国際化ニッポン

都会に住んでいるからなのか、711では基本的に外国籍の店員さんにしか遭遇しない。大体が東アジア系だけど、たまにインド亜大陸な名前と顔つきの人もいる。昨日はとうとう、店員さんが2人ともインド亜大陸な感じだった。しかも客は観光客と思われるタトゥーな白人、地元民と思われる韓国なおばちゃん、そしてジルバブなcizma。国際化ニッポン。
ちなみに目当ては中村屋のあんまん。井村屋より中村屋。日本人店員さんだとマニュアルどおりに手を消毒してから包み紙にトングで入れてくれる。正直、トングで挟んで包み紙に入れるのに、手の消毒は「過多」だと見ていて思う。昨日は手の消毒ステップがすっ飛ばされて、そらそうだよな、と思った。

某所で商品を見ていると観光客と思われたのか、店員さんに「なう さんじゅっぱーせんと でぃすかうんと」って言われた。…「さんじゅっぱーせんと」が微妙に日本語です。インバウンド対応も大変だ~

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映画「民族の師 チョクロアミノト」

チョコクロアミノ酸…じゃない、チョクロアミノトの映画をTIFFで鑑賞。TIFFには黄金杖かスディルマン将軍を期待していたのですが、まあよし。
(以下、ネタバレ含みます)

チョクロアミノト、名前は知っていても功績は知らない。でも、のっけのシーンでやられた。元がイケメン俳優のレザ・ラハディアンだっていうのもあるけど、「私は逮捕拘束されたのではなく、自ら出向いたのだ。」ってかっこいいわぁ。毅然とした態度に惚れる。
そして少年期に戻って人格形成の過程がさっと描かれ、結婚。結婚のシーンはカルティニが疑念を呈した卵割り。この風習は男女の役割分担がどうこうっていうか、普通に食べ物としてもったいないよなあ、と思う。食べ物を粗末にしてはいけません。
上映終了後のプロデューサー(クリスティン・ハキム女史含む)トークで言っていたとおり、彼の人生は娯楽作品向けではない。戦争に参加するわけでも、逮捕投獄監禁されるわけでも、ひどい裏切りにあって大ピンチになるわけでもない。もちろん、いろいろと試練はあるけれど、絵柄的に地味。そこを音楽と笑い、そしてオランダの鬼っぷりが埋めている(と思う)
音楽はそのシーンで採用してる曲に意味が絶対あるはずなんだけど、それがわからなくて残念だったかも。追い出されたチョクロが帰参するシーンで舅がワヤンの一節と思われる歌を口ずさんでたんだよなあ。あれはどんな歌だったんだろう。
笑いは基本、ジャワ語が醸し出してた。ちょいちょい、小間使いのおばちゃんとスタンブルの道化とお調子者の古株がそれぞれに笑いのシーンを挟んで、重く進む話に息抜きをくれた。…んだけど、会場からは反応が薄い!インドネシア人とおぼしき一角からしか笑いが起きない。日本の映画館は概してお行儀よく「鑑賞」するもんだけど、コメディ映画じゃなくても笑おうよー
そしてオランダは鬼だった。たった3年でそんなオランダ統治300年を上回る悪評を残したダイニッポン(日本軍政)って一体。加えて「今もまだ経済的に植民地だよ(日本車率、驚異の97%)」って冗談で言われる。それを無邪気に親日だから日本製新幹線とか意味がわからん…脱線。
ガルットのシーンではスンダ語だったり、バンドゥンでは頭巾の巻き方がスンダ仕様だったり、下調べや時代考証に長期間かけただけはある。私自身詳しくはないけれど、説得力のある美術(小道具、衣装、背景など)だったんじゃないかな。
チョクロ師は基本、眉間に皺がよってる感じだった。そんな彼がなぜ「民族の師」なのかは、少々わかりづらいかもしれない。わかりやすいアジテーターではないし、弟子たちが功名するのは彼の死後。インドネシアの独立もそう。しかも、弟子のクスノがブンカルノだって、最後の字幕まで確信がもてなかったよ!っていうかスカルノってば師の長女を嫁にもらっておきながら、一夫多妻だったのかぁ。本当に女好きだったのね。(それだけ魅力的でもあったのでしょう)
チョクロアミノトの言葉は映画なので当然、歴史としての主張とともに、現在の情勢にも訴えるものがあったと思う。字幕では聖遷や巡礼と訳されていた「ヒジュラ」これをキーワードに進めた物語は、民族として(途中、ネイションとも誰かが言っていた)のそれではなく、個々人の内面における次のステージへ段階を追って「移る」こと、それに必要なのは知識と信仰、とまとめられた感がある。思考することをやめない、が心に残る。
あと辛亥革命、ロシア革命、第一次世界大戦の与えたインパクトを見た。スピード感の問題であって、世界は結局、今も昔も連動してるんだな、と。

最後にハキム女史とツーショット撮ってもらいました。こういうときに限ってカメラ持ってないんだよね…

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お国柄?

旅行記取りこぼしその2。取りこぼしってほどでもないかな。

マレーシアでの公立モスク見学訪問は単独行動。途中、マレーシア人審判や大会の学生ボランティアと「どこへ行くんだ」というような会話は交わしたものの、「一緒に行く」という人はいなかった。インドネシアだったら、あるいはインドネシア人だったらついてくるんじゃないかなあ、と思った。人間関係の濃淡というよりも、これは移動のしやすさに起因しているように感じる。
マレーシアは公共交通機関で初めての町でも移動ができる。徒歩にやさしい街づくりではないけれど、道路の整備状況は悪くない。要は”一人でも大丈夫”と一般的に判断されるように思う。一方、インドネシアは慣れない土地で単独で移動をするのはなかなか大変。歩道はガタガタ、アンコットの類はどれがどこに行くのか一見さんには意味不明、大体乗り場はどこだ…などなど。”一人でどこかへ行く”というのがマレーシアほど気軽にできるようにはまだなっていない。
多分、この違いからマレーシアの人は「ああ、いってらっしゃい」になるし、インドネシアの人は「ああ、それならついてくよ」ってなるんじゃないだろうか。

もう一つ。

自分で言うのもなんだけど、cizmaは見た目年齢が若い。でも、実年齢との乖離感、驚かれ具合は日本に居る時より、東南アジア地域に居る時の方が大きい。これは多分、社会における「現役世代」の違いからきてる。下手すれば80代が現役で、6,70代が各種決定権を持っている日本社会では、40代はある意味「若い」。でも、平均寿命の違いもあり、東南アジアでは一般的に7,80代はもう「引退」している年齢で、3,40代は日本で感じるところの5,60代のポジションだろう。つまり「若くない」世代であり、社会的にそう扱われ、かつその自覚もある。だからこそ、「若い」扱いを受ける日本の40代と比べ、日本の基準から言って老けて見えるのだと思う。
っていうか、絶対年上だと思ってたんだよなあ…

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とりこぼしマレーシア

そういえば旅行記に書かなかったマレーシアの新聞記事ネタ。

待ち時間に新聞を読んでいた審判仲間が「日本の記事が出てるぞ」と見せてくれました。読んでいた新聞の名前を忘れてしまったので、インドネシア語ソースですが、こんな記事。
Nelayan Mancing Dekat Fukushima Dapat Ikan Raksasa
まあなんだ、福島の事故で巨大化した魚が釣れた、と。
うーん?北海道で?放射能で巨大化??
この時点では元ネタは不明なものの、完全なコラ、偽記事だと思ってました。素人考えでは福島からの海流はどっちかと言えば太平洋上、あるいは茨城方面に南下する流れだと思うのです。北海道じゃねえ…
とりあえず、審判仲間には嘘記事だと思うよ、と言っておきました。

帰国後に軽く調べると、マレーシアの新聞に記載された元記事はイギリスのデイリースター紙。タブロイドじゃねえか。あ、でも釣った人は実在なのね。
SEA MONSTER: Amazed fishermen catch giant alien fish

ご本人、ツイッターできちんと説明されてます。角度によって魚の大きさの印象は変わること。このオオカミウオは「平均的」サイズだということ。放射能の影響についてはゴジラとハルク以外にもソースもて、とか。

いろいろと考えさせられます。

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旅行記完

そろそろ9月も終わるし、やらなきゃいけないことがてんこ盛りでお尻に火がついてます。そんなわけで旅行記はさくっと終了。

マレーシア副首相杯参加記+立ち寄りインドネシア

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旅行記1

大会概要と旅行記として初日部分

マレーシア副首相杯参加記+立ち寄りインドネシア

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備忘録?

気づけば帰国してるし。マレーシアのホテルを出てから電波なし。備忘録ってのはさくっと書かないと忘れるので「備忘」にならない…

5日目
全試合準決勝だったので、夕方には大会終了。初めてまとまったフリータイムが取れた。
モスクまで歩いて、改めてマレーシアが歩行者に優しくない街づくりだと実感した。

6日目
当然、全試合決勝。終了後、リコンファームしてなくて予約キャンセルの危機を乗り越え、えっちらおっちらジャカルタへ。

7~9日目
インドネシア滞在はまあ、いつもどおり。帰国便はまさかの満席。JALのB787型がウォシュレットでびびる。

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備忘録2

終わるの遅いし、ホテルでしかネットに繋がらないし、でいろいろとマラス

3日目
午前の試合部門でレフェリー1回、午後の演武で国際組と国内組の採点 国際はインドがいいネタを提供してくれた インドがネタにならない大会はいつ来るのか
今日もご飯休憩タイムはなく、隙間時間を見つけて食べる。でもマグリブ休憩はある。
本日のプログラム終了後、外に出るつもりが疲労が過労になる感じがしたのでおとなしく部屋に戻った。

4日目
金曜礼拝なので昼休憩は確実にある日。昨日の深夜、会場の近くでピストル発砲殺傷事件があったらしい。使われたのはM60じゃなくてAK4…いくつだっけ。まあとにかく新聞情報から「その機種(?)なら国内ギャングじゃなくてタイ方面(が犯人)だろう」というローカルの会話に事件以上に驚いた。今日はレフェリー4回。他の人より少な目かな。でもアナウンス席を手伝ったりもしていて、忙しい。

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備忘録1

旅行記用の備忘録のつもり 最終的に旅行記に新味がなくなる可能性は大

1日目
MHオペレーションのJL便でKL経由のクアンタン行き。トランクがおいてけぼりをくらう。歯ブラシと使い捨てコンタクトを手持ちにしていてよかった。
審判ミーティングとか長くかかって寝たのは日付が変わってから。

2日目
一日中、昼休憩もなにもないままにマレーシア国内組学生大会1回戦全160試合超の予定。マグリブ休憩を挟んでノルマ達成できず、一部明日に持ち越し。
レフェリーを5回やって、なんとか合格点…多分。

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防衛省市ヶ谷台見学ツアー

防衛省市ヶ谷台見学ツアーに参加してきました。基本的には軍事施設ではなく官公庁だからか、敷地に入る時点でのチェックは割りとゆるい。某大使館なんか金属チェックするし、最近はコンサートですら手荷物検査するのに、どっちもやらなかった。写真のない健康保険証も身分証明として通用するようだし…なんだろう「開かれた自衛隊」の演出?まあ面倒くさくなくていいけど。

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“台”というだけあって、まずはビル4階分を上らないとダメです。でもエスカレーターがあるから楽チン。不勉強で知りませんでしたが、江戸時代は江戸城守護の要の地として尾張徳川のお屋敷だったんですね。明治政府、えげつない。

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これは儀仗広場の国旗掲揚台。来賓があると向かって右に日本、左に来賓の国旗(アレ、逆?)が掲揚されるそうです。そして来賓が国連関係者だと中央に国連旗が掲揚されるとのこと。地味に国連中心主義をアピールされた・・・んだと思う。

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元の1号館から象徴的なものだけを移築保存したのが市ヶ谷記念館だそうです。大講堂の床材(楢)も同じ位置・並びで張り直したとのことですが・・・残念ながら一部は再利用に耐えられる状態ではなく、写真のような一枚板に替えられてしまっています。

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↑復元された玉座への出入り口である天皇専用階段。「復元」「移築」された記念館で、国会議事堂のように”現役”の玉座・専用エリアじゃなくても立ち入り禁止なんだなあ、となんかこう…日本ですな。
大講堂にはいろんな展示物がありました。残念ながらミリオタでも艦これプレーヤーでもないので、どれも背景がわからない。

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説明書によれば「刀身にビルマのセイロン島攻略などの物語が刻まれている」んだそうで、実際、刀身はかわいらしい。意趣に富む、というか。

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1号館の象徴を残す、ということで移築された刀傷のある扉。三島由紀夫ともみ合った傷だそうです。扉を開けた先が壁、というのは物悲しい。陸軍大臣室、便殿の間も移築されているのですが、どちらも展示室状態で正直つまらない(苦笑) 調度品も一緒に再現してくれてれば、もっと雰囲気出るのになあ。

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ちなみに↑の映画ポスターは自衛隊(防衛省)が協力していると見た。GATEのポスターがないのは意外。
とまあそんなこんなで敷地内>記念館>厚生棟を見学し、いよいよ本日のハイライト!!!

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引退した自衛隊ヘリ…じゃなくて。その前に佇む独立の英雄スッディッルッマーーーン!!!

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見学者がヘリに群がるなか、海路郎さんと私だけはスディルマンに被りつき。

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像の後ろに桜の木があったので、桜の季節にまた見に来ようかな。

オマケ
スディルマンに被りついていたのが目立ったのか(そりゃそうだ)、案内の大臣官房広報室職員さんと会話した。
(独立の英雄云々、という話の後)
職員「オランダにひどい目に合わされましたものね。350年もねぇ」
「その後に来た日本軍のたった3年はそれを上回る困難辛苦を民衆に与えたというのが定番文句です」と喉元まででかかった。
職員「日本はねえ、インドネシアを育てたんですよ。独立をね、きちんと約束してましたからね。今村大将が云々」
うん…アジアの兄貴ね、知ってるそれ。途中で失望されてるよね。
職員「終戦後も沢山残りましたしね」
そうね、最近まで最後の残留日本兵がご存命でした。でも残りたくて残った人ばかりじゃない。
いや、ホント、なんで防衛省敷地内にスディルマン像を贈ることにしたんだろう…

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