昔の東京オリンピックが3丁目の夕日のような世界からの起爆剤になったように、このSEAゲームや来年のASEAN議長国就任が、この国のアクセルになるんだろうか?あの単純にいってしまえば粗末な家に住む人々の生活は向上するのか?国内に抱える少数民族問題はどうなるんだろう?
あんなところにスタジアムを作って、誰が何を見に来るというのか。近所に住む人に手の届く価格のチケットではないことは用意に想像がつく。国内問題をいろいろと抱えるからか、関係者車両もスタジアムの領域に入るためには、毎回厳重なチェックを受けている。

ある意味、無味無臭なこの町からはこの国がこの先どうなるのか、全くイメージがわかない…

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