お国柄?

旅行記取りこぼしその2。取りこぼしってほどでもないかな。

マレーシアでの公立モスク見学訪問は単独行動。途中、マレーシア人審判や大会の学生ボランティアと「どこへ行くんだ」というような会話は交わしたものの、「一緒に行く」という人はいなかった。インドネシアだったら、あるいはインドネシア人だったらついてくるんじゃないかなあ、と思った。人間関係の濃淡というよりも、これは移動のしやすさに起因しているように感じる。
マレーシアは公共交通機関で初めての町でも移動ができる。徒歩にやさしい街づくりではないけれど、道路の整備状況は悪くない。要は”一人でも大丈夫”と一般的に判断されるように思う。一方、インドネシアは慣れない土地で単独で移動をするのはなかなか大変。歩道はガタガタ、アンコットの類はどれがどこに行くのか一見さんには意味不明、大体乗り場はどこだ…などなど。”一人でどこかへ行く”というのがマレーシアほど気軽にできるようにはまだなっていない。
多分、この違いからマレーシアの人は「ああ、いってらっしゃい」になるし、インドネシアの人は「ああ、それならついてくよ」ってなるんじゃないだろうか。

もう一つ。

自分で言うのもなんだけど、cizmaは見た目年齢が若い。でも、実年齢との乖離感、驚かれ具合は日本に居る時より、東南アジア地域に居る時の方が大きい。これは多分、社会における「現役世代」の違いからきてる。下手すれば80代が現役で、6,70代が各種決定権を持っている日本社会では、40代はある意味「若い」。でも、平均寿命の違いもあり、東南アジアでは一般的に7,80代はもう「引退」している年齢で、3,40代は日本で感じるところの5,60代のポジションだろう。つまり「若くない」世代であり、社会的にそう扱われ、かつその自覚もある。だからこそ、「若い」扱いを受ける日本の40代と比べ、日本の基準から言って老けて見えるのだと思う。
っていうか、絶対年上だと思ってたんだよなあ…

cizma について

東京砂
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